のえ、今、天国からなにが見える?
東京から帰宅してはや三日。とうとう昨日から雪が降り出しました。
今や、本格的な降りっぷりにやや不安。明日にはいっそう積もりそうです。
今回の東京行き。なんだか苦い苦い滞在でした。
一週間以上も、ベッドごと居座ってしまって、おまけに39度もの高熱を出してしまったから、
他に泊まりに行くに行けず、早苗と早苗のパートナー氏には、本当にお世話様でした。
体調のせいで、幾つかの約束をキャンセルせざるをえませんでした。
それはそれで殊勝に楽しみにしていたり、番組後初の会話を待っていたり、
もしたものでした。でも…。
それは無理。これもなにかの摂理でも働いたのかな。
もう、『賞味期限』は切れましたよ。というよりも、もっとなにかいわく言いがたいもの…。
最後の日、
あるLの若い女性が、ふと「私は、のえさんを知らないから…」と言い始めて、
私の中で、ぷつんと大きく音を立てて終わったものがあるのを確認しました。
それは、そう言った彼女のせいではありません。
そう言うのを聞くことを、私の人生でこれ以上してはならない、という警鐘のようなものが、
人生の大鐘みたいに、私の中でとどろいたのです。
私の中で、のえの人生がやむことはない、
私はそのことを見続けることをやめないし、だからこそ、
間もなく仕上げるだろう、のえのCDブックの原稿書きにも向き合う。
あの映像の中で、私はどんなにか、「生きた」のえに登場してほしかったことでしょう。
それは今も変わりません。
きっと一生変わらないと思います。
だから、聞いてはいけないのです。
「私は、のえさんのことを知らないし…」という何気ない言葉すら。
それに、のえの唄を聴いたり、のえのブログの日記で、
充分に知った気の人がいるのも、またもう一方の事実です。
のえのことを映像にし、のえルームのことを全国放送で流し、
そして、それはどんなものを残したり残さなかったりしたのでしょうか。
あるLの女性は言った。
「すでに3年たってすら、その感情がおさまることはなく…」
必死に私からの問いかけに答えた文面でしたが、
その想像力のなさに目がくらみました。
子どもを亡くしてからどこか落ち着きを取り戻すのには、
おおよそ5年、長くて10年はかかると読んだことがあります。
そうか、5年くらいならいいけれど、そう思いつつ、
それが単なる目安でしかないことも痛いほどわかりました。
自死遺族がかかえる悲嘆は、けっしてうすまるものでもなければ、
おさまるものでもない、ただ、悲しみの上にどう立つかを学ぶ、
それだけです。悲しみの上に立つ姿勢を探していると言ったほうがいい。
それを単純に3年もたったのに…と値踏みするように手紙で書かれたことには、
無知というもの、想像力のなさというもの、への震えるような憤怒を感じました。
知らないってこういう残酷なことなんですよね。
年が明けてから、しきりと、のえに訊いていることがあります。
のえのこと、のえルーム、映像に出しちゃったけれど、
のえ、ものすごく怒っていないかなあ。
うむ、やっぱりすごく怒っているんだ。そうかあ。
うん、そうでもない?
