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永瀬清子さんの生家の庭には、梅が咲きかけていた

ナガセオハカ



女性詩人の最高峰の一人であることは、紛れもない事実なのに、
永瀬清子さんが、そんなには知られていないのは、
功名心を全くもたなかった彼女の生き方のためだったのだろうか。

春浅い、岡山での一日。
私達二人は、友の運転する車に運ばれて、郡部の山間の町にある、
私の大切な大先輩の詩人、
永瀬清子さんゆかりのものが並ぶ資料室、そして、生家へと出向いた。

数回お会いした事のある、大切な詩人、余りにも大きすぎて、
「師」とは言いがたく、ただ、私が書くことに力を注ぐときの、
根幹からの拠りどころでもある永瀬清子さん。

金沢の朗読会で二回か三回、最後に住まわれていた岡山の南方には、
90年代のキャラバンの折、一日をとって、お訪ねしている。
「詩はね。よんで聞いてくれる、ほんの何人かの人のためにあればいいの…」
私のほうを見ながら、そう言った永瀬さんは、
ほんの雑魚に過ぎない私の存在をも大切に対等に扱ってくれる、そんな方だった。
「そうなのね。あなたは、私の詩を熟れた果物のようにめでてくださっている…」

最後の詩集のタイトルにもなった『あけがたに来る人よ』を、
金沢で朗読された時の声の響きを私は忘れない。
まるで、突き放すように低く静かな…。
それから、あの奮い立つような「夜ふけて風呂に入るとき」で始まる詩。

1995年2月17日、阪神大震災から丁度一ヵ月後、
永瀬さんご自身の88歳の誕生日でもあるその日、永瀬さんが亡くなられた
という報を、新聞の訃報欄で見た。

私のような者が、ひとときでも永瀬さんのような方とご一緒できたこと、
それはかけがえがないことで、それ以前も以後も、私の生きる根幹を支えてくれている。

前の晩、友にほんの数言、そんな永瀬さんのお墓が岡山のどこかにあるはずだ、
そう私は告げただけだった。
ところが、翌日、彼女は余りにさりげなく、資料室へと、生家へと、
そして、とうとう生家の隣人の案内で、永瀬清子さんの墓所まで私をいざなってくれた。

そうして、その日は、
つらかった日々を断ち切るように決行した今回の旅の最深部となった。

資料室には、永瀬さん自筆の水彩画と筆で、私の胸に常にいすわっている、
短章集の次の一節が、額入りで展示されていた。
胸の底から暗唱しなおすように、私は低い声で読みあげていた。

   
    すべての悩みは

 すべての悩みは私らにとって解きほぐされんために存在する。
 錯綜する悩みの中に在る私は、早春に咲こうとする蝋梅の林の中にあると同じか。
 皮膚には棘が、そして香はまだただよわぬ。

永瀬さんに絵心があったのは知らなかった。
自筆の詩の言葉と、蝋梅の、よく見ると棘が浮き立つような筆致。

私はそこに立ち止まったまま、もう一度より低く声を出し、たたずんだ。

生家は、ようやく地元の行政や文化機関が、彼女の存在の大きさに気づいて、
17年たって、慌てて彼女の生家を保存しかけているといった風情で、
一部は白い幕で囲まれ、一部は下支えがされて、崩れそうな壁をなんとか保っていた。
白い壁が横から見ると三角形にそびえて、
どことなく凛とした風情をかもしだしているのが心に残る。

私がヒデコに写真を撮ってもらったのは、
少し中に入った雑然とした小庭のようなところ。
なんだか、それ以上は、はばかられるような、そんな気がした。

友が隣りの家に住む老人に声をかけ、老人は足を引きずり引きずり、
私達三人を、高台にある永瀬清子さんの墓所に案内してくれる。
今度はその老人が、高台に何段かになった墓所を掃除している老婆に声をかけ、
案内はそのおばあちゃんに引き継がれる。

がけっぷちにへばりつくように、もう何代も何代も前からあっただろうそれらの墓石の、
一番上の段にある、永瀬家の墓、に永瀬さんは眠っていた。
「清さんの墓はここじゃよ」
使命を果たした老婆は、さりげなくそこの場所に立って言った。
永瀬さんの本名は、清。
どんなに詩の世界で偉業をなしとげようと、
ここでは彼女は清さんなのが、切なく、でもうれしかった。

お参りした。生前の感謝と、今の私がしようとしている事の中で、報告もした。
もったいないから、これ以上は書けないけれど。

永瀬さんのお墓は、どのお墓とも何も変わらず、ふっと、
「この村には友達というものはないのですか」という彼女の詩の一節が思い出された。
それでも、それ以上でもなく、それ以下でもなく、彼女はここにこうして眠っている。
そして、私はその前に立っている。
手を合せている。

坂をゆっくりたどって下りて、また、永瀬さんの生家の前を、
友の車に乗って過ぎた。
さっきは見えなかった通りに面していないほうの大きな庭が垣間見えて、
そこに確かに低い木があって、梅の花が咲きかけているのが見えた。

「あっ、梅。あの梅だ…」
友はすぐに、「停めようか」と応じる。
「ううん、いい。ここから見えたからいい。」

永瀬さんが育った家の庭に咲きかけているその日の梅の花。
それだけで、私には十分すぎる。それだけでいい。

夜、私はふと永瀬さんのことを、カウンターに座る別のお客さんにも話していた。
どうして、岡山の人たちが彼女の事を知らないの??
もったいないように思えて、私は知らせたかった。

私は自分の根幹に帰って、
我におのずと返って、
Lであることも、ハッタツであることも、ぶっとばして、
ただ詩人でありつづけようと立ち直すそんな時間の恵みを、
魂の底からめでている自分に少し安堵した。

永瀬さん、見ていてください。
ほんの雑魚みたいな私だけれど、
やっぱり捨てられない、私の言葉の仕事。
私のものであって、私のものでもなくなるような言葉さがし。

雑魚には雑魚のとりえもあって、
ほんの一瞬の梅の花をもめでて、
私の満身は、永瀬さんのあずかりしらぬ私のこの一年で、
棘だらけだけれど、
きっと薫り高くその棘の傷をおおうように、
たちあらわれる言葉をもって、
私は私でありつづけることをやめはしない。

永瀬さん、見ていてください。
のえがのえであったように、私が私であることを、
ほんのたまにでいいですから、見ていてください。

私はぜいたくにも、少しだけそう祈っていた。

ケイコ
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| 詩の世界から | 21:48 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

もったいないひと時のお裾分け、頂戴しました。石垣りんさんも南伊豆町に記念室ができてます。そのうち行ってみたいところです。http://www.town.minamiizu.shizuoka.jp/top2.php?cid=7-1-

| けろたん | 2012/03/27 20:42 | URL |















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