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なぜ私がはいつくばってやらねばならなくなったのか・やりたかったはずなのに…

http://www6.ocn.ne.jp/~berotei/5.5shu.pdf
フライヤーがダウンロードできます。


疲れた。関西行きに意味があったとしたら、あのフライヤーをデザインしてくれた、
つかさ君に会えたことだけか…。

おとといと昨日、二日続けて、ある意味、
同じくらいのステータスの、でも全く違う立場の男性に、
「テレビ番組なんてそんなもんですよ…」と言われて、
やってらんなーい! って、もう心がちぎれそうになっている。
この人たちが、なんでもない話題としてこれを言ったならいいよ。
私に何がこの一年に起きたか、判った上で、少なくとも言葉の上では判った上で、
言ったんだからなあ。
やってらんなーい。

昔、痴漢はやられたほうが悪い、とすら言われることに過ぎず、犯罪ではなかった。
今は、電車のホームなんかに、大きく、
「痴漢はまぎれもなく犯罪です」とかなんとか貼られている。
レイプとてしかり。それでも、痴漢もレイプも続いてはいるのだろう。

ほんの少し前まで、飲酒運転はまあ仕方ない類のことだった。
高速で、ほろ酔いの運転手の運転するトラックにぶつけられて、
幼い女の子が二人、炎上する車の中で死んでいく姿を見た両親が、
法律を変えた。
飲食店が飲ませる飲ませ方を考えなければならないような時代が来た。

ドラッグについても考えることがある。
ソフトドラッグは、タバコや酒と同じように、違法ではなくして、
必要最低悪にして、そのかわり、
精神疾患を持つ人間にすすめたら、罰金という制度があればいいと思う。
ソフトドラッグもハードドラッグも厳罰の日本では、
薬物依存から手を引く、そんな道作りはありえない。
一速飛びに島送り…だもんなあ。
おまけに、精神障害者の家族は、ソフトドラッグによる病状の悪化に、
満身創痍で対処するのを余儀なくされている現実。
ドラッグをすすめた奴は、責任すら取らなくていいなんて許されない。

同じく。

自死遺族に、無為な沈黙を守ったら、罰するなんておかしいけれど、
せめて常識として、敬遠されたり、噂されたり、そんな世の中の常識が変わってほしい。
自死遺族を噂にして、えじきにして、また自死遺族の家族に自死があったら、
罰する世の中になればいいと本気で思う。
そんなこと、全く誰も考えていなかった時代に、
あの「のえルーム」を全国放送に流した、親御さんが先鞭を切って、
「語る自死遺族」をやってくれたことで、常識変わったよねえ、
そんなふうに言われる時代を、現実に思い描いてもみる。

なにか、私だけが、敏感で手に負えない、言いがかりをつけているような、
そんなふうに思われていることに耐えられない。
これら、全ては、自死遺族の「分かち合いの会」に行ったら、
一秒とたたないうちに、すでに周知の事実として、全くその通り!!
と誰もが頷く事柄だというのに。

私は、今度の5日のイベントで、「自死遺族」の代表として、
自分の身をさらすのは勘弁したい。
その席に、何人かの同じ立場の人がいて、
そこに、ほんとほんとそうだよねって雰囲気が満ち満ちていて、
安心して語れないなら、今からでもこのイベントをやめたくもなる。

そして、余りにもユニークな、還暦を迎えた発達障害当事者としても、
そこに一人だけ存在することに耐ええない。
自閉症スペクトラムを生きていることが、
どんなにか「ふつう」を強いる世の中で、見えにくい苦労と、語りにくい苦悩を、
生かされているかを、実感として知らない人々と同席したくない。

本当は、自覚していないハツタツ当事者も実に多い。
私の見聞からいくと、LGBTの半分はハッタツと言って過言ではない。
その半分は、本当に生来のハッタツ。
その半分は、LGBTの自己否定感と、ハッタツが強いられる自己否定感が、
きわめて酷似していることも大きく作用している。