伝わる人には伝わっているもんだから、
それでいいだよって、のえ、そう言ってくれるのかい。
あのシーンを沢山のLGBTのみならず、自死遺族も「利用」した。
自分の自殺企図を語るきっかけにしたり、
亡くした人と向き合いなおすきっかけにしたり、
なかなかお手軽な、無料映像で、その人の人生を掛け値なしに、
問い直す契機にした、その映像の価値は永遠なのだろう。
それにしては、のえへの敬意がない。
それにしては、のえへの意志がない。
それにしては、そこの部分を震える思いで映像にした私達の決意への、
余りの想像力の欠如は何を物語るのか。
3.11に始まったことなんかじゃあない。
日本は毎年、毎年、3万人を亡くしつづけてきたんだ。
それを誰も「見える」ようになんかしなかったじゃないか。
それを誰もに「見える」ようにしたそのことがちゃんとに伝わっているのか。
ヒデコは15日にリビングツギャザーという催しに行って、
そこである方に、あの番組のことで相当言われたという。
「よくぞ、あそこまでさらしてくれましたねえ。
それはちょっとやそっとの決意ではないと思います」
生と死にきちんと向き合って生きている人には伝える、あの映像の輝き。
のえの笑み。のえの唄の響き。のえの造った人間関係の深まり。
東日本からの帰路、名古屋で「死なれるということ」という、
鷲田清一氏の講演を聞いた。
午前の一時間半。ちょうど今、聞くことがふさわしい内容で、
CDブックを出すという事実の前で、
心の中を整理するにふさわしい中身だった。
そのあと、分かち合いの席を抜けて、
やはり分かち合いからはみだした、
その会の主要なメンバーでもある方と、
しみじみと静かに静かに話をした。二時間。
LGBTであることも、ハッタツであることもふっとばして、
彼とはただ、同じ自死遺族として、しみじみと向き合った。
それ以外のどんな要素も、彼にはかたくななくらい余計で、
踏み外してはいけないものがなんであるかが、私にはかえって鮮明になる、
不思議な対話の時間となった。
相方との参加を思って、番組を見ていてほしかったという思いも、
「見るのかつらいので」という彼の一言で返上した。
Lであることなどとおに踏み越えて、というよりそれ以前に、
生と死の深みは、じわじわとこんなふうに分かち合いを営む人々すらも、
つらさや不安の淵にじんわりと人を佇ませている。
佇まさせられていることでしか見えない地平というものもある、
そんなふうに思えるのも不思議だった。
Lであることなどふっとんで、
むしろ、生と死の深みの中で、深々としみるものの大きさに頭をたれる。
こういう謙虚さや、生きることへの畏れ、生きていることそのものへの畏敬、
そんなものがありとあらゆる場所で欠けていることに、
私はまさにこの一年間、耐えに耐え、耐えに耐え、
ついにもはや耐えてはいけないんだと気がつくに至ったようにも思えた。
東京の風景は不思議だった。
今でも、大阪よりもなじんでいるし、地名も判る。
それなのに、すっかり東京が遠くなった自分をはっきりと意識する。
新宿の、かつて高校時代、いつもたっていた町角で、ふっとそこに、
タイムスリップしたかのようになりながら、
それでも、もはや戻りようのない自分の時代が動いたことを知った。
あのCDブックの書き出しの部分については、
第三者としての「きびしい」読者が、編集者とか編集長という名の下に、
涙ひとつ見せずに、ものすごい集中力で読みぬく姿だけは見届けた。
それ以上でもなくそれ以下でもなく、物事は続いていく。
おそらく、今年はこれが俎上に載って、私はめったぎりなんかに遭うのだろうか。
否、遭うものか。
遭わせるものか。
なあ、のえ。
あんたの人生はそのくらい、読むに耐えうるもので、
