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資料を片付け、「バリバラ」お初に見て、ああ、やっと復帰      (翌日、末尾に加筆・なぞなぞつき)

このブログをアップして、4日間が経過した。
ハッタツならぬ、『自閉症スペクトラム』とも、
発達障害者とも言うべ人々が傷つく瞬間、
というのを、身を挺して、「なぞなぞ」にしたけれど、
今のところ、どなたからも、「あのときかなー、たしか」とか、
「もしかして、あのとき??」とか、推測してみたり、
思い当たるふしを言ってみたり、も何もない。
LGBTよ。異性愛当然社会の中で、
自分のことが伝わらないもどかしさを思い出してほしい。
自死に寄り添う方々。誰にも伝わらない深い孤立感、思い出してほしい。
これって、このあいだのイベントと二次会参加者への、
私からの「やさしい」なぞなぞなんですよ。
お願いだから、誰かこたえてくだされ!!5月15日に記す

翌日16日に書いてます。コメント欄に見えない形で、
Oさんから書き込みあり。あらら、わかってたんだ。
もう少し、書いてくださるのを待ちますね。
そして、いずれ皆さんの「ハッタツ研究」「ハッタツ感度」
担当ケイコとして発表させていただきまーす!!5月16日に記す。


今日まで居間にぐるりと輪になって、並べられていたLGBT関係の資料、あるある、まああれこれあるわい。あらためて、もともと持っているもの、持ってきてくれたものを見ていると、まあまあまあといった発見もあって、宝探しにあらさがし? だけど、片づけにはなかなか入れない事情というものがここ数日はありまして…。

いやいや、LGBTの資料の向こうには、自死遺族の分かち合いやら、
自死を語るタブーを考えるといった資料、
わがライフラインの「ハッタツ障害を持つ大人の会」の会報の山も。

そりゃあ、もうくたくた、起死回生のイベントで使い果たしたエネルギーや、すさまじや。
でも、意外に元気だったからこそ、輪を描いて、コンテナに入っていた資料を早々に並べていた訳だけどね。

昨日届いたあるお方からのおん手紙で、ずぶずぶと泥沼に入りそうになってからが、やばかったなあ。せっかく人生ここまで生きてきた上での、あのイベントの達成感が曇りそうで、いやはやこれはなんとか手を打たねばーって。

夜、また別の、ある方の関係者である方と、ゆーっくりお話しました。なんでここまでこういうことが遅くなってしまったんだろか。って、電話し終わってから思いましたわね。さあーっと、肩の荷が下りるみたいになって、でも、この一年余りの日々がなんだったんだーって。午前3時近かったです。

今日は、その余韻で、のえちゃんがいないことが、どかーんと来たね。ここまでやっても、ここまで達成しても、ここまで歩いてきても、「のえは、もどらなーい」ってことが、こういう時にはどかーんと来るのよね。私みたいな立場の人はみんなそうだからね。こういう感覚知らない人は学んでくださいな。

でね。前から見ようと思っていた、「バリバラ」やっと見たのよ。毎週金曜日ってのは知ってたけど、九時からって知らんかった。
これって「バリアフリーバラエティ」の略さ。今日のお題は、「健常者のありがた迷惑」。ははは、いっぱい笑っちゃった。
そして、むらむら、わいてきたものさ。
これを、「自死遺族」のことを知らない「明るい健全者」に置き換えたり、
「ハッタツ」のことを知らない「定型!!」の奴ら
…おっと、敵意むきだしにしてはいけない…方々と置き換えたら、どうなるかなって。


「バリバラ」見ていて、何か既視感があった。そうだ、あれだ。「クールジャパン」を見てた時の感覚。
あれって、日本文化を外国人の目線で、縦横に切りまくる、良いこと、おかしなこと、見つめ、見つけて、ちょって文化的で楽しくって、まあ私はやっぱ笑えた番組だった。
日本の水洗トイレの偉大さ、世界に類を見ない繊細さを知ったのも、この番組でだ。


さて、私は叔父が聾唖者で従姉妹二人も聾唖者だった。
脳性まひの夫婦が車椅子でベロ亭に通ってきていた時代もあったよ。ベロ亭の子どもたちが小さい頃だ。
視覚障害者の外国人生徒を教えた経験を、仲間の日本語教師から伝え聞いて、ものすごく興味深く思ったこともあった。

「健常者」の「親切」のつもりが「ありがた迷惑」のありとあらゆる例が、笑い飛ばされて、ランキングされて、ははは、まあよくできた番組でしたわ。当事者がある種、精神的には余裕で笑い飛ばしているから、番組として成り立つんだよね。まあ、そういうふうに編集もできてる訳で。

