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弱さのなかにすら、豊かさを見る力を!!

私は一体、いつから弱さというものと、相乗りする人生をしているのだろうか。
まちがいなく、相当小さい頃から。
表向きはエリートコースを、都心の中学や高校で歩んでいたけれど、
それにどうしてもなじめない私がいたのだけは確かすぎるほど確かだ。

そして、私は高校二年の二学期でそれをやめた。
弱さのただなかに、なだれこむように身を任せた。
今だったら、心療内科なんかに連れていかれていたのだろうか。
放っておいてくれたのは、おそらく私にとってきわめて幸いなことだったと、今なら判る。

18歳。私は、のえを産んだ。のえと共に、私の「生きる」人生は始まった。
それまでは、いつわりのエリートとして、
背伸びとはったりの上昇志向を強いられていたのだから、
そこからが本当の私自身の人生の始まりだったと、確かに言える。

フェミニストの活動に違和感を覚えるようになったのはいつだったか。
本当にごくごく最初のときから。
そう、あの先進的な女たちのムーブメントから逸脱したときから、
もうそれは起きていたと言えるだろう。
だが、まだ私はきちんとそのことには向き合えてはいない。
自分は、駄目で、弱虫で、ばかで、取るに足らなくて、どうにもならない、
そんな心の声が自分の中を占めに占めていて、あの頃は本当につらかった。
まだ、20代も前半の頃のことだ。

ベロ亭がベロ亭になるには、福井県にいついてからも、
だいぶ時間が必要だった。
単に看板を上げるだけではなく、『ベロ亭やきものキャラバン』として、
全国的な展開を始めるのは、1980年代に入ってからだった。

70年代の後半から、「新しい家族の形」といった傾向で、
新聞やら雑誌やらで、随分と取材され、取り扱われるようになった。
突っ込みの甘い記事もあれば、さりげなく深く書かれた記事、
本質を具体的な事実の数々でおさえて貫いた記事、
キャラバンのことを女の視点でさらりと描いた記事、
などなど、様々に取り上げられた。

実は、私が今、「突っ込みの甘い記事」と書いたのは、
当時の婦人民主新聞のお正月面の第一面全面を飾ったトップ記事のことだ。
記事というものは、どうしてもその書き手の意識を反映する。
ここまで浅くしか物が見えていない人が私達のことを書くとすると…
なんとも言えない不消化感があったけれど、
それはそれでやむなかった。

でも、このけっして深みがあったとは言えない、
表面的で具体的な事実だけをおさえた記事に、
私が「弱さを含めた自立こそ」と言ったことに、
意外にも、結構あちこちから反応があった。
そのことは明確に覚えている。
ある意味、その私自身の言葉だけが、印象を刻む内容だったと言ったら、
言いすぎだろうか。否、多分そうだったような気がする。

他の記事は、三大紙の家庭欄だったり、
創刊された女性向けグラビア誌の「新しい家族」特集だったりしたから、
逆に、書き手の腕は、プロとして厳しく問われる。
フェミニスト向けの新聞は、その傾向ゆえに、あらかじめ、
なんとも言えない前提があって、それゆえの表現の甘さがあったと、
私には今も思えるところがある。

しかしながら、だからこそか、
私は「弱さ」の問題を的確におさえることを忘れなかった。
女がしかと立つこと、生き生きと生きること。
それでも、なおかつ解決されない様々な弱さの問題があること。
そのことを私はどうしても避けて通ることなく、
語らなければならなかったのだと思う。
そういった女達向けの新聞だからこそ起きた、
私の無意識のうちの留意点だったのだろうか。

そして、それはとうとうLGBTの人達の立脚点のようなものに、
触れ続けることになったこの9カ月にも、同じように私を試すこととなった。
私達とほぼ同世代のフェミニストもそうだったように、
彼らもまた、そうLGBTの活動家たちもまた、
上昇志向や、エリート意識と、すっぱりと切れていない人達のなんと多いことか、
と気づきつづけることに疲れ果てた日々だったと言えるほどだからだ。

社会的な意識が、価値観として問われてこなかった時代性も伴って、
それはフェミニストたちの時代よりも、きわだっていると言えるかもしれない。

彼らの中で、べてるの家、について語る人のどれだけが、
本当に統合失調症の苦悩と悲痛を知っていると言えるか。
苦悩と悲痛を突き抜けたところにある「豊かさ」を知っているか。

はたまた、特別支援教育のことを当然のように語る人のどれだけが、
自閉症や発達障害圏の人達の、
かけがえのない面白さと、宝物のようなきわめつけの表現やそれに向けての集中。
そして、それ以外の時の、限りない孤立と痛みをどれだけ知っているのか。

やめてくれ。
知ったように、知識で語るのはやめてくれ。
その内側からこそ、当事者の語る言葉にじいっと耳を傾けてくれ。
しんしんと魂の奥底から聞こえてくる声にのみ、耳を傾けてくれ。