読むに耐えうるものにする使命と権利と欲求と願望と冷徹の中で、
私は、苦い苦い東京に背を向けて、
自分に向きなおそうとしている。
一歩も退かない。
一歩もその悲嘆からそらさない。
一歩もその生と死から目を背けさせない。
それがいやなら、さっさとお行きなさいな。
誰も止めやしないさ。
どこを向こうと、何をしようと、
のえがあの映像をもって問いかけたことは、
一人一人を投影して、語りかける。
一歩も退かない。
一歩もその悲嘆からそらさない。
一歩もその生と死から目を背けさせない。
だから。
ほら、いまだ。
さっさと行ってしまいなよ。
今のうちだよ。
しんしんと、降る雪のように積もるものを抱いて、
私は最後の一行に向かってすすむ。
最後の問いかけに向かってすすむ。
ケイコ
今や、本格的な降りっぷりにやや不安。明日にはいっそう積もりそうです。
今回の東京行き。なんだか苦い苦い滞在でした。
一週間以上も、ベッドごと居座ってしまって、おまけに39度もの高熱を出してしまったから、
他に泊まりに行くに行けず、早苗と早苗のパートナー氏には、本当にお世話様でした。
体調のせいで、幾つかの約束をキャンセルせざるをえませんでした。
それはそれで殊勝に楽しみにしていたり、番組後初の会話を待っていたり、
もしたものでした。でも…。
それは無理。これもなにかの摂理でも働いたのかな。
もう、『賞味期限』は切れましたよ。というよりも、もっとなにかいわく言いがたいもの…。
最後の日、
あるLの若い女性が、ふと「私は、のえさんを知らないから…」と言い始めて、
私の中で、ぷつんと大きく音を立てて終わったものがあるのを確認しました。
それは、そう言った彼女のせいではありません。
そう言うのを聞くことを、私の人生でこれ以上してはならない、という警鐘のようなものが、
人生の大鐘みたいに、私の中でとどろいたのです。
私の中で、のえの人生がやむことはない、
私はそのことを見続けることをやめないし、だからこそ、
間もなく仕上げるだろう、のえのCDブックの原稿書きにも向き合う。
あの映像の中で、私はどんなにか、「生きた」のえに登場してほしかったことでしょう。
それは今も変わりません。
きっと一生変わらないと思います。
だから、聞いてはいけないのです。
「私は、のえさんのことを知らないし…」という何気ない言葉すら。
それに、のえの唄を聴いたり、のえのブログの日記で、
充分に知った気の人がいるのも、またもう一方の事実です。
のえのことを映像にし、のえルームのことを全国放送で流し、
そして、それはどんなものを残したり残さなかったりしたのでしょうか。
あるLの女性は言った。
「すでに3年たってすら、その感情がおさまることはなく…」
必死に私からの問いかけに答えた文面でしたが、
その想像力のなさに目がくらみました。
子どもを亡くしてからどこか落ち着きを取り戻すのには、
おおよそ5年、長くて10年はかかると読んだことがあります。
そうか、5年くらいならいいけれど、そう思いつつ、
それが単なる目安でしかないことも痛いほどわかりました。
自死遺族がかかえる悲嘆は、けっしてうすまるものでもなければ、
おさまるものでもない、ただ、悲しみの上にどう立つかを学ぶ、
それだけです。悲しみの上に立つ姿勢を探していると言ったほうがいい。
それを単純に3年もたったのに…と値踏みするように手紙で書かれたことには、
無知というもの、想像力のなさというもの、への震えるような憤怒を感じました。
知らないってこういう残酷なことなんですよね。
年が明けてから、しきりと、のえに訊いていることがあります。
のえのこと、のえルーム、映像に出しちゃったけれど、
のえ、ものすごく怒っていないかなあ。
うむ、やっぱりすごく怒っているんだ。そうかあ。
うん、そうでもない?