私は何度も「ネタ」にしている自分のあの体験を思い出していた。

「まったくねえ。その人は確かに、娘の危篤の報が入った時にいた人だから仕方なかったかもしれないけれど、その後、久々に日本語教室に行こうとしてばったり、そうその10日後にもならないくらいに町で会った時、私の顔を見て、立ちすくんじゃったんだよね。それでねえ。あああーって思って、さりげなく近づいていって、彼女のこと、抱きしめたの。だって、あんまり気の毒だったから。私にばったり会ったのが、怖くってかたまっちゃったんだろうけどね。
そしたらさあ。彼女が後から、周り中に、「ケイコさん弱っているわあ。」って言いふらしているって知って、バッカヤローって思ったよ。立ちすくんでいたのはそっちやろー。こっちは、抱擁してやったんだからね。」

すいません。言いふらしてなんかいなかったかもしれないね。親切に、感じたつもりのことを言ってくださっていたんですよね。

もう50回くらいは、このネタ、話してきたかもね。
こんな経験、自死に遭遇した家族というか身内は、みんな味わってるさ。でも、この場合は判りやすすぎると思わない??
ただ、私が彼女を抱擁した、って点が、「異文化」だったかもね。私が弱っていて、彼女に抱きついてきた??って解釈もありかなあ。あくまでも、私はしっかり彼女を抱きしめたんだけどね。余りにかわいそうで、気の毒で…。
それに、南アメリカ体験で、ハグはしつけていたからね。

はてさて、バリバラ流のハッタツネタなら山のようにあるさ。
まあ、ハッタツネタは、当事者ももう自ら笑えるからねえ。
でも、「笑いもの」にされたネタは、やっぱり怒りになる。その上で、当事者同士では、一緒に笑って、バッカヤローって言い合えるけどね。

ある方とのおつきあいの途上で、まあ、あんまり内容のないおつきあいしかできないことがさびしいし、まあ時間の無駄?? かもって感じで、メールで、
「●●さんとは、そんなにひんぱんにメールのやりとりはできないかと思います」
って返したんだ。そしたら、まあ驚くべき事に、
「判っていますよ。ケイコさんのブログに、ケイコさんは自閉圏だって書いてありますから、そんなに人とひんぱんにおつきあいできない事くらい、知っていますから」
って返ってきて、この人ならさもありなんと思いつつ、きっと「自閉症」という事で検索とかしたり、まあ「自閉」という文字だけで、まさに文字通りの典型的な自閉的解釈!!
で返ってきた事がおかしくて面白くて、でも黙っている訳にはいかないから、
「余りにステレオタイプな勘違いにびっくり。私ね。思ってるんだけど、あなたもハッタツ仲間。ADHDとLDあるかもよ。」
って返したら、逆切れされたんだな。これは、まあ10回くらいはネタにさせていただいています。これ読んだ、その方、怒らんといてね。これ、ものすごく典型的なというか、そうステレオタイプな大間違いというか、勘違い。

たしかにそういう場合もあるかも。でも、そういう場合じゃないほうが多いかも。
人とそんなにつきあいたくない自閉もいるし、そうでもなくって、どんどん人とつきあう人もいるからさ。
それって、
同性愛者に対して、
「私のこと襲わないでね」
って言うのと同じくらい、ばかばかしい事って判ってくれたら嬉しいんだけど。

ハッタツネタ、まだまだありますよ。でもね。
実は、私、ちょいと傷つきました。この間のイベントのとき。
それは二次会の席。皆さん、気づかなかったでしょうけど。
ケイコさんはなかなか何言ってるか判んなかったけど、ヒデコさんに電話替わったら、すぐどういう話か判ったのよ…

って、あるいきさつをお笑い風に、とある方が話している時に、一緒に笑いながら、その時はそれでまあ良かったんだけど、じわじわとやってきたね。

「前後のいきさつも判んない二次会の参加者の前で、『ケイコさんの言い方では、なかなか何言ってるか判んなかったけど』、これってないよ。その言い方、ハッタツの人で、自分の事きちんと自覚できていない人は、私以上に傷つくよ。私はどうして、自分が『なかなか言えなかったか、そのいきさつを今思い出して、腹立ってんだけどさあ』って、一緒にお笑いした人にすぐ打ち明けて、深夜にもお電話して、お話して、翌日にもまたまた話して、彼女が二次会で、ざざざーって飛び出した気持ちのいきさつのほうも聞けて、一件落着となったけどね。」(自白)