私は豊かすぎる、マイノリティ性を今、もてあましている。
豊かなはずの自分のマイノリティ性が、また5日のイベントで
ただ単に消費される恐怖と不安にちぎれそうな自分を持ちこたえている。

信頼する自死遺族の分かち合いの会のMLに告知を流すのが遅すぎた。
ハッタツの大人の会の大阪には、
とっくのとおにフライヤーを送ったのに、
大阪府の事業をおろされて、皆打ちひしがれていて、
対応できずにいることを知って、私もまたずきんときた。

フライヤー作りが遅くなったのは、
東京からの講師の決定に時間がかかったことがある。
のらくら、紆余曲折、丁寧に対応していたけれど、
アンコール放送の時から決めていたイベントに、
こんなに事実上手を染めるのに時間がかかることになった、
その一因に、東京の人の都合があると思うと、
その人がどういう人かを超えて、怒りがつのる。

東京でイベントやる時と違って、人集めには時間もかかる。
ましてや、連休のイベントだ。早めにゲストを決めて、かかりたかった。
その想像力が、東京人になかった証明みたいな事実に悔しさがつのる。

私は私で手順をふんで、
やっぱり、自死遺族の会のMLに書き込める精神状態にもっていくのには、
それなり自分の胸を熟させたり、そんなふうなことだって時間が要る。

結局、東京人の「地方差別」は、このイベントの参加者一覧を見ると、
実に明らかに浮かび上がってくる。
他の地域はいろいろあるのに、首都圏からの参加者だけ、
ゲスト以外はすっぽり抜けている。
違う国なのだろう。

日本とロシアが違うように。
日本とイランが違うように。

日本の若者が国際反ホモフォビアの日に、
世界のLGBTの現実には、なかなか目を向けないのと同じような現実が、
ここでも進行しているのだろう。

東京に行って、東京に集約できる地方の活動は、
東京で歓迎される。
東京で、福井でもこのイベントやれますか、って、
言われるだけで、注意深くなる。たとえそのイベントの内容がオーケーでもだ。

この落差を理解しない人とは組めやしない。

私は5日を迎えられるだろうか。
5日を真摯に迎えられるだろうか。

昨日も今日も、参加希望者からのメールで、
迷いを聞いたり、相談にのっている。
どうして?
どうして?

私は早く、のえのCDブックの原稿を書き上げたかった。

アンコール放送。
あれはなんだったのか。

出演者の枠をこえて、いろいろ提議した。
心を砕き、つまりハートを粉々にして、
「ハートをつなごう」に貢献した。
私達がこの一年に受けた、
二次被害をまたまた繰り返したくなかったから。

制作者もその枠をこえて、
考えられないくらいに奮闘した。最後の最後に。

そして、今、私は誰と、どこに向かおうとしているのだろう。

仲間が見えない。
命のひびきが聞こえない。

皆、いつわりと嘘と、うわっつらの奇麗事に紛れて、
逃げ出そうとしているように見える。

私は、語る痛さに耐えたくない。
私は、さらす痛さに耐えたくない。
私は、一方的に相談されるエネルギーに耐えたくない。

私は私でありつづけたい。

私の特性をあわせもつ人々と共に。


でも、それらの人々とて、たかがジャンル別の共通性に過ぎない。

私は深く潜伏して、もう一度私が私であることを見つめたい。
深く、心静かに、誰にも邪魔されずに、誰にも期待せずに、
誰の表現も借りずに、
映像のチカラも借りずに、人の言葉も借りずに、
私自身でありつづけるための、
自分の表現を獲得したい。

土曜日に会った若者が言っていた。

「なぜ、僕らは、ここまでこんなに大切なお二人を、
身を粉にして動かさせてしまっているのだろう。
なんとふがいない僕らだろう。
15年たったら、やっと皆は気づくんだろうか。」

ケイコ
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