PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | --:-- | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

はたして、あなたは『サラの鍵』をひらけるか・その2(下のその1から読んでね)

はたして、あなたは『サラの鍵』をひらけるか・その2
……悲しみよ、苦悩よ、ひらたくあれ


物語は、老夫婦に育てられた少女時代のサラがどんな様子だったかを、共に育てられた人間の口を通して、語らせる。めったに笑うことのない子。でも、あの時、水浴びに行った時だけは、めちゃくちゃ子どもらしく笑いまくったことが、懐かしく語られる。

長じて…。サラは、老夫婦や共に育った家族の手を離れて、傲然とアメリカへと渡る。
この辺りからは、『ソフィーの選択』のソフィーがアウシュビッツで、子どもを焼却炉行きと判って引き渡すしかなかったその瞬間の自分の罪の大きさに、二度と立ち上がれないほどの痛手を受けた事実とも重なっていく。こんなふうに、アメリカに渡ったこの時代を生き延びたユダヤ人や異邦人が一体どれだけいたのだろうか。

実際、ヴェルディブに集められたユダヤ人のほとんど全てはアウシュビッツ収容所へと移送され、子どもたちは労働できる者として選別されることすらなく、即刻ガス室送りとなったのである。そして、サラの父も母も同じ運命をたどった。

アメリカに渡ったサラは、自分のそれまでの人生を封印した。結婚した夫にも、生れた息子にも何も語ることはなかった。ただ、フランス人で、フランスで両親を亡くした事実しか語られることはなかった。
そして。
そして、彼女は40歳のある日、車で立木に激突して即死する。事故死として扱われた。
ここで、私は思い出す。やはり一気に読んだスザンヌ・タマーロの『心のおもむくままに』が彷彿とするからだ。

アメリカ人ジャーナリストのジュリアが実際に会うことのできたのは、母のフランスでの事実を何ひとつ知らないサラの息子だった。できるものなら真実を知らせたいと思う対象が、実際は何も知らない…ということが一体、何もかも知ってしまった人間にとって、どれだけのことを意味するのか、ジャーナリストとしてのジュリアという存在をこえて、ジュリアが悩みぬくプロセス…それが、この作品の一番のテーマだと言えよう。そして、そのプロセスそのものが、ジュリアの人生そのものまで変えてしまうという事実。

ここまで、ネタばれする事を書いてしまった以上、私はここいらで物語をこれ以上語るのは差し控えよう。なぜなら、本当にこの作品の真意にとことん触れたい人には、やはりこの作品に触れてもらうしかない、そう思うからだ。

ジュリアは、夫の祖父母が知ってしまった、サラの事実の上で、夫の祖父母一家が戦後をどう生きてきたのかも知ることになる。幼い少女の悲嘆にどう寄り添い、寄り添えなかったのか。
そして、そのことに、次の代、また次の代でもある夫が、結局どう態度をとるかも見てしまうことになる。
この一家の一人一人の性格の描写。物事への距離や態度と、起きた事柄との関係など、実に考え抜かれていて説得力のある緻密な描写には、息が抜けない。


さて、話は変わるけれど、最近、二人もアウシュビッツ強制収容所を知らない日本人の三十代の女性に続けざまに会い、度肝を抜くほどのショックを受けた。南京大虐殺については訊かなかったけれど、もしかしたらこの歴史的な許し難い暴挙についても、彼女たちはのんきに何も知らないのかもしれない。

こともあろうに、一人は自死に寄り添って生きる人であり、一人は自閉症スペクトラムを抱えて生きる人であった。

のえが亡くなって間もない2008年11月、私は京都の自死遺族の分かち合いの会「こころのカフェ」に参加し、そこで手に入れたビッグイッシューの自殺に関する特集号で、「自死遺族の受けるショックやストレスは、ちょうど強制収容所を生き延びた人達が抱えているショックやストレスに相当する」という記述に触れ、心からうなるものがあった。そうだろう。そうに違いない、と判るところがあった。