伝わる人には伝わっているもんだから、
それでいいだよって、のえ、そう言ってくれるのかい。
あのシーンを沢山のLGBTのみならず、自死遺族も「利用」した。
自分の自殺企図を語るきっかけにしたり、
亡くした人と向き合いなおすきっかけにしたり、
なかなかお手軽な、無料映像で、その人の人生を掛け値なしに、
問い直す契機にした、その映像の価値は永遠なのだろう。
それにしては、のえへの敬意がない。
それにしては、のえへの意志がない。
それにしては、そこの部分を震える思いで映像にした私達の決意への、
余りの想像力の欠如は何を物語るのか。
3.11に始まったことなんかじゃあない。
日本は毎年、毎年、3万人を亡くしつづけてきたんだ。
それを誰も「見える」ようになんかしなかったじゃないか。
それを誰もに「見える」ようにしたそのことがちゃんとに伝わっているのか。
ヒデコは15日にリビングツギャザーという催しに行って、
そこである方に、あの番組のことで相当言われたという。
「よくぞ、あそこまでさらしてくれましたねえ。
それはちょっとやそっとの決意ではないと思います」
生と死にきちんと向き合って生きている人には伝える、あの映像の輝き。
のえの笑み。のえの唄の響き。のえの造った人間関係の深まり。
東日本からの帰路、名古屋で「死なれるということ」という、
鷲田清一氏の講演を聞いた。
午前の一時間半。ちょうど今、聞くことがふさわしい内容で、
CDブックを出すという事実の前で、
心の中を整理するにふさわしい中身だった。
そのあと、分かち合いの席を抜けて、
やはり分かち合いからはみだした、
その会の主要なメンバーでもある方と、
しみじみと静かに静かに話をした。二時間。
LGBTであることも、ハッタツであることもふっとばして、
彼とはただ、同じ自死遺族として、しみじみと向き合った。
それ以外のどんな要素も、彼にはかたくななくらい余計で、
踏み外してはいけないものがなんであるかが、私にはかえって鮮明になる、
不思議な対話の時間となった。
相方との参加を思って、番組を見ていてほしかったという思いも、
「見るのかつらいので」という彼の一言で返上した。
Lであることなどとおに踏み越えて、というよりそれ以前に、
生と死の深みは、じわじわとこんなふうに分かち合いを営む人々すらも、
つらさや不安の淵にじんわりと人を佇ませている。
佇まさせられていることでしか見えない地平というものもある、
そんなふうに思えるのも不思議だった。
Lであることなどふっとんで、
むしろ、生と死の深みの中で、深々としみるものの大きさに頭をたれる。
こういう謙虚さや、生きることへの畏れ、生きていることそのものへの畏敬、
そんなものがありとあらゆる場所で欠けていることに、
私はまさにこの一年間、耐えに耐え、耐えに耐え、
ついにもはや耐えてはいけないんだと気がつくに至ったようにも思えた。
東京の風景は不思議だった。
今でも、大阪よりもなじんでいるし、地名も判る。
それなのに、すっかり東京が遠くなった自分をはっきりと意識する。
新宿の、かつて高校時代、いつもたっていた町角で、ふっとそこに、
タイムスリップしたかのようになりながら、
それでも、もはや戻りようのない自分の時代が動いたことを知った。
あのCDブックの書き出しの部分については、
第三者としての「きびしい」読者が、編集者とか編集長という名の下に、
涙ひとつ見せずに、ものすごい集中力で読みぬく姿だけは見届けた。
それ以上でもなくそれ以下でもなく、物事は続いていく。
おそらく、今年はこれが俎上に載って、私はめったぎりなんかに遭うのだろうか。
否、遭うものか。
遭わせるものか。
なあ、のえ。
あんたの人生はそのくらい、読むに耐えうるもので、
読むに耐えうるものにする使命と権利と欲求と願望と冷徹の中で、
私は、苦い苦い東京に背を向けて、
自分に向きなおそうとしている。
一歩も退かない。
一歩もその悲嘆からそらさない。
一歩もその生と死から目を背けさせない。
それがいやなら、さっさとお行きなさいな。
誰も止めやしないさ。
どこを向こうと、何をしようと、
のえがあの映像をもって問いかけたことは、
一人一人を投影して、語りかける。
一歩も退かない。
一歩もその悲嘆からそらさない。
一歩もその生と死から目を背けさせない。
だから。
ほら、いまだ。
さっさと行ってしまいなよ。
今のうちだよ。
しんしんと、降る雪のように積もるものを抱いて、
私は最後の一行に向かってすすむ。
最後の問いかけに向かってすすむ。
ケイコ
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| のえと共に | 21:48 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑
ふしぎとこの文、語りの詩のように声が聞こえてきますね。そしてケイコさまの前後にのえちゃんのしっかりした顔さえ浮かびます。10年も会っていなかったのに、歳をへた彼女の顔と瞳がみえてくる。本でのえちゃんと出会うのを心から楽しみにしています。雪、あんまりひどくありませんように・・・
| けろたん | 2012/01/27 00:01 | URL |