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広島と長崎の原爆を巡る三つの番組が、つなげたフクシマの現在

昨日は、日中の余りの暑さで、一昨日始めた、
のえの本の原稿書きの続きを一字も書き加えることすらできなかった。
思考力も奪われ、うだうだ少し読書をしてはうつらうつら。

そんな日の晩、8月6日という広島に原爆が投下されてから66年目という昨晩、
うだってぼけそうになる頭をガツンと甦らせてくれるような、三つの番組を立てつづけに見た。

一つ目は、NHKスペシャル『原爆投下・いかされなかった極秘情報』。
軍の上層部が、おそらく原爆を搭載しているであろう、通常のB29爆撃機と違うB29の存在を、
ありとあらゆる通信手段を駆使して傍受していたにもかかわらず、
広島でも、そして、二回目となる長崎ですら、それぞれの都市の軍の司令部に伝えず、
その極秘情報が生かされなかった、そのために、空襲警報すら発令されず、
どれほどの人命などの損害を、いっそう甚大なものにしてしまったか、
という目を覆うような真実を、
軍の内部資料や証言をたどって、克明に解き明かしていくドキュメント番組だ。

「軍人さん」が出てくる番組って駄目なんだよなあ。
私は、即座に一人一人の面影に、父の面影を重ねてしまう。
それぞれの年齢が、生きていたら今96歳の父と同じくらいというだけではなく、
陸軍士官学校を出て軍人となった父が、
軍国主義をまっとうできずに生かしきれなかったことを悔やみ続ける人生だったことと、
一人一人の人生が、おのずと重なってしまうという痛みが、私には常にあるということ。

そして、軍人らしさを備えた顔つき、風貌というものが、
かつて確かにあったことを、そらで判ってしまっている自分が、
子ども時代に体感していた感覚として甦ってくるというきしみも、
また私の人生の底流を流れるものとなってもいるのだ。

本当に上層部だった人間も、単に一兵士として「特攻命令」を待つ身だった人間も、
軍国時代を生きたことそのものを、その顔のしわと、
苦悩と誇りないまぜの表情にたたえていることが、
なんだかとても生々しくて、私には身につまされてしまうのだ。

父は軍人恩給を亡くなるまでもらっていた。
私はそれを返納できるほどの気概のある人生を生きてはいなかった。
その恩給による、わずかな貯金があるなら、別の形で生かす、
という選択のほうを良しとした、私が、
これまで、かつかつの人生を生きざるを得なかったという事実も含めて。


二つ目は、実は番組の前半は見ていない。
上記の番組を見た直後の時間だったから、しばらくうっかりしていて、後半を見たが、
後半だけでも、いかに、広島や長崎で原爆が投下された後に、
放射能を巡る情報が操作されていたか、が、明確に判る内容になっていて、
私たちには、伝わるに十分だったように思う。
全部見たら見たで、もっと判ることもあったかもしれないけれど。

BSプレミアムの放送で、番組タイトルは、
『HV特集 ヒロシマの黒い太陽・秘蔵映像放射能情報操作の実態』。

戦後、日本を占領したGHQが、少なくとも10年の長きに渡って、つまり1955年まで、
いかなる被爆者の放射能被曝の実情をも極秘に扱い、
絶対表に出さなかった事実が明らかにされる。
アメリカにとって、被爆者は被曝モルモットに過ぎなかったという恐るべき事実。

しかも、アメリカ国内でも情報操作をして、
原爆投下の甚大な被害を、まるでささいな被害であるかのように粉飾して、
「戦争を引き伸ばさないための必要悪だったこと。
そのささいな必要悪によって、何万、何百万という日本人が救われる結果になったし、
アメリカ兵の死亡に至っては、原爆投下によって何万という人命の被害が食い止められた」
という宣伝を徹底し、アメリカの現在に至る世論作りに成功したという事実が暴き出される。

そして、放射能被曝の実態が、堂々と明らかにされるようになったのは、
なんと1975年まで待たなければならなかったというのだから、
歴史というものがねじまげられ、捏造される構造にまさにふれ、震える思いは募った。

上記の二つの番組が、一体、今の今、何を明らかにしたいのか、
ということにのみ、絞って、このブログでは語りたい。

でなければ、三つ目の、本当のヒバクシャたちの声を聞く準備が、
私たちには整ったとは言い難いという思いがあるからだ。

一つ目の番組の結び。この番組作りに至るまで、
軍の上層部が、原爆が投下される可能性を掴んでいたにもかかわらず、
その事実を、広島でも、長崎でも、当地の軍の司令部に流さず、
その極秘情報がいかされなかったと知った時の、
ある一兵士だった老人の言葉が、
現在の福島をも照射するように、つきささってくるのを否定できない。

彼は、実は、関西から九州の飛行場に帰る途中で、偶然、広島の原爆投下に遭遇している。
彼の乗っていた小さな飛行機は、爆風によって急激に500メートルを降下、
おそらく見事な操縦の腕を持っていた彼だったからこその機転で、機の態勢を回復、
眼前に広がる、一瞬前と違う広島の町の光景もきのこ雲も、現実のものとも思えない、
恐るべき感覚で体感しながら、長崎まで帰りついたという、不思議な体験を持っているのだ。

