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はたして、あなたは『サラの鍵』をひらけるか・その1

はたして、あなたは『サラの鍵』をひらけるか・その1
……悲しみよ、苦悩よ、ひらたくあれ


ペルーの隣りの赤道直下の国、エクアドルの首都キトに住む、キューバ人女性リディセ。出稼ぎでエクアドルに一文無しで行き着いてからの彼女の流浪の歴史を、私はインタビューしたまま書き起こすことすらできないまま、すでに10年以上が経過してしまった。彼女は、今では、キトの郊外にあるサンフランシスコデキト大学のスペイン語文学の先生となって活躍している。Face book で見る彼女は、あの頃よりずっとエレガントでクール、あのユーモアに満ちた表情、それにあの情熱的な黒い肌すらなんだか薄らいで、妙に先生ぼくなった風貌が逆に気になるくらいだ。

リディセの名前の由来を本人から聞いたことがある。ソシアリストの多いキューバという国では、ナチスドイツに壊滅させられた町の名前を、自分の息子や娘の名前につけるということが、しきりと行われた時代があったようだ。

リディセは、チェコスロバキアにあった小さな村の名前だ。ナチス占領下のチェコの首都プラハで、ナチスの親衛隊長が何者かの手によって暗殺された。その暗殺者をかくまっているという、全くいわれなき容疑で、村全体が焼き払われ、村全体の男たちが全員殺された。1942年の6月10日のことである。手元には、いぬいとみこが著した『野の花は生きる…リディツェと広島の花たち』(童心社)という一冊の本がある。リディセに彼女の名前の由来を聞いた時、知っている、と思った。この本も既に見ていたし、この事件を題材にした別の映画も見ていたのだ。

リディツェの村での出来事を描いた映画では、生き残った少女の目線で、事件が描かれていく。あの少女たちは、それならそれで、全ての少年から大人の男性までが虐殺され焼き払われた村をあとにして、その後、どんな人生を生きたのだろうか。映画があり、本があるということは、その事を語り継ごうという意思がそこに確かにあったからだろう。どんなに悲惨な事件であろうと、語り継ごうとする意思が。

おととい夕方、少しだけ読み始めていた『サラの鍵』を気づけば、5時間で一気に読破していた。夢中で読んだ。泣いた。叫んだ。号泣した。

実は、ほんの数日前、自分が書きかけた、のえのCDブックのための原稿を久々に通しで全部読んでみて、圧倒されてしまった。泣いた。叫んだ。むせた。号泣した。
そして、はたしてこのまま、書き継ぐことが今の私にできるのだろうか、というほどのショックを受けた。私はなんということに手を染めてしまったのだろうか、という事実にあえいだ。そのおもみに私は耐えられるだろうか。はたまた、家族の一人一人が耐えられるだろうか。のえの、私たちの友人の一人一人が耐えられるだろうか。そして、まだ見ぬ読者たちとて、本当に耐えられるだろうか。そして、なおかつ、この本の中身そのものが、読者に迎えられるものだろうか。と懐疑的にではなく、そのおもみゆえに、思いはさまよった。

おととい、ある朗読の会があって、珍しく行ってみようかな、という気になった。のえのことを書いた原稿の整理中に副産物として出てきたのが、すっかり忘れていた原稿で、ちょうど、のえが亡くなって9カ月目に書いたものだった。東日本大震災からちょうど9カ月のその日に持たれる、震災追悼もこめた朗読の会に読める、というか、読むに耐えうる内容になっていると自分でも思えたからだ。

ひょっこり出てきたその原稿を通して、私は、のえを失ってから9カ月目の自分に出会い、そのときの心臓の鼓動、空気の透明感、庭の草花の清涼感に、少しなぐさめられた。自分のたいそうな原稿の束に大泣きしたあとのことだったから、ヒデコに朗んで聞かせたときも、声はしゃがれてほとんど出なかった。でも、そんなふうな声を出すのがふさわしいような内容の静謐な文面だった。

地元の市内の喫茶ギャラリーで持たれる朗読会。
私はいつも怖かった。地元というものが。けっして自分が理解されない、そう思っていなければ立ってはいられないそこで、はたしてこんなデリケートな内容の詩がよめるものか、と疑った。そこのオーナーの女性とは真摯なつながりが少しずつできつつはある。だが、集まる人はどうか。

