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ケイコのマルチマイノリティ宣言……そうだ今年は「嫌われ上手」になろうっと その2 (2日後、追伸加筆)

(前日のブログの同じタイトルの
「その1」から必ずお読みになるようにお薦めします。)

ある友人は書く。
「人と人が繋がること、向き合うこと、一緒に歩み出すこと。そんな困難なことは、とうに諦めている」
ある友人は書く。
「声を上げられない人達の思いをどう想像すればいいのか。」
ある若者はこう書く。
「こちらの事情を気にせず、一方的に失望するのはやめてくださいよー」
うむ、この反応は大きな意味で嬉しかった。彼はこうも続けてくれていたから。
「これからのお互いのより良い関係のために会ってちゃんとにお話をしたい」と。
地元ってこれができるからなあ。実際多少の無理をしても、彼と会えたのは良かった。
でも、地元かどうかは、もはや問題でないことも、私達は反面、とことん知ってしまってもいる。

時には、十数人、あるいは、ある二人にあてて、ある人にあてて、数人にあてて、その内容ごとに、私は唸るように言葉を綴った。携帯をこんなに打ったのは初めてだった。

ある最も親しい友人の一人は長いパソコンメールで、こう記してきた。一部抜粋。
「ふたりのことだからなかかな手が抜けないのだろうと思う。活き活きとした返答がほしいのだと思う。たぶん、みんな相当不器用なのだ。ふたりのように、関わられたためしがないのだ。どう返答していいか、見当もつかないのだ。」
あるいは。
「あなたたちのように、人間とのかかわりに魂をかけたことのない者の下手さ加減を
ちょっとだけ大目に見てほしい。でも、「誰にもわかってもらえない」「何もかえってこない」と断定するのだけはやめてほしい。そんなことは絶対にない。大きな投げかけであればあるほど、答えがすぐかえってくるはずもないと私には思えます。」

答えてくれた友人の何人かも、答えないまま沈黙していた人々も、私の渾身の力をこめた携帯メールを受け取ってくれたことに感謝しています。迷惑だなあ、ストーカーだなあ(笑)、と思ったとしても、読んでくれたそのことに、少なくとも携帯の電波でつながっていたことに感謝しています。

上記の友人の、これもまた渾身の力をこめて書いてくれた返信に、それでも、私はやはりこう答えずにはいられなかった。
「『誰にも判ってもらえない』と思い込んでいた地元の、あるいは全国のマイノリティの人たちが、私達がなんということもなく、馬鹿笑いしながら話す、自分たちのこと、のえの切ない思い出、息子の病気のことなどなどを話すのを聞いて、そうか、そのままでいいんだって感じで、笑ったり、語ったりし始めたのを、何度も何度も何度も何度も見た、見続けた一年間だったんだよ」と。

ヒデコのほうに、「ケイコさん、どうなんですか」と訊いた人もいると聞く。なんで私に直接訊いてくれないのかな。そんなに心配しちゃったのかな。ハレモノみたいに思えたのかな。ヒデコはヒデコでモノスゴクつらいのにな。そのことは見えないのかな。

元旦の私の、ある方々あてのメールより。繰り返しますが、私から!!あてたものです。

「自分がこんなにも傷ついていることには、無頓着だったのかもしれません」
「好意的だったり、他意のない、結果的な無関心の中で、世界の中心で孤絶を黙する気力を維持する限界の只中にいます。」
「一度くらいツタワラナサにあえいだとて…」
「人は知らない間に、あるいは意識せず人を切り、傷つける。自分もしてきたから判るのです。」
「番組以来、十年を生きたような、良くも悪くも、日本の今、特にLGBTの上げ底の存在の危うさと、自傷性のみならず、他害性の凄まじさをオモイシッタ一年でした。」
「この世に、のえがいなくなっても、彼らは、私達はつながれるのか。どこでもツタワラナサ、ツナガラナサを直視しつつ、伝えよう繋がろうと、表現というものの荒みや甘さを、自分にも他者にも問う、そのことだけはやめられないでしょう」

返事をくれた人もそれが困難だった人も、私達に昨年ふりかかった事態の全てを知る人は一人もいない。そんなの当たり前のことだ。だから、それぞれの範囲で精一杯答えてくれていることを受け止めて、可能な限り、大切にしたいと思っている。ある人はある事について深く、別の人は別の事について確かに、という感じで知っている人達に送信したのだけは確かだった。

そうして、私は今年こそ、いや、今さら感がある人も多いかもしれないけれど、ふふ、
『嫌われ上手』になるぞー、って決めたから。
この意味合い届いている??

どうせ、悪態にしか聞こえない、私の底なしの「やさしさ」ということなら、正しく間違えていただかなきゃーということで、上手になることにしたのです。
気合が入っていたり、気の抜けるほど入っていなかったり、そんなの知りませんが、『嫌われ上手』な人生を見事にやりきりますぞ。大事な人生の転換期を前にして。

だって、私は嫌われる自死遺族ですもん。のえがいかにスゲエうたうたいであろうと。

だって、私は嫌われるハッタツ障害当事者ですもん。うーむ、今日のところは説明なし。

だって、私は地の果ての辺境に住む、限りなく都会から遠いまなざしを獲得しつつあるんですもん。あんたたちに、「うまずめ」だったおばちゃんの人生の片鱗でも判るのかよ。

だって、私は、LGBTが子どもを育てるなんて考えたくもないし、考えられないLGBTの想像力のなさの中で、5人も曲がりなりにも育てちゃったんですもん。いや、間違えた。育っていただいたんですもん。

だって、私は、自閉症と診断されたにもかかわらず、そのおもみをとことん見届けずに、娘をフォローできなかった全てのシステムと人間関係を、自分を含めて許してしまった一人なんですもん。たとえ、自分が同じような特性を持っていても、否、持っていたからこそ。

