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映画『サラの鍵』の映画評が語る「真実」のおもさ

まだ、映画も見ていない。原作も読んでいない。
しかし、私はもうすぐ主要都市で公開されるという『サラの鍵』という映画の、
その内容にはらむものに、今日の朝日新聞の沢木耕太郎の映画評でふれてしまった。

もっとも心にかかった批評の部分を引用する。

 だが、ここにはもうひとつの、さらに大きなテーマが秘められるている。
 それは、「真実」のために結果的に人を傷つけることになってもいいのだろうかという、
ジャーナリストにとって根本的な、しかし半ば解決不能な問題である。
 ジャーナリストは、取材対象者から、なぜ、何の資格があってあなたは私たちの人生
に介入してくるのかと、無言で、あるいは言葉にして問われる。
 それに対する答えは、よほど厚顔、倣岸なジャーナリストでないかぎり、たぶん、ない。
沈黙して引き下がるしかないが、にもかかわらず、やはり調べ、書いてしまう。
 しかし、それがまったく取材した側の人生に無関係に終わるとは限らない。(後略)

すぐに、映画の公式サイトを見た。予告編も見た。予告編と映画評で、
私はおおよそのストーリーと、その作品の核心を見て取る習慣がある。
映画を見ると、既視感があり、やっぱりね、ということが多い。

だから、最近は原作を読むことにしている。
もともと、原作優先の傾向はあるけれど、
各地で上映中、なんて流布されていても、北陸三県はもちろん、
隣りの滋賀県まで上映館がなく、
例のメトロ劇場で半年後とかに予定がやがて入り、
そこまで待つ余裕と記憶と気力を保つのはなかなかなこともあるからだ。

原作はあった。またもや、鯖江図書館だ。今週中に借りれそう。
いやはや、読みたい、考えたいことだらけで忙しいなあ。

真実とジャーナリストとの間に横たわるもの。
このブログを書くときと、書かれる対象に横たわるもの。
私達が様々に取材され書かれ、いやと言うほど説明しつくした果てに、
たどりついた書き手とのとるべき距離のあり方の問題などなど、
想起することは果てしなくあり、
この沢木耕太郎の言辞には、どうにも触発されてしまったようた゜。

ある意味、旅の恥はかき捨て的なテレビ出演、キャラバンの取材も沢山あった。
後で確認すらしていない。

ここでは、そうではない領域で起きることを想起しながら、
自分が書き手となったとき、被取材者となったときのことを改めて考える。

死をもはらむ厳粛な事実。
あるいはそこまで行かなくとも、やはり「精神の衰弱や混乱」に近い厳粛な事実。
そのそばで私達は、何をどこまで書きうるのか。
何をどこまで伝えうるのか、という問題。

私は、どこまでも「真実」を伝えたい側に、多くの場合は属している。
どんなにつらい真実でも、それが真実である場合には、
物事の本質をきっと切り拓くということがある、
ということを、けっして見逃せないからである。

ただし、相手の意思は尊重しなければならない。
ふみはずすことは、避けなければならない。
それは肝に銘じなければならないのだろう。
という覚悟には絶えずゆり戻される。

私達の人生が、東日本大震災の直前に、ある意味ぎりぎりセーフで、
「ハートをつなごう」という番組で一時間のドキュメントとなって紹介された。

そこに至るまでの日々をも簡単には語れないし、
そこから始まった日々をも私は今も簡単には語れない。
そこには、確かに取材する人物がいたし、
そこには、確かに取材される私達がいたということはある。

ただ、「人生」において事はそれだけですむのか、
という大きな問いかけと共に、
私は「サラの鍵」の映画評に共感的に触れた。
ある種の深いうずきと、うねるような悲しみと、
泣きたくなるような感覚の微妙さと、
それでもどこまでも行き続けなければならない、
生き続けなければならない、私達の人生、
私の人生、
私の人生にまとわりつく人々、
私の人生で、
もしもあるとして「責任」をまっとうしなければならない大切な家族、
そんなもろもろが、映画評を読みながら、映画評が映画評にとどまらない連なりを伴った。

しかも、私は現在、ある種ハードな日々の延長で、
亡くなった娘を「世に問う」CDブックにおいて、
親であることをもこえて、
もはや自分が自分であることすらどこかで消して、……もしかしたら、単に消すふりをして、
それでも、どこまでも親でしかなく、
自分でしかない自分を認めつつ、
亡くなった娘の人生を、
少しでも「立ち上がらせ、浮き彫りにする」という行為の、
最終段階に及ぼうとしている。

