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写真を持ち出す・花を買う・のえの「生と死」は誰の「生と死」なのか

いよいよ、イベントが明日という今朝、いつもより早めに11時に起きだしてしまった。
あれもこれもやらなければならないこと、
最後に申し込んでくる人との電話での再三のつっこんだ、そして丁寧な会話で、
あるいは事前に問題をある程度、整理しておくための電話で、
ものすごいエネルギーを費やしている。

おとといの晩は、パワーポイントで流す、番組の感想、
イベントへのメッセージなどを編集しながら整えて、制作する南さんに送信。
それから眠ったのは、朝の6時。つまり、おとといの晩なんかじゃない。

今日は、それでも5時半には寝れた。
昨日よりは1時間少ない睡眠だけれど、明日からもう少し早く起きれないと、
イベントに遅れちゃうからねえ。起きだしちゃった。

昨日、夕方、残りの必要なモノの買出しに町に出て、
日本語教室の隣りの部屋にある、のえの写真の額をとってきた。
久々に専門の花屋さんでどっさり赤い花も買った。

このあたりから、私に何かが降りてくる感覚が始まった。
熱いものがふとこみあげる間もなく、そそくさと用事もしているのだが、
この番組の、もう一つの、というより、
私にとっては、他ならぬ原点でもある、「のえがこの世にいない」という事実に、
あらためて直面しなおしながらの作業という側面がむくむくって出てくるのだ。

駅に早苗を迎えた。
帰宅後は、早苗はせっせと大掃除の続き。ヒデコはあれこれ忙しい。
私は膨大な資料を分類整理するところから始める。

二本の大事な電話を、心をこめてし終わった頃から、
私の心が砕けそうな感覚にまた襲われた。
襲われるままに、冗談、ばか笑い、が嵐のように頻発して、
早苗に、べてるの家状態、だと言われた。
空なら、べてるなんてもんじゃあないよなあ、と言うところかな。

笑っているのに泣いている。
悪口雑音言いまくっているのに、心は叫んでいる。
たまったもんじゃあないわい、怒りがつきあげてくる。
自分のなかに、つきはてそうなエネルギーの淵で、
ここまで来ると、自分でもあきれるほど湧き出ずるエネルギーにあきれるほど。

手元の資料の整理は、やや冷静さを欠けるが、なんとか普通にこなしている。

二人だけだったら、号泣していたときに、私はそうしているのかもしれない、
そういう自分をどこかで意識しつつ、二人でも、こうしているかもしれないと思う。

「あいつらに、のえは紛れもなくこの世に存在していて、
それで、本当にホントに、この世からいなくなって、どうだって、
あなたたちの心の中に存在する以外にないんだってこと、
わからせてやるー!」
てなもんで、テレビ画像のちょっとしたお話として、
スルーしたやつらが頭をよぎって、大声で一人芝居をしていた。
素晴らしい演技だったと思う。
卓越した表現力は、魂のうずきがそこまで表現させてしまう、
そんな一人芝居だよん。
二人の観客は、のったり、やらせっぱなしに放っておいたり、
あんまり良い観客ではないようだ。
そもそも、私のこういう状態をがはは笑いつつも、
あちらはあちらで、
「ねえー、このペルーのお人形たち、どう並べたらいいか、わかんナーイ!」
なんて、叫んでいるからね。

二日前のシンボルスカの詩が入っていた状態は「高尚」だったかも。ふふふ。

とっくにキャパなんか越えているけれど、
昨日は、さすがの私も、体も心も魂も、キャパ越えたよね。
トークなんかどうなったって知るもんか、って思えるところまで来たから、
これは上々だ。いいトークになるに違いない。
飾ってらんなーい。かわいく、楽しく、にっこり、ざっくり、
ずだすた、びしぱし、あの映像なんてうっちゃりで、
どすんと座った心臓だけが頼りで、いやはや何も頼りなんてなくて、
死んでもいいからそこにいてやるぞー。
否、死ぬわけにはいかないから、死なない程度にそこにいよう。
死なない程度に、皆々様に刺激的でやさしい午後をささげよう。

のえの写真を持ち出した。
2008年10月7日と8日の二日間に、
集まった人々の中心に置かれたその写真は、少しだけ湿気を帯びていて、
気づかなければ気づかない程度に色も落ちていて、
まるで、この年月の証しのように、のえの長居公園での笑顔を見せつける。

