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「いつか会えたときに…」がまねく孤立と虚像の向こう側へ

ある程度、メールで大切な中身あるやりとりが続いたあとに、
メールでのやりとりの限界を感じた私なり、相手側が、
自然とやりとりをやめたり、
私なり、相手側が、慎重に「いつかお会いできたときに」と言う段階に達することがある。

それ以前にスカイプで頑張って出会いたい思いをなんとか実現させようとしたり、
この相談にやっぱりこの方には乗っていただきたいな、ということで、
話しに話したりということも、あったりもした。

なんとか、休暇の限られた時間の忙しい中で、仕事以外の時間をやりくりして、
ベロ亭にかけつけてくれて、中身の濃いやりとりをしたけれど、
その中身の濃さを補える日常的な何かが欠けていて、
結局、私達の実像が相手にも伝わらないし、
相手の実像もこっちにも伝わっていないだろうし、
ということで、
ちょっとしたことをきっかけで、
無残にも関係が終わりを告げてしまうことも、ごく最近あった。

2月のテレビ出演を、ただ映像の中だけにとどめまいとして、
様々に、私達に関心を持ってくれたり、
問題意識を共有できるだろうと思っているらしい人との関係を模索してきた。

しかし、そろそろこれも限界にきている、そんな感慨が私を包む。

さっき、ある方からのメールで、
「メールではニュアンスが伝わりきらないから、いつかお会いできる時まで、
これ以上、話さないほうがいいのでは…」的なことを申し出られた。
確かに、事情をよく告げていないお相手である場合、
コミュニケーションのプロセスで思わぬ齟齬があり、
それがけっして相手にとっては齟齬ではない場合もあり、
そこにはメール上のやりとりの限界というものがある、
そう賢明に判断する方があるとしても、やむをえまい。
なぜなら、その齟齬によって、私自身が思わぬ傷つき方をしてしまうからだ。

それを避けたい、とおそらく「賢明でありたい」と思う相手は申し出るのだろう。

かくして、私達の「孤立」と、ある意味、実像が結ばないままの「虚像」が、
この地球の日本の、福井県の越前市の、
この町内の田園風景の中に置き去りにされる結果となる。

これは、このテレビ出演以前からも、ある程度私達の悩みでありつづけてもきた。

キャラバンで出向いた先の人と、もっと話したかった話は、
けっしてその続きをすることなく、次のキャラバンが同じところであったとしても、
なかなか引き継がれることはない。
一回性の出会いに賭ける、つらさというのは、
キャラバンの中では、いつもつきまとっていて、
これは長年の悩みであった。

しかし、長年の蓄積で、数年おきにたとえ一回、
という頻度でも、しっかりとキャラバンを通して、
関係を蓄積し、その関係が年輪と共にあつみを増し、
ということも、そんなに多くはないけれど、
起きている場合もある。

ところで、今よりも逆の流れは、もっともっとあった。
つまり、ここベロ亭まで来る、という行為をする人間が、
もっともっと多かったということがあるのだ。
そして、ここベロ亭で、時間を忘れて語り明かし、
すとんと相手の像も、こちら側の像も、
ある深みまで達して胸に落ちたときには、
そう簡単に、揺るがない関係というものができる。
揺らいだとしても、その揺らぎを取り戻す手がかりを、
どちらかが持っていたりもする。

どんなにか長いあいだ、私達は日常的に蓄積できる友人関係を欲していたことだろう。
このけっして、友人ができない、としか思えない、フクイという土地で。

家社会がはりめぐらされて、婚姻制度、否、嫁入り婚がいまだ、
当然だとばかりにまかり通っているこのフクイで、
私達が、二人のパートナーシップを貫けたということは、
ある種、いかんともしがたいパラドックスだったのなかあ、と不思議に思うところもある。

余りの孤立が二人の絆を強めた?
とはいえ、昔々、私達は近所の作業にも、集落の葬式のまかないにも出たし、
それなり、知った顔はいたし、逆に私達のほうが目立つらしいから、
地元で多くの人に、顔だけはその生き方のなんともいえない判らなさと共に、
知られていたということはあるようだ。

今は、地元にも行きつけの喫茶店ができた。
そのママさんとは、友人で、ヒデコなどかなり突っ込んだ話もできるようになった。
番組が大きな契機になったことだけは確かな事実としてある。

