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隣りのおばあちゃんが亡くなった…等しく死は

その人と共に、ベロ亭のこの集落での歴史はあった。
なにはともあれ、そう。
ベロ亭はこの集落の9軒の家の1軒。

私達はすでに誰も住むあてのない家をここにみつけて、
おばちゃんの口ききもあり、
数年間空き家だったこの家を京都からの助っ人たちと共に改装し、
1979年4月から住み始めた。
それ以前は越前市内のもっと街中に近い田園地帯に住んでいた。

そのおばちゃんは、隣りの人で、ある種、大家さんみたいな位置を守ろうとした。
最初はそれはそれで良かった。ありがたくもあった。

家を買うときも、仲介してくれたのも、おばちゃんだった。

養子の息子が結婚する前は、ものすごく繊細に、
私達のことが気になって、通い詰めてはベロ亭への好奇心を隠さなかった。
いい人だと思った。最初の私達の「ふくい」否「マキ」の学びとなった。

いつの間にか、ベロ亭の部屋に立っていることも多くなった。
それはそれで良かろうと思うようにした。
毎日毎日、ヒデコのろくろの横に座りつづけた日々もあった。

子どもがこんな風土で産めなかったことは、おばちゃんにとって大きなことだった。
若い頃に死んでもいいくらいの病気を患って、それでもここまで生き延びた、とよく言っていた。
私達になんとか自分のつらさを伝えたかったようにも映った。

息子が結婚してから形勢が少しずつ変わってきた。
おばちゃんに、とても余裕がなくなったのかもしれない。
おばちゃんは、人間関係が苦手なタイプの上に、
生まれた家を出たこともなければ、働いたこともないから、
軟らかい感受性と、頑固な昔風の流儀がからみあって、
おばちゃんの人生は、なんだかより複雑になったように感じた。

そのうち、許せない事が続くようになった。

何でもありがたくいただくのが、この集落の中での、ベロ亭の位置だった。
特に、おばちゃんは、
遠慮会釈もなく、容赦なく、どんなものでも、
私達にくれた。
いらないもの、いるもの、捨てるようなもの…。
たまには、役に立つものもあった。

随分前に野菜を作っていた頃は、それはそれで助かった。
キャラバンで県外に出向く時は、
ベロ亭のネコのえさやりの面倒を見てもらったこともあった。

しかしながら、ここでは一言ではとても語れぬ、
ベロ亭とおばちゃんとの、
まるで、民俗学者、宮本常一の世界みたいな、
それでいて絡まりあった封建制の呪縛みたいな、
おばちゃんの「ウマズメ」としての生きがたさみたいなものが、
絡まり絡まり、渦巻き渦巻き、徐々におばちゃんは、
私達には耐えられない事件を巻き起こすようになっていった。

小さい頃の子どもたちは、おばちゃんが余りに老けていて、
おじちゃんのことを、その息子と勘違いしていたりもした。
いつも、すぐ死ぬ、すぐ死ぬと言っていたのに、こんなにも長く生きた。
でも、とうとう逝った。私達とも、もう口論することもない世界に。

「けいこちゃんが死んだって、俺らは悪くない」と、
絶対的に向こうが悪い事件でも言い放ったこともあった。
私はその言葉をけっして忘れることはなかった。

総領娘で、「マキ」だけが世界の中心のおばちゃんは、
自分中心の世界を、私達にだけは崩したくなかったのかもしれない。
家のなかのことは判らないけれど、
私達には、すでにただの隣人にすぎなくとも、
上から見下ろすことで、自分の位置を必死に守っている、そうとしか思えなかった。

ある事件のとき、
「あのおばちゃんの物の感じ方や爆発する時のあんなん感じが、
前の代のおじいちゃんにも、前の前の代にもあって、
代々、この集落の皆が苦しめられてきたんや」
と言った別の隣人のおばちゃんがいた。
その人も、今は植物人間のように病院で息づく人となった。
おばちゃんは、「自閉症スペクトラム」なんて誰にも知られることもなく、
おそらく、それを生きた沢山の昔の人の一人だった。
繊細で頑固で、単純で複雑な人だった。

もしかしたら、
家族以外でおばちゃんと最も深くぶつかったのは、
私であるかもしれない。
ヒデコは、長い時間をかけて、
話を聞き続けたり、語りかけたりもした。

でも、ある時期から、私達はぴたりと、
おばちゃんが、いつの間にか、私達の家の部屋に立っていることは、
受け入れられない事として、距離を保つようになった。
この集落の中でもプライバシーの感覚をきちんと保つことを、
よしとするように、私達の立ち方は変わっていた。

胃ガンになって、よろよろと散歩していて、
最近では、ベロ亭の庭で少し話しては、離れていく、
その姿が少し切なかった。
そんな二年ほどが過ぎた。

私もヒデコも、少しはおばちゃんを元気づける、
そんな一言二言を語りかけたりもした。
しみじみとした何ということもない話のあと、
「今日はベロ亭と話した」と嬉しそうに帰っていくこともあった。
その直後、
家人が私達とすれ違うとき嬉しそうにこちらを見たこともあった。