その彼は、いつでも、出動を命じられたら、B29を撃墜するつもりぐらいはあったと語るのだ。
かなり難しいことだったけれど、何回か撃墜した体験もあると語りながら、
もしも、前もって長崎に原爆を搭載したB29特別機がやってくると判っていたなら、
事前に体当たりでも撃墜でもして、長崎の原爆被害を食い止められたのにという、
そんな気概すらもっていたというのだから、それはそれで驚くべきことだ。

そんな彼が、初めて、軍の上層部が原爆搭載機がやってくる事実をほぼ掌握していた事実を、
今回の番組取材で知った時の言葉が忘れられない。


「そんなことで日本はいいのか!! また、同じことが繰り返されるんじゃないのか!!」

そう、この番組では、66年前、意気盛んな若者で、特攻攻撃も辞さない勢いだった、
今は老人となったその人に、「日本という国の、上に立つ人の卑怯さ」を、
今も続く、その卑怯さゆえの、予測不可能なこれからの放射能による「甚大な被害」を、
問わず語りに語らせてもいるかのようである。

かたや、二つ目の番組において。
そう、こちらは、放射能が人体に及ぼす影響について、
占領軍がいかに操作し、被爆者を孤立させ、口を閉ざさせ、モルモットとして利用したかが語られる。
つまり、これらの事実は、すでに、米国が、広島と長崎の事実をもってして、
数知れない被曝実態という人類を襲った悲劇の詳細を、それぞれの被爆者の苦しみぬきに
把握しているという、事実を浮かび上がらせる。
番組では確か言っていたような気がする。
鍵のかかる米国公文書館の一角に、その膨大な資料が今も隔離されてある事実を。

そして、これもまた、番組制作者側のおそらくささやかな抵抗だったと思われるが、
今も延々と被爆者の病状、体調を管理し、ケアしつづける、
広島の研究所だったか、病院だったかの一角に、不思議な札が立てられている事実。

その瞬間、よどみなく流れていたナレーションが途切れた。
他の作業をしながら番組を聞くだけ聞いていたヒデコは不思議に思って画面を見た。
私はずっと見ていたから、ちゃんとにそこも見た。

ほんの数秒だったように思うけれど、そこには、こんな札が立てられていた。
「福島原子力発電所による放射線被曝検査に来られた方は、次の方向にお進みください」と。

これについては、わざわざ説明する必要があるだろうか。
原爆の放射能による被曝の実態すら、余りにも長い年月、
明らかにすることを許されなかった歴史を持つ被爆国日本。
その日本で、今、福島原発による被曝実態すら、明らかにはされていないんだよ。
という、番組製作者側の、ささやかな、それでも勇気に満ちた意思表示。

ここまで来ても、こんなのかあ。ほんの数秒なのか。それでいいのか。その程度なのか。

原爆と原発は違うからか。
そんなの、核を利用するという一点において、
なんの違いもないことは、25年前から自明の理で、
ツイッターなんかで見られる、
「原爆と原発を同じように語るのは、短絡すぎる」というような文句には、
そんな危惧の一つも見られず、
私は昨日のあの放送の、ほんの数秒の立て札の意味を、
全視聴者の何パーセントが意識できたのか、実際、知りたいと思うばかりだ。

『原発、原爆一字の違い、どちらにしても地獄行き』
25年前の、もんじゅの公開ヒアリングに対する直接行動の時の抗議の言葉だ。

もちろん、原爆と原発は違う。
爆心地では、一瞬にして、人間が蒸発、そこに影とだけなって、
その存在を残したというような事実。
あるいは、一瞬にして炭化。
そして、多くの人々が、人類史上未曽有のも酷い外傷を負い、
百万度のオーブンで生きながら、瞬時にじわじわと焼き殺されたとでもいうような、
そんな事実は、原発では確かに起きはしないだろう。

だが。

だが、放射能の被曝については違う。
それについては、原爆も原発も違いはない。

三つめの番組については、スペースも尽きてきたことだし、
もう一つ、新たにブログをアップすることにする。

それは、8月6日を過ぎた午前零時から二時まで、
じっくり時間をかけた、次のタイトルの番組だった。

『ヒバクシャからの手紙・朗読で伝える66年間の苦悩』。

伝えることの意味、おもさ、をとことん感じさせ、思わせてくれた、
希有な、かけがえのない2時間だった。
ゲストの姜尚中氏の語りも、底知れない静けさと共に、
本質を繊細に微妙について、見事だった。

昨夜は、その衝撃と感動で、眠れないほどだった。
そして、多くの深く大きな気づきに導いてくれた。

ケイコ

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| 原発を許した国で | 18:14 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

15日昼間の再放送でおおかた見ました。最後に語るおじいさんの「これが日本の姿か」(以下はブログに引用されてますね)が重かったです。そのまま現在につながったいるところ、このおじいさんの洞察のとおりなことが怖ろしい。

| けろたん | 2011/08/15 22:59 | URL |















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