ビンに一つ一つの言葉を張り付けた詩人の言葉のつらなりは、悪くはないと思っていた。震災の地を足で歩いて書いた詩。ただ、詩を書くために、震災の地を歩いたという人の営為。何の気負いもてらいもない。風景にしみこむ悼みがきしむような言葉のつらなり。
だから、私はそこに、私の「震災」を対置させたかったのかもしれない。

ところが、まだ2時間ある、と思って、少しのつもりで読みだした『サラの鍵』が止まらなくなった。1942年、ナチスドイツ占領下のフランスで、ドイツ軍ではなく、フランス警察の手によってなされた、13000人余りのユダヤ人の一斉検挙。このとき、男たちは、逮捕されるという前噂に逃げ隠れしていて、皮肉なことに検挙されたほとんどが女と子どもだったという悲惨な背景がある。なんと子どもたちがそのうち4000人だったのだから。

しかも、この事実は、1990年代まで、シラク大統領がフランス警察によってなされたフランス人の暴挙として認める演説をするまで、ナチスドイツの仕業として歴史は捻じ曲げられていたのである。

サラは、その事件に遭遇した一人の少女として描かれる。史実に基づくが、綿密な調査の上で、フィクションとしてフランス人女性作家の手で英語で書かれた書物だ。現代を生きるほうの主人公ジュリアがアメリカ人のジャーナリストという設定の中、タチアーナ・ドローネという、フランス語と英語のバイリンガルの作家としては、主人公の母語である英語で初めて書いた本である。

『サラの鍵』は読み進めるにつれて、そのタイトルが、二重三重の意味を帯びていく。

1942年7月16日、考えてみれば、前述のリディツェ村の惨劇からまだ一カ月と少しのその日、パリでフランス警察の手でなされたユダヤ人一斉検挙。その瞬間、10歳の少女サラは、4歳の弟ミシェルをとっさに納戸に隠し、鍵をかけた。
「後で戻ってきて、出してあげる。絶対に。」と彼女は弟に言い残した。

5日間、検挙されたユダヤ人たちが集められた冬季自転車競技場ヴェルディブで、一切の水も食べ物も与えられないまま、放置され続けた彼らの間でも、少女はなんとか弟のところに行けないかと思いを巡らし、警察に懇願し…。そして、送られたフランス国内の中継地点のような収容所で、とうとう少女は、もう一人の少女と脱走を果たす。恐怖と不安の極限の中で、彼女たちを救ったのは、ある農家の老婆と老人だった。

間もなく彼女は、弟を救いに自分の家まで行くと言いだす。それに同行する老夫婦の誠意と意思に、どこにでも偏在する底なしの善意のひたむきさに圧倒される。
彼女は、緊張極まる列車での旅行を老夫婦の孫としてやりとおし、ついに元いた自分のアバルトマンにたどり着く。そして、玄関をあけるや見知らぬ少年が驚くのもふりきり、五階の納戸のある部屋までのぼりつめ、それまで片時も離さず持っていた納戸の鍵で扉をあける。

そこには…。そこには、何がどうあったか、は記すまい。
私はこの映画の予告編でそれを予測してしまったし、予告編でこの物語の全貌をも、おおよそ予測してしまった、とも言える。少なくとも、この物語の基調となるヴェルディブ事件の少女の物語に関しては。

だが、その事件の全貌を取材し、掘り起こしていこうとするアメリカ人ジャーナリスト、ジュリアの物語そのものが、なかなか克明にして微細、家族内の人物像のからみも巧みで、読ませてしまう説得力はなかなかのものと見た。
少女、サラが連行されるまで住んでいた自分の家に戻ってきた時、玄関をあけて驚いた少年こそ、このアメリカ人ジャーナリスト、ジュリアの夫の父という設定が、この物語の重要極まりない伏線となっている。

ジュリアはその後のサラの足跡を追って、フランスの田舎町からアメリカのある町まで歩きまわる。そして、とうとうサラのいるはずの町を突き止めるのだが…。

サラが10歳にして、4歳の弟を納戸に隠したことで、自分にも思いもよらぬ結果をもたらしてしまったことで負う、深すぎる傷と痛みに震えが来る。彼女が悪い訳もないのに、彼女が追ってしまわなければならない罪などではないのに。
この姉と弟のきょうだいの設定は、『ホタルの墓』の兄と妹をも彷彿とする。戦争という、誰の手にも負えない状況下で、最も弱い立場の者がこおむる悲劇を、ここでは同じように、つぶさに心に刻んでしまうことになるからだ。(次のブログに続く)
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| 映画・ドラマ・本より | 00:58 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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