だって、私はどんなに遠くに住んでいても、統合失調症の息子と共に生きる人生に限りない豊かさを見ることを捨てられないんですもん。トーシツの厳粛なる不思議、愛しているもん。

だって、私は自死遺族のくせして、自殺予防にまで手を伸ばそうとして、あらゆる手を尽くして、それでも、ばしっと待ったをかけられて、生き生きと人とつながろうと意志するはずのLGBTコミュニティの徹底した不在を、ひととき記憶をなくすほどに思い知ってしまったんですもん。

そして、何よりも、私は言葉の「アナーキスト」として、自由自在に踊りまくり、切りまくり、袖まくり、ふりまくり、書きまくり、今の日本で人間が生きるという意味の根源に迫りつつあるんですもん。

そうそう、Tさんの言ってくれた「言葉へのわきまえ」と共に、つつしみをも持って、何事にも、できることならあるがままに見るまなざしを失うことなく、突き進んでいくぞー。

いや、時々おやすみも入れます。
いやはや、のえの原稿の締め切りが一刻一刻迫っているというのに、年頭の決意表明ならぬ、ケイコのマルチマイノリティ宣言。届きましたか。
えっ、こんな長い文、読めるわけないだろってか。
読む力の衰退、はなはだしですか。

ところで、最近あるアイデンティティに特化した集まりで、全く別のマイノリティがいらしたってことで驚かれたって人のエピソードを小耳に挟みました。
皆さん、そんなに狭い、一つだけのアイデンティティしかご覧になってらっしゃらないなんて、しがみつくものが一つしかないなんて、どうかなさっちゃったのかしら。信じられへんわ。それがなんですのん。ねえ、のえ。そうだろ。ねえ、ねえ。

おほくさー。お前、東京人なのか、関西系なのかはっきりせいってか。

本当に、心からありがたい一字一句が光っている、私にとってのエールは、DDAC、すなわち『発達障害を持つ大人の会』の代表のミウさんからのメールでした。
そんなに長くはない文に、私が拠って立つべきところを、確かに届けてくれたのです。判っていなかった訳ではない内容も勿論あったけれど、うむ、すとんと落ちたな。これについて書くと、別の入口が必要なので、今日のところは、モッタイナイということで、とっておきます。そりゃあ、もったいないんですから。

ケイコ   2012年1月8日午前5時

追伸 その1  コメント欄への書き込み、心からお待ちしています。
一人一人へのリスペクトをこめて。

    その2  カマガサキで活動をされるIさんから、今日、携帯メールで
ご返信いただきました。
          心からの感謝をこめて、一部引用させていただきます。

   「現在、僕の周りには、本質的な部分で生きる事への苦悩と正面から向
かい合っている友人がたくさんいます。
   時に、のえさんの顔がよぎる場面もあります。
   そんな時、世間でよく言われる引き算のような単純な生死感だけでかたづ
けられない気持ちになります。
   うまく言えませんが、ずっと前から、僕はいろいろな形に具体、具象されま
すが、人にとってその人その人の哲学が生死を超えて存在すると思います。」

       ありがとう、Iさん。のえの晩年にIさんが、夏祭りやらで、
       のえのPAをしてくださっていたこと、
       この上ない事実として、心から離れたことはありません。合掌。
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| 辺境の森から | 13:22 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

  人間語・親子観・遺稿集・大それてないお話

けろたんさん。意外にもシタシイ…それはないですよ。12月の顛末も聞いてもらったしね。人間語、これはなかなかユニークな着目点かも。覚悟を決めて伝えてくれたんですね。ある種、一連の現象の翻訳のようにも思えました。翻訳をしつつ、けろたんさんの思いも綴ってくれたような。

ついでに言っちゃうと、私達が成人した「子ども」の事で、ある時期、難儀な思いをしていた時、「親なんだから仕方ないでしょう」と言ったこと覚えていますか。親だから、そういう苦労をかぶるのは、仕方がない、そういう場面でした。過不足ない苦労、受けてたちます。大好きです。学べますし吸収できる宝物。でも、何もかもが、社会や人間関係の雰囲気を伴って、親子関係に集約されていく時、人は限界をこえて歪み、自傷他害の領域にまで踏み込みます。例え小さな言葉の暴力であれ。
自閉症の、のえと同じ年頃の息子さんのいるお母さんに言われたものです。「私は息子より一日でも遅く逝きたい」。「のえさん、良かったじゃあないですか」。こういう状況をどう思われますか。
ちなみに文中のシンコさんは、障害児教育の「パイオニア」ですが、40代30代の六人の子どもの一人も障害は持っていないと思います。

遺稿集、ぼちぼちやってください。友人のをまとめるっていう立場、妙な感じのうらやましさがあります。娘の遺稿集、兼ノンフィクション作家稼業、言葉にしがたい言葉の作業。

あと、その時々の私にとって、昨年一年間伝えようとして伝わらなかったのは、私達の番組とハリウッド映画の違いとか、コミニケーションギャップを埋めるためのちょっとした工夫の提案とかで、とてつもなく大それた投げかけだった訳ではありません。
人間語の初歩の初歩すら伝わらなくなった??
だとしたら、何をどう生きればいいのでしょうか。

| ケイコ | 2012/01/09 13:08 | URL |

意外にもシタシイと言って頂いて―黙って頭をたれます。短くても比較的長めでも、人間語を話す・記すのは至難で骨が折れます。言いたいことが言えて伝わるのかわかりませんが、とりあえず覚悟を決めて。今日は遺稿集の仕事第1日と言ってよい日。

| けろたん | 2012/01/09 12:05 | URL |















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