発達障害者、ことハッタツは、自分の言いたい事、なかなか、もたついて言えないかもって不安感、いつもあるんだよね。だから、それを笑いのネタにされたら傷つくさ。でも、私はなぜ、もたついたか、ちゃんとに覚えていたから、説明できて、一件落着にも持っていけた。ただ、ハッタツ同士だと、『やっちゃったア』的な笑えるネタにはなるけどね。つまり、同類だからできる笑いさ。

自死に向き合って生きている人たちが、なかなか笑って、そうでない人を「槍玉」に挙げるのは、まあ、見向きもされないし、聞く耳も持たれないのが現実かもねえ。それに、当事者自身がまだまだ深刻。いや、一生深刻。深い悲しみと同居だからね。

でも、私、三月の『発達障害を持つ大人の会DDAC』のサロンで、自分の番組のアンコール放送の告知を、ハッタツがらみでする時、のえの事、言わなくちゃならないから言って、一瞬しんとしそうになるかならないうちに、
「深刻にならないで、ちゃんと聞いてよね」って笑って言った
75パーセントはその通りだった。でも、あと25パーセントは、心が痛んだ。そして、その翌日会った友達に、「笑って言った」事実だけ言ったら、「そうでなくちゃあ」と言われて、少し不本意だった。うーむ、ちょいとつらい。

でもね。私は『語る自死遺族宣言』したからね。
時には、笑うさ。時には、涙もいとわないさ。
タブーな
んてぶっとばせ。


ハッタツの私のジョークは、きついんだぜ。
変化球、直球、逆行度、透明度、抜群だから、なかなかこっちの内面は届いていなかったりもするんだけど、ハッタツで自死遺族である以上、その事も含めて、伝えられる時には伝えるさ。

えっ、何言ってんだか、判んないって。
そろそろ、やめとこか。

性的少数派がそうでない人を笑うネタは、まだ、やめといたほうがいいんだろうなあ。
でもね。番組見て、前から私達の事、知っている人達に、
「それがなんだ。もともと知ってたし」とか、
「何も私達と変わらないし…」とか
ただ、「なつかしさをありがとう」とか、言われると、
やっぱ、なーんにも判っとらんって思うんだよね。
私達がそうであるって事と、テレビに出て、多くの人にこの身をさらし、このファミリーをさらし、このパートナーシップをさらし、娘のことまで見せて、
「それがなんだ」はないやろう。
「何も私達と変わらないし…」はないやろう。

つまりさ。私達の番組でのカミングアウトの向こう側に、けっして自分の事を言えないでいる、そして、一生言えないかもしれないって思っている、同じ性的少数派が、日本中にいるって事、全く想像してない発言だって事。

要するに、それが「社会的」「画期的」選択だって事が伝わってないって事さ。

ついでに番組がらみで、最大のジョーク。
これジョークにしたら、これ斜めに、自分のつらさ含めて、私達に語りかけた人に対して申し訳ないかもしれない。でも、これは私には当時、とても痛すぎる物言いだった。なぜって、のえの事をも描いた番組の「出す痛さ」をこの人は感じていないって判ったからだ。

でも、言うぜ。言っても怒らないでくれよ。

最大のこの番組がらみのジョークは、
「この番組はさあ。若者描くのと違って、緑なんてたっぷり見せちゃって『保守層狙い』なんだよなあ。」

私達の事、よく知っている、余りによく知っている旧友、トモダチ、仲間たち、みんな本気で笑ったよねえ。
「この番組が保守層ねらいなら、この日本、とっくに違う日本さあ」とか、
「保守層、変えるほどの力があるなら、超革新的、まちがいなし」とか。
今回は、いっぱい出てきたねえ。
でも、心配しないでね。言った人のこと、とやかく言ってない。そう見えて、そう言いたくなる、そんな番組かもしれない。なにせ、異性愛者に、「なんも変わらん」とも言わせた訳だからさ。つまり、なんだか、
私達の多面的な柔軟さ、
膨大なムーブメントの歴史も
クローゼットに入れちゃった、
ご家族番組に見えてしまうってこと

それは一部の人には起きたろうことは、まあ少しは判るからさ。

私達は、旧来の「ご家族さま」なんて、否定したところから始まったからね。だから、こんな山奥に住んでいるのかもしれないしさ。うーん、なんか関係あるかあ。いや、これは逃避行の結果か。トーキョーへの絶望のせいだったか、田舎への無知だったか。

まあ、あの番組はなんたったって、制作者の家族観、親子観も反映しているのは当たり前。
いやいや、制作者には、ろくな家族観も親子観もないはずだって『証言』もあるから、必死であてはめようとはしていないってことでもあるかもしれない。
それでもね。短い時間の中で、「ご家族さま」を描いているからねえ。まあ、「のえルーム」は掘り下げる時間足りなかったし、でも「見える」人には、私達の生き方の延長って、ものすごく自然に見えてるって判ったりもしたし…。