福井市まで飛べば、引きこもりの人達の居場所imaのMさんとか、
そこにかつて行っていた若者が最近では、よくうちに手伝いにも来てくれる。
これもまた、番組が契機になっているのは事実だ。

そして、地元のLGBTの人達とは、ぼちぼちとだが、大切な関係が、
育まれつつあるのはある。互いになくてはならない存在として、
刻まれた存在というのは、一人一人のキャラクターをこえて、
かけがえがないと言えばかけがえがない。
もちろん、これこそ、あの番組が大きな契機になっているのだ。

ひるがえって、たまに通っている大阪。

ひるがえって、番組完成前に行ったきりになっている東京。
キッズオールライトの試写会に行けそうだったけれど、
地震の直後でそれは避けたほうがいいという選択があった。

思えば、もう少し前だったらすぐにでも応じられただろう、数々の申し出があった。
四国を一緒にキャラバンで回るなら、案内するし手伝うと言ってくれた人。
うちで是非、キャラバンをしてもらってもいい、と言った二丁目のママさん。

鉄は熱いうちに打て、だったのだろうか。

しかしながら、意外にも、あの番組が当事者に当る人にも、
見られていないという事実に、最近になって突き当たっている。
見てもらってから、次の必要な話をするというふうに、
話を進めなければならない、ということがある。

そして、特に東京在住のLGBT関係者とは、やむなくメールでのやりとりが多くなる。
そして、メールでのやりとりはいつか尽きる。
私達は、何気なく当事者やら、あの番組に感動したかもしれない人達と、
会える機会がものすごく少ないだろう地域に生きている。
それなり見ている人がいたためのリアクションは、
この地でもあるが、
異性愛社会の中での驚きの範囲を、
良い意味でも悪い意味でも越えない範囲かもしれない。

あるレズビアンマザーの次世代の人が、
「自分は雑談とか沢山しながらコアな話に入っていくから、
ケイコさんとのコミュニケーションは難しい」
と言ってきた。
それは、かなり「自閉症スペクトラム」に対する字義通りの解釈めいていて、
ものすごく自閉っぽい「回答」ぽいのが、皮肉といえば皮肉だった。
でも、「知らない」ってこういうことなんだって、思うしかない。
最初はステレオタイプからしか入れないことがあるのは仕方がないのだろう。

でもね、それにしても、
私とのコミュニケーションが難しいと言ったそのレマザーの人に、
私達が、そんなふうに雑談しながら、なんとなく出会っていかれる、
そんな都会での当事者達との出会いが、おのずとあるような場所から、
限りなく離れているところにいるって知っているの?
私だって雑談だって、他愛ない話だっていっぱいしたいけれどね、
と返したかったけれど、きっぱりやめた。
彼女には、私はただ、
コアな話をいきなりするだけの人と今のところ映っている以上は、
言っても届かないだろうし、緊張が伴うことは避けるべきだと思ったからだ。

大阪では、できるだけ、行くたびに、出会いを大切にしている。
様々な出会いを、けっこうとことん時間をかけてもしている。
ただ、私達の側の大切にしたい気持ちと、
たまたま大阪に、あるいは大阪周辺に暮らしている人にとって、
大阪での日常は日常にすぎないから、
私達の側からの大切にしたい気持ちが、
必ずしもかみあっていないようだ、と気づくことは多い。

そこにLGBTの人達の余りの生きがたさが重なる。
楚々としていて、近づきがたく、人と人が深く触れ合うことを恐怖している、
そんな当事者達がなんと多いことかと私達はあるセミナーに参加して驚いた。
驚くだけではなく、傷つきもした。
そこの空気とか、雰囲気とかに、なんとも言えず「傷つく」ってあるんだ。

そうして、番組に関して言うならば、
あの映像の中に、のえの自死、そしてそれにきちんと向き合い、
のえの思い出と悼む思いを交し合う場「のえルーム」の試みを入れたことが、
余りにも理解されないことが、私には大きく作用している、というのは、
今だってはっきり言える。

ある当事者の若者が、魔でもさしたとしか思えないタイミングで、
あの番組は、「保守層狙いだ」と言ったことがある。
7月17日の、大阪のLGBTのためのセミナーの二次会でのことであった。
その若者とはそれまで、さりけなくも良い関係が続いていた、
大切な仲間だと信じていたから、
寝耳に水のような大きなショックと深い傷を残した。