私が、自己のアイデンティティとして最も底部に位置するものとして理解している「自閉症スペクトラム」を意識させたベッテルハイムは、その著書の中で、自閉症の子どもたちの体験を、強制収容所の体験と並べて語っている。ここちよさというものを一度も知ったことのない人間にとって、愛が一番などと言っても何の意味もないという意味合いのことを。その著書こそ、私に深いインスピレーションを与えた『愛はすべてではない』である。

彼もまた、アウシュビッツ収容所のわずかな生き残りの一人だった。彼は、収容所での苛烈きわまる体験を、自閉症の臨床につなげる視点を持って、生かした。

もう一人、私の大好きな作家、プリーモ・レービィ。
彼もまたアウシュビッツの生き残りだ。磊落な性格で、何冊かの緻密にして、考え抜かれた思索を凝縮して綴った著作を残したレービィが、1980年代のある日、突然、自宅のある上階から飛び降り自殺したことは、世界中の読者や関係者の度肝を抜かせた。
彼は、最も「自殺」から遠い人間のように、その著作からは思えていたからだ。

あとさきになるが、ベッテルハイムも同様の運命をたどる。自閉症の臨床に貢献したにも関わらず…。
(たとえ、ベッテルハイムの自閉症に関する見解に、今となっては古く間違った事実があるとしても、
私がインスピレーションを得た勘所とでも言うべき箇所の価値は変わらない。)


もうやめよう。こんな記述を繰り返してもどうにもならない。

ただ、今、私は、悲惨きわまる真実を突き抜ける意思を持つということ、そのもののおもみについて語りたいのだ。
誰もが一人で抱えきれないほどの悲劇を抱えてもいる震災以降の日本。
それ以前だって、人知れず、タブーと化した出来事の数々を封印して生きなければならなかった人々の歴史。

日本軍の従軍慰安婦にさせられた少女たちのこと。
そうだ、ソンスゴさんは、福島で被災していた。最近新聞記事で知った。
日本軍に連れ去られ、性奴隷としての日々を余儀なくされながら、
誰の子かも判らない子を次々と5人も生み、
その度に、子を人手に渡さなければならなかったという彼女の慰安婦としての歴史。

彼女が語ったから、知り得た事実。
日本人として知らなければならなかった事実。

それにしても、悲惨な出来事の加害者としての歴史を、ひたかくそうとする人間の心情というものは、一体何に発するものなのだろう。
ひるがえって、苛烈きわまる出来事の被害者であれ、加害者であれ、その歴史をひらこうとする人間の真実への意思は、一体何に発するものなのだろう。

多分、それは。

多分、それは、リディセが生まれたキューバのある時代に象徴されるように、
けっして忘れてはならない歴史がそこには刻まれている、という事実を、
我々に連なる史実として語ろうとすることをやめられない、人間というものの、
やむことない良心への意思、見知らぬ子にすら命がけで手を貸してしまう、
人間が人間であることの証し、とでも言うべきものなのかもしれない。

さあ、そろそろ戻れるだろうか。
のえの本の原稿書きに。
あなたは読んでくれるだろうか。
のえの、私が知り得た限りの、笑いと涙と、
つまづきと怒りんぼと閉じこもりの日々を。
そして、そこから弾けるように唄い放ったあの日々を、
あなたは感じとってくれるだろうか。
そして、そのことが、ジヘイを抱えた一人一人に、
生きる希望をつなぐことに、気づいてくれるだろうか。

祈りながら、本を閉じる。
『サラの鍵』を私たちは、はたしてひらけるか。
サラの人生の鍵を、あなたは、はたしてひらけるか。
ひらいた後に、どんな「希望」を私たちは紡ぐことができるのか。

のえの人生の鍵をはたして私は持っていると言えるのか。
私は、はたして、のえの鍵をひらけるのか。
ひらいても、いいのか。
ひらいたあとに、何を見ることになるのか。

2011年12月12日 午後11時50分
ケイコ
スポンサーサイト

| 映画・ドラマ・本より | 01:01 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT















非公開コメント

TRACKBACK URL

http://puentenokai.blog26.fc2.com/tb.php/932-fe232492

TRACKBACK

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。