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「けっしてわからない」に立つ詩人シンボルスカと、娘の始まりと に

朝、早めに目覚めて、枕の傍らにあったシンボルスカの詩集『終わりと始まり』をほぼ読破した。これは、明白な事実だ。
『幸福な王子』を急に確かめたくなって、アマゾンの古本で1円で購入した、オスカー・ワイルドは、童話集と『獄中記』だけが読むに耐えそうだ。私には…。

シンボルスカのノーベル文学賞受賞講演の、余りに謙虚にして的確、簡潔にして深遠な言葉を読みながら、じわっと来た。涙というより、涙に近い一筋の水滴のようなものが、私の目を伝った。

「わからない」ことを手放さない姿勢、手放しようがない姿勢。そこでしか、「詩人」でいられないことを、彼女は深く謙虚に、アイロニーと共に語っている。語っているということと、知っているということは違うと言っているかのように。

私にとって、永瀬清子さんと同じくらい、大切な詩人との出逢いが始まったことをひそかに、だが確かに意識した。

茨木のり子はわかりやすすぎた。謎がなかったもの。佇立する意識のあり方は素敵だったけれど。
石垣りん。生活者のありがたい、ユーモアと素朴で深い疑問の韻律。でも、私には着実すぎて、ごめんなさいって言いそうだった。
吉原幸子。エロチックで知的で、ぬるぬるとしていて、それでいてやっぱり優等生で。
大昔読んだ、エミリー・ディキッソン。古めかしくて、禁欲的な韻律が嫌いじゃなかった。その頃は、私に必要だった。襟を正すような読後感。尼僧にでもなったような。

本当は、もっと出逢ってもいい女性詩人はいただろう。でも、私は次第に『機を逸する』ことを良しとするようになった。この地方の本屋に本がない事と、ネットで本を手に入れられないそんな時代のハザマと、私の知的欲求、探究心を詩や書物に依拠しない、そんな時代とが重なったまでだったろう。

永瀬清子さん。再び、最近ひんぱんに読み返すようになった。こういうことは、私は余りない。その時々、わかる、伝わる、必要とする、そんな読み方が多い。

マルグリット・デュラスが面白くてしょうがなかった時もあった。今はどうかな。手に取りたいとはあえて思わない。

ミラン・クンデラは、フランスに移って、フランス語で書くようになってから、付いていけなくなったというべきか、付いていかなくなった、と言うべきか。
『存在の耐えられない軽さ』は映画を観てから、小説のほうを読むのが、全く別の面白さを生んだ、稀有な読書例となった。短編集も好きだった。

北米の黒人女性作家では、アリス・ウォーカーは処女作『メリディアン』が、トニ・モリスンはやはり処女作の『青い目がほしい』から動けなかった。他の著作も読みかけたが、その頃は、なぜか小説を読む気力に欠けた。魅力を感じても、読みこなせなくなってきていた。まあ、あの『カラーパープル』は読んだし、ウォーカーのエッセイ『母の庭を探して』も、その頃のベロ亭の暮らしを支える底力を得たけれど。



今日、シンボルスカを読みながら、なぜ、永瀬清子さんがノーベル文学賞を受賞していないのかと、少し思うところがあった。難しいな。翻訳という壁がある文学というものは。

幾つもの詩の一節にどきりとし、ふふふと笑い、ふむふむと頷き、ふと謎の迷宮に入り込み、でもしっかりとあのポーランドの物事と状況と風と樹の現実に引き戻される。

次の一節が強烈に残った。

「たとえばこんな疑問が頭に浮かんだもの

痛い思いをしてまで生むに値するのだろうか
死んでいる子どもを
船がどこにも辿りつかないというのに
どうして船乗りになることがあるだろうか

わたしたちは死に同意した
ただどんな形の死でもいいというわけではない

わたしたちを引きつけたのは愛
ただしそれは
約束をきちんと守る愛

芸術への奉仕に
嫌気がさしたのは
評価のいいかげんさだけでなく
傑作の命の短さのせいでもあった」

詩  一連の出来事の一つの見方   より抜粋



さて、おとといの晩、北野武なる人物が、
同性愛者とその子どもに対する、
挑発的な侮辱発言をテレビでしたという。

娘の早苗はツィッターでしきりと意思表示をして、
70にのぼるリツィートがなされた。
そのプロセスでは、ネット上でいやなこともあったらしい。

2003年のファミリーウィークエンドで
…信じられないけれど、もう9年もたつのか…
私達二人が『元祖レズビアンマザー』として、
大阪のレズビアンたちの合宿で、一時間の講演をしたとき、
参加できなかった三人の娘にその時のテープをダビングして送った。
参加者に丁重に断って録音したテープだった。
カラは唯一人の男として、そして、のえも参加していた。