なんとか、それは彼自身の葛藤の表れに過ぎない、と、
大人のはずの私は大人になろうとしたけれど、
その同じ若者が、その一ヵ月後に、
LGBTの自殺予防のシンポをする、と知ったときの、
地面の底から、ぐらぐらっと崩れるような理不尽さとショックは、
たとえようもないほど、私を打ちのめした。

しかし、私は、LGBTの自殺防止に関われる人間として、
それまで蓄積してきたことがあったから、そのことをまずは、
パネラーだってオーケーですよ、といった主旨で
その若者のブログの書き込み欄で告げた。

かつて、その若者が、「保守層狙い」と私達の番組のことで言ったとき、
のえの自死を、そして「のえルーム」の試みを、
自殺がメインテーマでない番組で映像化することが、
どれほど大きな賭けだったかを、心血を注いで問い、語らざるをえなかった経緯がある。

まず、私はいつものように問うたものだ。
「保守層狙いって言うけど、番組の60分を全て見たの?」と。
すでに、その頃は、あの、のえにまつわるシーンは、
ほとんどの人が、心の蓋をしめて見ているとしか思えない段階に、
私自身の経験を通して達していたからだ。

娘のサナエも言っていたものだ。
あのシーンを語る人って、20人に一人くらいだよねえ…。

今、私は「心血を注いで問い」と書いた。
それは心血を注いで問い、作った映像でもあったからだが、
そのおもみに、今の日本の人々のほとんどが反応できないとしたら、
心血を注いだ意味というのはあったろうか、
という内なる問いに、私自身何度も追いつめられる思いになることもある。
あのシーンを映像にした覚悟の軸は揺るがない。
ただ、余りにも、皆が、無神経に反応しない、
あるいは、「丁寧に」沈黙を守る、ことが続くと、
なんなのだ、という思いは、当然ながら募る。

あるトランスの方が、
「私は何を言われても結局は傷つくから、黙って微笑んでいるだけ」と、
意味深に私へのメールで答えたことがある。
否、答えた、というより、つぶやいた、というか、吐露したことがある。

そんなふうにしか、立てない、立たない、あるいは何も期待しない、
ある種危うくも自覚的な在り方というものを深く思い、
私にもまた、そういう立ち方が今、必要なのかと、ふと思うこともある。
そして、それはそれで、「森にて」という詩に結実した。

でも、「森にて」はけっして、そんな立ち方と同義ではないとも思っている。
それに、私はいつも簡単に「傷つく」訳ではない。
むしろ、筋の通らない、理不尽なことに、
当然のようにショックを受けるというべきだろう。

でも、しかし。だからか…。
魔がさしたのか、NHKへの不信感がごったになったのかは判らないけれど、
その若者の言った「保守層狙い」という言葉に、
いまだ引っかかっている自分を消し去ることはできない。
なぜなら、その若者は、ある意味純粋に、自殺予防のためのシンポをした人間だし、
しかしながら、ある段階で、そのシンポへの私の積極的な関わりを遠ざけた人間だからだ。

それは、表向き、何ヶ月も前から決まっていたという設定での拒みであったけれど、
シンポの前日に送った、彼への応援メールにこたえて最近届いた彼のメールからは、
それがけっして「前から決まっていた」という訳ではなかったことが、
私にとっては、切なくも、なさけなくも、悲しくも映る書き方で、記されていた。

人間というものは、ある種の深い葛藤が、
思わぬ言葉となって、相手を傷つけてしまう瞬間を持つことがある。
私もかつて、そういう類のことをしてこなかったとは断言できない。
というより、どうにもならなかったその時その時に、してきた類の人間だと思う。
その時は、やむにやまれずそうしていた。
だが、しばらくすると、その致命的な、相手にとっての自分の物言いに、
芯からまずかったなあ、と思うこともあるけれど、
もう物事は取り返しがつかないところまで行っていたり、ということもある。

むろん、価値観を伴う違いを、ただ違っていることとして、言えたことを当然として、
芯から肯定できる事実関係で展開することも、このフクイでは限りなく多かったけれど。

しかしながら、それも、
息子がおもい病気になってからは、一切しなくなったと、
私はほぼ断言できる。
息子の病気と共に、
たとえ息子が遠くに暮らしていても共に生きるということは、
そんな無遠慮や、無神経を自分に許していては、
余りにも厳粛な息子のその病気とは伴走できない、
そのことが私を変える大きな契機となった。
慎重に言葉を尽くすべく努力を重ねた。
窮地に立っても、けっしてあわてなくなった。
腹をすえて、人と語れるようになった。

