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≪詩≫はたして覆水盆に返らずか                     

………起死回生とコミュニケーションの問題と


まだまだ、
もちろんやりとりが続いていくだろう、
信頼する人だから言えた。

「しばらく覆水盆に返らずだからね。
血流したから…。
そちらも、勘違いだけど、
流したろうし…」

そうメールして、
しばらくやりとりをやめるという選択に及んでいる。

そう、また「血を流した」。
そんな私を今は大事にしたいと相手にも言える。
判っているでしょ。
勘違いだって、血を流させる事はあるんだよって。

私の魂が血を流してしまうような出来事になってしまったのは、
その相手が、
「こよせへの森」構想を、
娘ののえの生と死の結晶として、
構想し、提唱し、実践している事が、
その人の心の底までは届いていないという事を、
その人のまた別の深い、
心の葛藤や闇ややりきれない気持ちと抵触する形で、
明らかにしてしまった事が、
切なすぎるし、やりきれないし、
そんな相手もまた、つらいだろうなって思いながらも、
しばらくは「覆水盆に返らず」だと、
言う事を通して、
もう一度、
また始められる確信があるから言えた事だった。

最後の最後まで、
誤解らしき事、コミュニケーションの齟齬と思われる事、
そういった事柄を、この一年余り、
どれだけ中途で放り投げられる日々だったかが、
この件を通して、
くっきりと浮かび上がる。

私は一月、死にそうだった。
死にたいと思った訳ではないけれど、
死に絶えそうなほどに、傷つき、現実感が希薄になり、
まずいな、
なんとかしなくちゃなって、
本気で自分の態勢を整えようとしていた。

二月。
持ち上がった「アンコール放送」の話。
持ち上がるいきさつがいきさつで、
NHKという組織の体質を丸出しにして、
まったくもってやりきれなかった。

苦しみ抜いたあげく、受けて立つ事にした。
受けて立つ以上は、しかるべき事は物申した。
物申す事には、凄まじいエネルギーを費やした。
組織というものが相手となった時に、
起きる事というのは、
ありえないほど私の心身をむしばんだ。

しかしながら、私はたたかった。
魂をかけてたたかった。
それは、
ゴミ箱に捨てられた、「うたうたい のえ」の生と死の尊厳を、
取り戻すという、
もうひとつの魂の復権をも賭けたたたかいだった。

異性愛者であれ、
性的少数派であれ、
あの番組に家族ぐるみで、
命がけで出たという事実が、
どうしても判らない人々というのが存在する。

「何を言ってんのよ。今の時代に。
村八分なんてありえないよー」
東京のあるフェミニストの友人の言。

確かに、私達はそんな事もなく、
今もベロ亭で健在ではある。

だが、しかし、
「命がけで決心し、覚悟した事は確かだ。」
地方在住の誠実な性的少数派なら、
かなりピンと来る事実であろうけれど。

それから、また、
娘の自死の事実を公共放送の電波に乗せるという事のこわさ。
それは計り知れなかった。
そこを根底から支えたのは、
「のえルーム」という余りに穏やかで、自然だった、
あの場所での営みが、
少しでも、
たとえ完全ではなくとも、
電波に乗ることで、
伝わるかもしれない、そう思えることだった。

しかしながら、
これはほとんど伝わらなかった。
伝わらない、
という事実の集積は、
私を徐々にむしばみ打ちのめした。
様々な大小の事件を通して、
様々な人間関係の一瞬一瞬を通して…。

なぜに、
「レズビアンマザーが娘を亡くして、どう悼んだか」という物語が、
そんなにもうとまれるのか、私には理解できなかった。
のえは立派に生ききったし、唄いきったし、
悲しみが尽きる事はないけれど、
やれる事をやろうとしたまでだった。

そして、そこに公共放送のカメラを入れる事は、
大きな決心をこえた、
天命とも言うべき覚悟が必要だったけれど、
余りにも自然に、
のえが「いいよ」と言ってくれている気がしていたのだった。

一つ一つの事々を思い出すのは、
まだまだ悔しいのみならず、
震えが来るようないやな事ばかりだ。

もちろん、Lとしてのカミングアウトは、
魂をまるごと解放し、
私たちはますます自由になり、
こころ豊かになり、
人生を慈しめるようにもなった。

だが、しかし
…覆水盆に返らす゛としか言いようがない現実が、
余りの残酷さで続いていった。

のえの命…という意味合いで言うなら、
のえの命は盆に返る水ではない。
でも、「のえルーム」の試みは、
命ある間に注げなかった、
のえへの瑞々しい命の水を、
もう一度、
一人一人が注ぎなおすような意志を、
しかと持ちなおす試みとしてあった。