その時、早苗も他の娘二人も、なかなかそのテープを聴かなかった。
私は、私達の元で育った「こども」たちに、
いつも、どうしてこういうふうに育ったのか、
この二人の元で育ったのか、説明義務があると肝に銘じていた。

聴けない理由の一つに、すでにテープを聴く機器がない、
という事もあった。でも、それが聴けない理由になる事が判らなかった。
少しだけ、聴かない理由を思いきって聴いた時、早苗は、
「だって自分の事でめいっぱいで、しょせんヒトゴトだし…」
と返ってきて、私が考えている説明義務と、いまだかみあわない人生が、
少なくとも早苗には進行している事を確認した。

これは、早苗がLGBTコミュニティで生きていなかった事とは、
とりあえず関係ないと私は分析している。
LGBTコミュニティで、とおに説明義務も説明される権利が行使されたと、
「勘違い」して生きているLマザーやその「こども」たちがけっこういることを、
この一年間、確信的に視てしまったから、
その見聞は、むしろ私の分析をいよいよ決定づけた。

そもそもLGBTコミュニティが存在するか、すら、
考える必要のある事象だろうけれど。

本当の自分自身の内に埋まる種は、
自分自身で見つけようと思った時にしか見つからない。
それはその人間自身の意志とタイミングと運命のようなものが、
一挙にかさなり、うずいた時にこそ、
様々な出逢いと共に、芽を出し、ついに花開くのかもしれない。

シンボルスカの背景にあったポーランドの、見えざる全体主義とは違う、
「わかる」ことが前提で、どんなマイノリティすらもおおっている、
この日本社会で、「わからない」一歩を早苗が踏み出した事を、
私は心から祝う。

天国ののえと共に、早苗が声を出したようにも、
あの、カラの番組での物言いと共に言い出したようにも、
全く、早苗自身の一人の胸の内から芽吹き出したようにも思いつつ、
そのどれであっても、そのどれでなかろうと、
「わからない」一歩を踏み出したことを、私は祝う。

「わかる」事だけを良しとしているこの日本で。
「わかっているつもり」のこのマイノリティの群のただなかで。

それは勇気とか、意気込みとかでは済まない始まり。
そして、終わり??

シンボルスカの詩集のタイトルは、
『終わりと始まり』。

この前のイベントに参加した人で、
すでにやみくもに、あるいはとりつかれたように、
あるいは、胸の響きに静かにいざなわれるように、
「わからなさ」に踏み出した人々のことを私は思う。

以下は、シンボルスカの、1996年のノーベル賞受賞記念講演の結びより。

「しかし、『驚くべき』という特徴づけには、論理上の罠がひそんでいます。結局のところ、わたしたちを驚かすのは、すでによく知られていて一般に認められている規範から逸脱するものです。人が慣れ親しんでいる、ある種の明白さから逸脱するものです。ところが問題は、まさにそういった明白な世界など、じつはまるっきり存在していないということではありませんか。つまりわたしたちの驚きはそれ自体としてあるものであって、何かとの比較から生じてくるわけではない。
なるほど、一つ一つの単語についてじつくり考えたりしない日常的な話し言葉では、だれでも『普通の世界』とか『普通の生活』、『ものごとの普通の流れ』といった言い方をします。しかし、一語一語の重みが量られる詩の言葉では、もはや平凡なもの、普通のものなど何もありません。どんな石だって、その上に浮かぶどんな雲だって。どんな昼であっても、その後に来るどんな夜であっても。そして、とりわけ、この世界の中に存在するということ、誰のものでもないその存在も。そのどれ一つ取っても、普通ではないのです。
どうやら、これから先も、詩人たちにはいつも、たくさん仕事があるようです。」


昨日、私がある人と、結局一日を費やしてした『トンネル内探索脱出作戦対話』の中で、ふとした折に、その人はこう返した。
「むしょうにつらくなったんだね。シツレイセンバンだと思うけど、ケイコさんの魂は素敵だ。かわいい。
その時は、次の対話に進むのに余念がなく、ただ律儀だった私だけれど、今日になって少し嬉しい。シンボルスカにも、永瀬さんにも及ばない魂だけれど、まあ、これでいくか。

ケイコ
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