生きている者は「傷ついた」と言うことができる。
生きている者は「それには触れないでほしい」と言うことができる。

たえず、のえに訊く。
これでいいのか。これでいいのか。
本当にこれでいいのか。いいのか。いいのか。

24日の冒頭、木曜日の講演の最初に、
のえの「木曜日」の99年版を流した。
大変好評だった。
それでいいのか、と私は会場でのえに訊いた。
どうや、と私は、のえに訊いた。
実際、声に出した瞬間もあった。
5人は確認していた『自死遺族』に支えられた「声」でもあった。

訊き続ける対象を、
もはや目に見える存在としてなくしたとしても、
私達は訊き続けるのだ。

それでいいのか、と。

そして、また、私は、もう一つのある種、生きているからこその、きびしくも笑える、
笑えるけれどきびしい、現実とも伴走してもいる。
ひそかに、
そっと、
ゆっくりと、
歩幅をあわせたり、
ずらしたりしつつ。

時々、胸が詰まる。
そのおもさが、つらくなる。
全くおもさだなんて、思っていないことのほうが多いほど、
熟練してしまったと思っていてさえ、
ふいにそのおもさが、どーんといやおうなく降ってくることもある。

寝起きがけだるい。
ちゃんとキャッチボールできてるかな。

「真実」のために人を傷つけるって、はたしてどういうことか。
なにをはらみ、なにを包み、なにをもたらそうとしてのことなのか。


そこのところをこえて、私はどこに行けるのだろうか。
そこのところをこえて、私がどこかに行けるなんてことがあるのだろうか。
そこのところをこえて、私は確かに歩んでいるのだろうか。

内なる問いで、ときに胸がきりっと痛む。
内なる問いを外へとほんの少しでも出すとき、そのおもさが浮き彫りになる。
もはや、おもさすら放り出して、語り始めていてさえ。

「真実」のために人を傷つける。
そうなのか、そうでないのか、そうでないとしたら、どんな道があるのか。

私は自問する。
自問だけで終わらない、
しかるべき誰かとの共有をひたらすらどこかで願いながら、
今は自問のなかでしか解けない、その謎をゆっくり静かにひらくことこそが、
始まりだと胸に訊きながら。

ダルクの講座で言っていたなあ。
参加者の一人が。今最も望むことを一人一人が言うシーンで。

けっして、もれることのないミーティングでの分かち合い、と。
そこには、深い、するどい、確かな、きわどく、微妙な真実が、
そこだけでとどまりながら輝いているのだろうか。

ケイコ
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| 映画・ドラマ・本より | 16:34 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

久々のご登場でのやりとり、ふふ、嬉しいですね。
私の指標。
ある新聞記事で昔ですが、養護施設の寮母さんからの聞き取り取材でしたが、彼女は亡くなる直前に大勢の施設育ちの、かつての子どもたちの痛みに満ちた個人情報の全てを焼き捨てた、とありました。
もう一つ。
あるフランス人女性。彼女は、母も父も知らない、孤児で、やはり施設で育ちました。でも、フランスの当時の法が立ちふさがり、自分の出自を調べることすらかなわず、国を相手に訴訟を起こしていました。彼女の顔は、ここまで「孤独」を刻んだ若い人の顔は見たことがないという、印象を私に刻みました。
私の二つの指標です。
真実をほおむりさるしかないとき。
真実をさぐりあてるしかないとき。
その二つの。

| ケイコ | 2011/12/08 13:23 | URL |

はい。真実とは何だろうか。普遍性という言葉もあるにはある。私の真実が相手に受け入れられるか。友にとっての真実が誰かの「きず」になることはあるのか。それでも表出しないことには何も始まらない。踏み出した先が奈落かもしれなくてもだ。(どんなに落ちても底はあるとおもいたい)傷の回復力や回復力の衰え・喪失についても考える。

| けろたん | 2011/12/08 10:44 | URL |

今回の命題は、「人を傷つけても、『真実』を伝えるまでの意味は、いつ何時でもあるのか」です。しり込みするよりも、前に私も進んでいるからこその自問です。うむ。

| ケイコ | 2011/12/08 03:13 | URL |

友が私に編んでくれと言い残した言葉たち。それらが何を人々の胸にもたらすのかはわからない。友に頼まれたから、読みたい人がいるから・・・私は編もうとしている。未知の責任を察しながら、しり込みするよりも、前に進もうとしている。いっぽいっぽ。

| けろたん | 2011/12/08 00:05 | URL |















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