その写真が放つ、のえの存在感、笑顔、
のえの後ろに見えるテント村の青いビニールシート。
それらが皆、余りに切なく、余りに歴史的に映る自分に驚いていたひととき。

のえ。
私はあんたと共に、今、どこに行こうとしているのだろうねえ。
のえ。
私たちのやっていることは、まったく見ちゃあいられないものかなあ。
のえ。
また、紹介させてもらうよ。
天からの声ではなく、地上の路上で、あんたが20年前に唄っていた、
その時の空気感と共に、ひとり声を放っていたその時ののえの唄を、
ういういしい、あの唄を。
まったく、特別サービスもありゃあしない。

でもね。
ここまでしないと、みんな、人間の生と死も意識できない時代になっているんだ。
だから、のえは偉大なことをなしとげてしまった、今、そんな気すらする。

のえの「生と死」は誰の「生と死」なのか。

そういえば、あの番組で後半、ご家族のこと描いてましたねえ。

ばっかやろう!!

「ビアン通信」のクーさんは、ビアン特化ブログかもしれなくとも、
あの一年前の震災の日、この番組についてアップするのに、
レズビアンであるなんてことはどうでもよくて、
のえさんのことしか頭になくて、心になくて書いてくれたんだと、
昨日のコメント欄に書いてくれていた。

これは、他のLGBT特化ブログには少なくとも1年前にはなかった現象で、
私は稀有な出来事として心に刻んでいた。
「ビアン通信」はランキングを争うほどヒットしているブログだ。
でも、主宰しているクーさんのお人柄で、
時々、その域をこえた叙述があるのは確かだ。

書ける方だから読めば面白いけれど、なぜか私は、
微妙にこのブログとは距離をとっていた。
クーさんとのやりとりは、断片的ではあれ、きちんと続いていたけれど。

これはおそらく、言葉の方向性のようなものを、
それぞれが「書ける」人間だから、似て非なるものとして、
逆におおいに意識しなくてはならない結果を私にもたらしたとも言える。

私は人間の心だけを見ている訳でないこと。
社会の構造のすさまじいギャップが人にもたらす、魂の闇をも見きわめようとしている。

そんな私の、「許すために許さない」姿勢が、時に「書く」人とも、
「表現する」人とも、距離を取らせる。

私は私を変えてきた。
私はヒデコを変えてきた。
ヒデコは私を変えてきた。
ヒデコはヒデコを変えてきた。

共に成長し、成熟の域になる年齢でも、とことん言い合い、ぶつかりあい、
そして、とことん笑い、冗談を言いまくり、そして生き延びてきた。

のえが逝ってしまった後も。
息子が障害を持ってしまった後も。
娘が重い手術を受けつづけていても。
娘が大変な労働に明け暮れていても。
娘が孤独な育児に明け暮れていても。

遠くの友人が、近い心で心配する。
手が伸ばせないほど遠い、私達の暮らしを心配しながら、言葉をかける。

そんな人々とも、
初めて会う人々とも、
ある種、必然的とも言えるめぐり合わせで、
番組作りへと共にいそしんだ制作者とすら共に、
私達は、ここまで来た。

のえの写真を持ち出す。

どうしていいか困っていた水引のついた袋の中に入っているお金を使って、
久々に赤い花をいっぱい、思いきり買った。

のえの「生と死」は誰の「生と死」なのか。

私は心から投げかけようとしたいのかもしれない。
想いきり、その意味を投げつけたいのかもしれない。

本当にレズビアンと関係ないの。
そのことは。
本当に、のえは何者だったことになってしまったの??

のえの「生と死」を取り戻すために、
私は魂の仕事として、明日に向かう。
まるで、みそぎのように。

時々、この日々を引っ張ってくれている、
のえの力を、その気配と共に、はっきりと感じている。

のえは言っている。

私の「生と死」は一体誰の「生と死」になってしまったの??
この写真は誰??
この花は誰のためのもの?

ケイコ


つけたし  これを書いた後に、ヒデコが何をしていたか知らないだろうと、
       言われちゃった。それを知っていたら、私は私でなくなってしまうからねー、
       そうこたえた。
       明日の二人のライブトークで、そのことが判るって、予告だけあったわ。
       なに、それ。
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| のえと共に | 12:43 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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