共に、
のえの思い出を語りあいながらなら、
共に、
のえの生誕日に、
ケーキについた蝋燭の灯を消す時に、
皆で、
あの「ひとりぼっちの夜」の一節を口ずさみながらなら、
もう一度、
のえという樹の元で、
のえという樹に、
水をやり直すという営みが自然となりたった。、


これには、共に、
という事が絶対に欠かせないほど、大事だった。

それが伝わらない。

映像の不備もあった。
これでは、
自死で遺された家族の悲しみの大きさは、
伝わりきらないよという、
不足もあった。

だが、
そんなふうに制作側の問題にだけしていられない、
観る側の悪意のない無関心、
悪意とまではいかなくとも、
自死に関してなど言うに及ばない、
という暗黙のうちに申し合わせたような奇妙さは、、
「これじゃあ、何か言えたもんじゃあないですわ」
とベロ亭の居間で、
当然の事のように、
この番組を観た後に口にした、
少し年下のレズビアンマザーを代表するかのように、、
私たちの意識の周囲を、
思わぬ壁で立ちはだかせる事になった。

言うに及ばない番組??
言うに及ばない家族??
言うに及ばないつながり?
もはや、あなたがたとはつながるべくもない?

あなたたちは、
覆水盆に返らずって判ってないんだね。
そう言われてさえいるようで、
必死で、
丁寧に、少しずつ、
のえの起死回生も含めて、
のえを亡くした自身の、家族の、
友人の起死回生も含めて、
「のえルーム」を通して、
「のえルーム」の映像化を通して、
盆に水をゆっくり注ぎなおしていたはずの手が、
急に、
暴漢におそわれたかのように、
私はもう一度、
丁寧にたたえていた美しい珠玉の透明な水を、
地面にぶちまけられるという、
憂き身を経験する事となった。

あってはならない事というのはある。

まして、
起死回生をしている者には、
ますますあってはならない事がある。

その事を、
今回の小さな「覆水盆に返らず」は、
私に知らしめてくれた。

たとえ、
覆水が盆に返らないとしても、
私は、
私の渾身の力をこめて、
水をもう一度注ぐよ。
なるたけなら、
もっともっと美しい、もっと透明な水を注ぐよ。

だって、
何もかもが起死回生だからね。

だって、自死に寄り添うという事じたいが、
起死回生なんだからね。

それをやりとげられるのは、
丁寧でデリカシーに満ちた、
コミュニケーションの蓄積のみだ。

あくことなき、コミュニケーションの蓄積は、
時に、奇跡すら生み出すから。

時には、
軽はずみとも見える、
それでも、
必然性をはらんだ行き違いで、
芯から傷ついても、
けっしてあきらめない事だ。

このあいだの、
たった2週間前のイベントと言うべきか、
なんと呼ぶべきかすら判らない、
あの営みの中で、
私たちは、
確かに「奇跡」を見たからね。
深い水脈が流れ始める囁きを聞いたからね。

覆水盆に返る。

でなければ、
私たちはもはや誰も生きていけやしない。

そんな時代。
そんな人生の節目。
そんな悲嘆と共にある、
ありえないほど大きな喜び。

でなければ、
私たちはもはや生き延びることなどできやしない。

たくさんの齟齬と、
誤解と、
行き違いと、
思い込みと、
葛藤と、
停滞と、
誰にも判ってもらえない暗闇の深淵の向こうでは。

でなければ、私たちは、
もはや美しい果実を手に取ることなどできやしない。

ケイコ                     2012年5日20日深夜
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| 詩の世界から | 01:32 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

相方は、この詩は、「被覆していない導線みたいに来る」と言っている。
この意味、判る人、教えてください。
ちなみに、感電しないように包んである電気の線は勿論、触れると感電するとかなんとか言っていたけどね。

私としては、これを書いて、なんだか、あの番組から、
ようやく、やっと、旅立てるような気がしています。
ああ、本当に長かった。深かった。大きかった。おもかった。

でも、もう、私は水を注ぐ手を止めはしないから。
もう、その水をぶちまけられたりはしないからさ。

| ケイコ | 2012/05/20 15:13 | URL |















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