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拠ってたつべきものは?…永瀬清子さんの「夜ふけて風呂に」寄せ

底知れない疲れをいだいている。
首筋がつったようになって、からだがそこから硬くつっぱっている。
からだを立てていたくなくなるような、力のなさに支配されそうになって、
ひしととどまって、自分を保っている。
少しずつ動き出せば、今日もなんとかやり過ごせるだろう。

自分が何者かを見失う事は私は死ぬまでないだろう。
ただ、見失わないための気力を保つために、からだがやにわに蝕まれつつある。

ヒデコは午前中から、今日も続く「ペルー展」のために、
睡眠時間を削って、車で一時間の福井市にある会場に出向いている。
いろいろなきつさが、私達の日々をおおい、打ちのめされそうな事すら、
時に笑いにかえて、でもやっぱり動かしがたい現実はあって、
それは、二人とも紛れもなく心身の限界にある事、
どこまでも続くビンボー暇なしなのに、
希望を紡ぐことをやめられない人生の途上で、
時にやるせなさすぎる「絶望」に立ち会うことから生じる疲れだ。

何も保障されている訳もない人生から、
旅そのものが人生となっていったのは必然で、
今さら、二人が前を向いて歩く姿を「賞賛」されても間に合わない。
もう間に合わない。
本当に、もう間に合わないのか。

本当に、もう間に合わないのか、という私達の人生をも賭けて、
一ヵ月後に臨もうとしている事で、
人様の都合にいちいち耳傾け、人様の交通費にいちいち気遣い、
人様の「絶望」もよそ事ではなく手を伸ばそうとして、
砕けそうな、わが心と魂に立ち止まる。

そんな朝、いや昼。
一つの希望のような明るい赤が基調のデザインのメールと、
「かもしれません」ともどかしく「おぼつかなさ」ばかりを告げる、
ある大きな組織の端末のような人物からのメールに慄然とする。

一声、携帯電話の信頼をつなぐ声に目を覚ます。

私達が「差し出した」人生とはなんなのか。
私達が、鮮やかな血の色も、珠玉のような涙の透明さも「差し出した」
あの映像とはなんだったのか。

こんなとき、私をなんとか立ち止まらせるのは、
もはや、永瀬清子さんの晩年の詩の言葉でしかありえない。


夜ふけて風呂に……港野喜代子の魂に

夜ふけて一人風呂に入る時
私はもう疲れはてている
おふろの縁に頭をもたせ
立ち上がれないほど重い物体になってしまう
半分はもう石なのでもうすぐ沈むかもしれない

そこからもう二度と立ちあがれなかった友よ
彼女は私と同じだったのだ
それが女詩人の究極の道ではないのか

野花をとても好きだったその手は
いつもたんぽぽや野菊をかかえていたが
いま手答えのない夜の湯舟で無をつかむ
いつもチューブのように自分を出し切ってしまい
立ち上がれなくなった友よ
いつも夜おそく自分の腕に自分で注射していたね

昼間のさわがしい人々の中で
惜しみなく詩を振り撒き
どこかの空へ駆け上って行ったのか
何もまとわず 肉体さえもぬぎすてて
誰の助けも求めず
魂は渕からとび立って行ったのか
好きな小鳥の群れとぶ空の方へ
雲をたがやしに行ったのか

私もやがては行くだろうよ
でも今日は何とかふるい立って
湯舟の湯をいま一ト掻き!
私はしぶきをとばしながら
この四角の棺桶型の
湯舟の枠をまたぎ出る
現世の方へと……

私は現世の大タオルで
ぱっと自らのしずくを抱きとろう
今ひと息 この世ではばたくため
仮りの大きな翼に包まれるようにと

永瀬清子詩集「あけがたにくる人よ」思潮社刊 より


私もまた今日、花をできるものなら植えよう。
少しはウォーキングをして、「出し切ってしまった自分」から、
なにかまた新しいものが満ちてくる気配に耳を澄まそう。

「女詩人」のところを、今の私は「うたうたい のえ」にも、
「希望の種まき人」でありつづけた私達の人生にも置き換えて読める。

永瀬さんはこの詩を80代になってから書かれたのだから、
まだ60代の私達二人には、まだまだ大きな現世のタオルが、
待っているはずなのだ、と信じなおして。
信じなおすつらさに耐えて、信じなおして。信じなおして。

まだまだ、なん息でも、はばたく気配に身を包まんとして。
その気配の芯に響く人生の不思議を見失わずに。

そして、今をつなぐ電話も待とう。

4月4日午後3時

ケイコ
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| 詩の世界から | 15:12 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

永瀬さん・・・・恵子さんのメッセージで
私も昔、確か持っていたなと
本棚にあった、ちっちゃな詩集を
読んでいます。

| レバ | 2012/04/07 19:55 | URL |

永瀬さんは御歳80であのような詩を書かれたのですか!! うーん、まだ50にもならない私の嘆息などあくびみたいなもんですね。今日行きのひこーき掴みました。まだ地面を踏みしめる足を持つ者たちの集いの場へ、手をつなぎあってともに生きていく結び目を作れたら。

| けろたん | 2012/04/04 22:08 | URL |















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