5日6日のイベントに向ける日々、特に最後の追い込みの日々、私は、家中の大掃除に来た娘のサナエと、他の準備にいそしんでいるヒデコを尻目に、一人芝居していたって、この間のブログにも書いたよね。まあ、そんな時の、名演技は、このあたりさ。
ちょいと待って。「保守層ねらい」はネタなんかにしないよ。まだ心痛いところがあるからね。

でも、一人芝居では、やってたなあ。
自死に沈黙する奴らのこと。ハッタツの独特のユニークさに、ただ口あけて困ってる奴らのこと。ネタにして笑い飛ばして、イベントに向けて「けなげーに」ウォーミングアップしていたケイコさんがいたのですぞ。
たとえ、サナエにもヒデコにも見向きもされなくとも。
まあまあ、たまに、エネルギーありすぎって、あきれられて、笑ってくれてたけどね。
一人芝居そのものも、まあハッタツだけどさ。
うん、ちょっと悲しい。
のえも舞台うまかったからなあ。

うむ、今日のところは、このあたりか。
なんか、気を悪くした人いたら、言ってください。

二次会で私が傷ついた瞬間、判った人、コメント欄に見えない形で書いてください。
正解を出した方には、私から、熱い抱擁をおおくりしますから。
いや、黙って感謝の気持ちをかみしめますから。
えっ、コメント欄に見える形で書きたいって。それならそれで、きちんと最後までやってくれ。
笑えるまでになるには、そのイッシューで、成熟した熟練工にならないとね。
最後までやる事を通して、熟練工になる一歩が始まるんだからね。

さてさて、お答が判る方の、見える、見えない書き込み、待たないで、待つ。

判る??
待たないって言わないと、待つことがつらいハッタツ特性。
待つって言わないと、待っているって人が気づかないかもって思っちゃうハッタツ特性。

とりあえず、マルチイッシューならぬ、マルチマイノリティの一部、トリプルイッシューで、突っ走ってしまったけど、誰も傷つけていない事、やっぱり祈っている、ハッタツの私は、「不安とやさしさと、畏れとデリカシー」で「ふるえている」んだよね。

うーむ、そろそろやめよう。つきあってくれてありがと。
長々書いて、ありがとうって礼を尽くさないとすまないのも、ハッタツイッシューなんだな。

ヒデコ、何やってるって? 作陶中。工房内。
明日は、陶芸のワークショップで原発の集会行けなくて残念がっている。

私は、おそらく、いや、まちがいなく、
のえの原稿を再開する。

それから、イベントとツアーの参加者へのお礼の手紙も書くからネエ!!

ケイコ

つけたし
一日たって思ったけど、昨晩の『バリバラ』のいわゆる『障がい者』の方々、もしかしたらだね。
これは、あくまでも例外もいるかもしれないけれどってことだけど、
経済的にはめちゃ恵まれていたんじゃないだろうかって、
むくむくと、もたげる思いに突き上げられている。いや一人一人、違うだろう。
でも、どこかに「ゆたかさ」を確保していられる余裕みたいなものが、
なんらかの形であったのだろうとは想像できる。
その背景には、経済的豊かさ、で確保できる精神の豊かさ??もあるかもしれない。
経済的に豊かでなくとも、精神的にめちゃ豊かな環境で育ってのりこえる場合だってあるかも。
私の従姉妹は、同じ、聴覚障がい者と結婚したがために、子どもを産まない約束をさせられた。
妹は健常者と結婚して、子どもを産んだ。「幸い」子どもは健常者だった。
「遺伝」の連鎖を恐れざるをえないほどの「並々ならぬ苦労」を、父の弟である叔父夫婦を守りつづけた、
叔父の妻の妹夫婦は、そういう決断を従姉妹に強いた。
あの頑固な私の父だが、この件だけは、「おかしい」と言いつづけた。
父は、10歳の時から親元を離れて、健常者の兄として、
聾学校に入った弟の面倒を、預けられた先の寺で見つづけた。
これについては、いずれ書く。
今だって、「健常者のありがた迷惑」を笑えるマイノリティや弱者はまだまだ少ない気がする。
とりあえず、テレビを通して笑って元気づけってことか。
切ないなあ。急に、いろいろ思い出されてきた。
一応、つけたしだから、これまで。あらためて、独立したブログで書くよ。
昨夜の『バリバラ』の出演者だって、一旦街に出たら、とたんにさらされるんだものね。
私は、父と共に、聾唖者という表現が生きている時代と共に、
父と、父の弟一家に触れてきた。だから、あえて今も「聾唖者」と書かせてもらった。
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| | 2012/05/15 22:58 | |















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