昨日、大阪にいて、ヒデコから、おばちゃんが危篤らしい、とメールが来た。
正直言って、亡くなる前に一目会いたいと心が動いた。
心が動く自分を感じることを、少しかみしめた。
ああ、大切な何かが終わろうとしている…と思いはゆらいだ。

大阪から帰り着いて、今晩30日の零時過ぎ。
このおばちゃんの養子の息子の兄にあたる同じ集落の人から、
おばちゃんが息を引き取った知らせを玄関口で聞いた。

「危篤だと聞いていて、お会いしたかったんやけど、
そんなときに失礼かもしれないと思って…」
「でもね。おばちゃんとは、あれだけ世話になったからこそ、いろいろあったんで。」

その人はいみじくもこう言った。
「家族以上かもなあ」。

間もなく病院から帰ってくると聞いて、そろそろと思って、隣家に行った。
雪道をすべらないように、気をつけながら、すぐの道を歩いた。

仮通夜というより、まだお棺に入っていない、おばちゃんが寝ていた。
顔があった。やせてやせて、生きて生きて、ついえたおばちゃんの人生。

一瞬ためらったが、前にずずずと進み出て、座って顔をしかと見た。
「ありがとう」と体中で語りかけ、嗚咽した。
手を合わせた。合わせた手に力が入ってなかなか開けなかった。
座敷のあちこちから、すすり泣きが続いた。
それからゆっくり手を開いて、
私は広々とした座敷の一番うしろへと引っ込んだ。

ヒデコは、前のほうにそのまま座っていた。
でも、私はそれはいやだった。
私達の人生とは、ここではこれ以上、私をかみあわせたくはなかった。

のえの死を知っているのは、このおばちゃんと、その妹のおばちゃんだけ。
いや、もう一人、鉄のような意思で一人暮らしを続ける、
別のおばあちゃんにも、言ったことはあった。

実は、妹のおばちゃんは、このおばちゃんの養子になった息子の産みの親だ。
その人のほうは、私達のことを、
「あんたらは、どんなキョウダイよりも、フウフよりも濃いのう…」と言った人だ。

おばちゃんのおせっかいや、世間知らずや、渦がまくような激情に、
私達がどう接していたかを、まるで知っていて、補ってくれるように、
こちらは、絶対うちにはあがらず、距離をしっかり保ちながら、
私達を尊重してくれながら、たっぷりと実り多い野菜をくれたりしつづけている。

おばちゃんの妹だから、いやというほど判っているに違いなかった。

そのうち、おばちゃんの横たわる座敷では、お経が始まった。
座敷とは、こういう集まりのために、家の中央にある、
四間で合せて、二十畳か三十畳以上にはなる空間。
普段はいつも使っていないから、まあまあきれいな畳。

集落中の老人たちが中心になって、なんということなくお経をよむ。
おばちゃんと同世代の人々だ。
次世代の私達より若い人でもよんでいる人もいる。
どのうちも、浄土真宗大谷派の信仰を事実上守っている。
なんということもなく響き渡るお経の唱和。
私達にとっては、ペルーよりも異文化かもしれない世界。

男たちは前のほう、女たちは後ろのほう。
特に、若い女たちは、一番後ろのほう。
ヒデコだけ堂々、前のほう。
でも、老人は男も女もないのかもしれない。混じっている。

私は立ち上がって、出入り口のふすまに一番近い後ろから、
この世界を観察し、見届けようとした。
おばちゃんがどういう世界で生き延び、どういう世界で逝ったかを、見た。

死という事実が、以前よりずっと近くなった自分を私は知った。
娘を亡くしたことだけではなく、最近、どんどん同世代が亡くなっているし、
つい先日も、親友の夫が亡くなったりしたということもあるかもしれない。

私自身の根源に、命や死に対する思いが、
いや、思いというよりは、
もっと本能的な大切な何ものかが居座り始めているのも感じた。

「マキ」のひとつの歴史が閉じた。
ベロ亭のひとつの歴史が閉じた。

誰の死も、等しいことを、それは知らせた。

ベロ亭に来ている息子以外の娘三人と、
この近所が出身の友人と、ベロ亭に住んだことのある友人に携帯メールした。

サナエからこんな返事が来た。

悪気なく、いつの間にかうちに上がり込んできたころのおばあちゃんを思い出しています。
私が最後にかわした会話は、
「一緒に住んでて結婚してないのにセックスするんか?」だったよな。

そう、ベロ亭は、おばちゃんにとって、
いっぱいいっぱいの謎に満ちていて、知りたくて、判りたくて、
ついに判らなくなって、砕けて、ぶつかって、
それでも、隣人であることは変わりなくって、
きっとそんなふうだったのかもしれない。

いつか、ゆっくり書くよ。
おばちゃんとのこと、「マキ」での私達の歴史。

失われつつある民俗学的世界と、
私達との不思議なおかしな、はじけるような、
しみこむような、切ない、一つの紛れもない伝説を。


ケイコ
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| ベロ亭から | 03:34 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

田舎の血縁と地縁を持たなかった自分が、ベロ亭に住んで皮膚一枚の向こうに触れた暮らしと世界でした。貴重な時間だったと思っています。

| けろたん | 2011/12/30 16:40 | URL |















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