そして、のえの死。

今は、時にめがくらむほどの孤立を、地元以外の人間関係で感じつつ、
自死遺族としての痛みを棚に上げて、
死にそうな若者、生と死のはざまで浮遊し苦悩する若者、
そんな人達に手を差し出すことも多い。
気づけば相談に乗っていることも多い。

そして、私はただ、祈る。
誰もが、自分を丸ごと肯定して生きられますようにと。
誰もが、自ら、死しか解決がない、ような生に追い込まれませんようにと。

語りたい。
「保守層狙い」と言ってしまったことを、
きっと今はすごく悔やんでいるかもしれないその若者と。
語りたい。
「保守走狙い」と言ってしまったことを、
もはや、棚上げにできる問題として忘れたいと思っているかもしれないその若者と。
語りたい。
その若者と私自身の苦悩とかどうかみあい、かみ合わないかを照らし合わせながら、
けっして、お互いが大きく行き違った訳でもなく、ただ単に傷つけあった訳でもなく、
ただただ、同じLGBTとして、余りの痛みゆえに、
互いに触れられなくなってしまっただけだということを。

彼が私からの電話に出られなくなっていた、
あのつらすぎた日々も、できることなら心から許したい。

ところで、
のえルームが映像にされたことのおもみを、
ある自死遺族の立場である女性はこう語った。

「自殺がテーマの番組で、ただ自死遺族としてインタビューを受けるのとも違う。
のえさんの部屋を再現した「のえルーム」にカメラを入れることを決意したケイコさんたちの覚悟ははかりれしない。
それは、亡くなったのえさんと共に、今をどう生きるか、自分に厳しく問うこと抜きにはできないから。
そのすごさを判る人は、今はまだまだ少ないかもしれない。
でも、伝わる人には、きちんと伝わっているはず…。
それにしても、そのことに気づかなかった人が、自殺防止に取り組む、
それは全くありえないよねえ。ありえない。底が浅すぎるもの。
ケイコさんのショックは当たり前のこと。それでは、まるで筋が通らないこと。
しかも、ケイコさんの申し出を表向きはそつなく断ったということも、
同じ自死遺族として、自死する人が少しでもなくなるようにと活動している私としてもつらすぎることよ。」

それから彼女はこう加えるのを忘れなかった。
「でもね。私も自殺に関する放送に出たけれど、その制作に関わった人が、
実は、学生時代に自死した友人の両親に会えていないことを、
ずうっとずうっと気にしていたりするのよ。そんなもの。世の中、まだまだそんなもの…」

他にも、様々な反応が、自死に寄り添う人々から来ている。
が、ここでは、それぞれの思いを大切に抱きしめることにとどめる。
ただ、三人ほどの人が、あのキョウダイが集って、
のえの思い出を語るシーンに救われたと言っている事実だけは添えておきたい。

そして、そんなふうに自死に寄り添う自死遺族の人々が、
どんなに、今はもう、「分かち合い」の会などで努力しているとしても、
それなりに、時に心身の不調を抱えたりを、
やりすごしたり、抱き合わせたりしつつ、
取り組んでいることも、あえて、つけ加えたい。

自死遺族は、ただ切羽詰まっている訳ではない。
ただ、身もだえしている訳でもない。
しんに迫って、判ってしまった事実が深く、大きい、というだけのことなのだ。
それは、深い森の静けさのように、
私達をおおっている、生と死の哲学のようなものだ。

のえ、ありがとう。
私はまだまだ、学ばなければならないのだろう。
それにしても、すごい宿題を残してくれたね。

もはや、生と死が等価になったように思える私でも、
あんたの遺した宿題のすごさには、時にうなるよ。
魂の底からうなるよ。

うなりながら、うなりつづけながら、
見つけるよ。
人と人の本当の絆を。

何があろうとも、
誰がなんと言おうとも、
どんなに孤立しようとも、
とれほど実像が伝わらなかろうと。

そう、思わせてくれるよ。

そうして、人生は巡っていくんだ、
らせんのように、
遠くへ、はるか彼方へ。

そう思えるよ。

ケイコ   12月2日推敲
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