私にとっては、今は、アトピーも統合失調症も変わらない。
私にとっては、今は、自閉症も肺炎も変わらない。
私にとっては、今は、死も生も変わらない。

ある母親が、子どもが自閉症と診断されてから、
それを受け入れるまで、子どもが「死んだ」と同じだと感じ続けた、
と書いたブログを最近読んだ。
受け入れるまでは、弔いの儀式が必要だったとも書いていた。
それは別の子を自分の子と受け入れるようなことだったからとも書いていた。

ふっと、頭が混線した。
のえは自閉症と診断されたその2カ月後に亡くなった。
亡くなった直接の事実と自閉症はとりあえずまっすぐとはつながらないが、
そういった生きがたさを抱えていた、紛れもない、のえが、
私達の前から逝ってしまった、その事実のおもみも悲しみも消えることはない。

ただ、このブログを読んだ時の驚きは、なんとも表現がしようがなく、
自閉症と診断されることが、母親にとって、
まさに「死んだ」と言われたと同じという事態だということに、
ただ、ただ、驚いた。そして、かなり複雑な気持ちでもあった。

だが、しかし、その時からかもしれない。
私にとって、生と死もまた、等価になったのは。
それは、奇妙に不思議なマジックなような出来事だった。

生と死が等価な人間など、あんまり人は近づきたくないかもしれない。
まだまだ、勝ち組になれたり、エリートである自分を使えたり、
上昇志向に乗っていたい人達にとっては。

ただ、誰も判ってくれない、という、
やや思いこみにも似たつよい痛みを抱えた人達が、
最近になって、私達の前で、開放的に笑ったり、冗談を喜んだりすることが増えた。
そんな人達には、統合失調症の不調も、まるで風邪でも引いたように語れるし、
実際、風邪ともアトピーともなんら変わらないという気もする。
あたかも、「のえルーム」の試みの中で、のえのことで、いっぱいいっぱい、
文句を言ったり、笑ったりしたときのように。

最近、ある福祉施設の長をしている友人に、
何年かぶりで電話した。
昔々、キャラバンで世話になったときには、
小さな、精神障害者のための作業所をしていて、
そこでメンバーもろとも、キャラバンの一切を受け入れてくれた人だ。

たまたま、『ハートをつなごう』の後半の30分を見ていて、
珍しく後半だけで、話はとても意味ある弾みかたで進んだ。
だって、後半だけしか見ていない人とは、今までろくなことがなかったからだ。

「あなたたち、いつもすごいとは思っていたけれど、
相変わらず、こんなすごいことを映像にしてしまったんだと、
「のえルーム」のこと、のえさんのこと、描かれているのを見て思ったのよ」
軽快な東京弁が懐かしかった。そして、彼女とは、人との十五分くらいの内容を、
一、二分で話してしまうという密度で、
おおよそ二十分くらい話をした。つまり、まあ二時間くらいは話した感覚だ。

やっぱり私は東京人だとも、どこかで思っていた。
それでも、こうやって、地道に精神障害者と向き合い、
ここまで先進的に福祉施設を立ち上げて苦労している友人にしか、
判らない、私達の営為というものがある、
そのことも確認した気がした。

私達は、ベロ亭の家族は、ある痛みに寄り添いながら、
今、はてしなくも豊かな、「辺境の森」のただなかにいる。
そのエピソードをこそ、「こよせへの森」構想に思いを寄せている人には、
さりげなく、なんでもないことのように何度でも語りたい思いもある。
それは余りにも大切で、微妙で、真摯で、宝物のような体験だからだ。

だが、今はそっとおいておこう。
森の声に耳をそばだてなから、森の鳥のさえずりや、
空気の濃密さ、生い茂る草の青々とした緻密さをじいって目にしながら。

中井久夫先生が、いまだ向精神薬のなかった時代に、
一人として再発者を出さなかったという臨床記録を持つ、
サリヴァンという精神科医の著書を訳している。
いつか読みたいと思いつつ、歯が立たないかな、
と思っていたそれ。
それを読破していた人とも、最近福井で出会えた。
僥倖のような出来事でもあった。

読破こそしてはいないけれど、
その著書のタイトルには、おそれおおくも何か深い事を学んだ。
二冊の本のタイトルは以下の二つ。

『分裂病は人間的過程である』
『精神医学は対人関係論である』
今は、統合失調症となったが、ほんの10数年前まで、
分裂病と言った、その時代よりずうっと前の翻訳だ。

かつて、ベッテルハイムの著書名に刺激を受けた時と、
同じようなひらめきが起きたことを思い出す。
今では古くなったとされるベッテルハイムだが、
自閉症について、次の著書がある。
知的障害を伴う、カナー症候群しか知られていなかった時代のことだ。

『愛がすべてではない』
『虚ろな砦』

タイトルの妙は、内容を語るのだろうか。

そして、少しずつ読み込んでいった私は、
21歳のそのとき、私の特性を自身でほぼ確信した。

ちなみに、前述のサリヴァンは、統合失調症を発症していたのではないか、
と思われる、誰にも知られていない、空白の時期がある。
そして、彼が同性愛者であったことは、
かなり確かな事実であるらしい。

ケイコ
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| 辺境の森から | 21:49 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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