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『美しい庭のように老いる…私のあこがれの老女たち』を手にとって

いきなり、引用する。

昨夜、ふと、数年ぶりに二週間以上前にまとめて10冊近く借りてきていた、
図書館の本から、一冊取り出して読み始めて、面白さにぐいぐい引き込まれて、
半分ほど読んでしまった本がある。

その本のタイトルは、このブログのタイトルに挙げた。
著者は宮迫千鶴。画家で、評論やエッセイもものする人だということ以外、
私には、彼女について何の前知識もないし、批判的なまなざしすら持っていない。
ただ、無知なだけなのかもしれない。

昨晩、引き込まれた文章そのものをいきなり引用する愚を、
ここでは許していただきたい。
以下、37頁から39頁冒頭までの引用。


誰の心の小部屋にも、挫折した夢や満たされないまま亡骸になってしまった愛、
あるいは隠された苦悩が潜んでいるけれど、春の長い雨はその小部屋まで忍び込んでくる。

いや、こう言いなおすべきだろう。雨が忍び込んでくるのは、老いた心の部屋にであって、
若い時の心にはそもそもそんな小部屋がない。
若さというものはある種の修復力であるから、たとえ挫折や欠乏によって傷んでも、
しばらくするとその傷の下から新しい葉が芽生えてくる。
そうでなければ人は若さという荒々しい季節を切り抜けられないだろう。

心の奥に小部屋ができるのは、私たちが成熟という季節に入ってからだ。
それは風が凪いだように、あるいは波が引いたように、不意の静けさとして気づかされる。
もはや自分のなかに修復する力が消えている。傷口を修復しそこに新たに種を蒔く時間が
もうないことに気づいた時、私たちはこれからは手持ちの力しかあてにならないことを知らされる。
だが、その小部屋がどんなにありがたいことか。

しかし、私たちは自分がその小部屋に何を放り込んだのか気づかない。多分、そういう静かな
時間がまだないのだ。若い時のように、輝かしい白紙の未来というものはもうどこにもないけれど、
背中を押される着実な明日への責任は若い時よりある。だから小部屋のなかを覗き込んでいる時間はない。

多分その小部屋のなかでは、さまざまな感情にまといつかれたままの生々しい傷が、
透明な遺体のようにゆっくりと腐敗していくのだろう。うまく発酵すれば、きっとよい葡萄酒になる。
だが、腐敗が強すぎれば、それは小部屋の持ち主の人生の失敗となってすえた臭いを放つ。

ではその小部屋の意味を知るのはいつか、自分がそこに放り込んだものが何だったか
過去がどのように熟成しているかを知らされるのはいつかというと、
どうやらそれが「老い」という日々のようである。未来の可能性にではなく、
過去のすでに奪われた可能性にふと思いをめぐらしているようになった時、
私たちは「老い」の扉に手をかけている。それは若い時には知らされなかったむなしさであり、
知りようもなかった静けさである。そういう静けさとむなしさに、このごろ私は時々不意に立ち会う。
影のような「老い」がそこで微笑んでいる。


この宮迫千鶴の言葉の群れから、私が何を感じたかを記すのは、
やや至難の業である面がある。
多分、私は、私の中の、この小部屋の存在を知っている。
訊いてみてはいないけれど、多分、ヒデコも。

新しい芽がどんどん出るような修復力を、若い時ほどには持たなくなった、
そんな小部屋の存在を、おそろしいほど、よく知っている。

しかしながら、私もヒデコも、そんな自らの内なる小部屋を、
けっして腐敗させない、そんな心意気はひとかけらも失ってはいない。
うまく発酵させて、「高く」売れる葡萄酒がそこで出来上がっているかどうかはともかく、
私ならではの、ヒデコならではの、どこにもない葡萄酒を
じっくりゆっくり、時には若い時のようなやや急ぎ足にすらなって、発酵させてもいるような。

別の頁には、50歳までは、体と心を使った人生だが、それ以降は、
体と魂、つまり魂が立ち現われるという記述もある。
わかる。わかるよ。まったくそれって、わかってしまう。

幾人かの魅力的に老いた女たちを取り上げたこの本を前後して読みながら、
私は、この7月15日から20日までの大阪滞在の日々を思っていた。

連休の三日間、性的少数者に特化した講座兼ワークに参加した。
間違いなく、その講座では、ヒデコは常に一番の年長者、
私はその次という順番は変わらなかったように思う。

それが何を意味したか、多くの参加者の誰がどれだけ意識していたろうか。

この一行を書いただけで、内なる静けさは際立ち、むなしさが傲然と顔を上げる。

ヒデコは人と共にいることを、とりわけ大切にする人だから、
たとえ、どんなに若い人とワークに臨んでも、
そこそこのつきあいをし、すでに獲得している力を差し引いてすら、
「対等に」取り組み、グループ内での成果を上げた。
時には、グループのファシリテーターでさえあるかのように。

一度、何か聞きそびれて、「えっ?」っと返し、
耳が遠いと思われたらしく、親切に、大きな声で言いなおされて、
「違う違う、耳はよく聞こえるよ」
と言うはめになったことを、あとで私に笑いながら話してくれた。
「自分と年がすごく違うだけで、相手がどの程度の状態か、
若い人たちは、全く経験がなくて、おそらく60代も80代も、
彼らには同じなんだろうねえ…」
そうヒデコは私に話した。

私は一日目のワークは、何とも言えない異和感こそあったけれど、
そこそここなし、クリアーした。
とりあえず、その日に呼ばれたい名前の名札だけつけた匿名性を帯びた人々の中で、
自己紹介の時に、「ハートをつなごう、に出た、このパン、おいしい、のケイコです」
と言うと、6人ほどのほぼ全員が笑って、なんだみんな見ていたんだ、と思わされた。
見ているなら見ているで、なんとなくそれ以前から言っちゃったりってないのかな。

あの番組からこぼれおちた部分を補強するために、
その日のためにと言っていいような、大阪に行く前日に仕上げた、
「マルチマイノリティ・ケイコのライフワーク」と書いた名刺もどきも用意していた。
それを並べてあったすぐ横の机から、私に促されて取った、やや年配の女性は、
いかにも、こういったワークをしなれているといった感じだったので、
あとで個人的に話しかけてみたが、
「まあ、こういうことはちょっと…」と言っただけで、匿名性を守り通した。
おそらく、どこかでカウンセラーでもしているのか。

二十代からおそらく四十代まで、このグループの女性たちは硬かった。
若い男の子は、ファシリテーターの子も、そうでない子もざっくばらんでフランクだった。

ワークが終了後、私の目の前に座っていた若い女の子が気になって、話しかけた。
「京都から来たんですってね」
「ええ、左京区から」
「わあ、のえが魔の左京って言っていた左京区か」
「のえさん知っています。大輪祭りで唄ったのも聞いたことあります」。

私はがくっときた。それまでさんざんワークを共にしていたこの人。
ワーク中は真面目にお勉強をしていなきゃあいけないとでも思っていたのか。
そして、私がこうやって話しかけなければ、のえを知っていることも言わなかったのか。
これって、人として筋が通らないってわかるのかなあ。やや不快。

二日目のワークでは、私以外の若い若い四人の余りの覇気のなさに、
私は口が実際回らなくなってしまった。
こいつら…おっとごめんなさい…この人たちには、現実というものはないのか。
この日のテーマの、セーフティネットが、すでに私たちの家族が、
ほとんどすべて活用利用したものであることが、そんなに珍しいのか。

グループのファシリテーターも全く気を回せないタイプ、
だがケアマネージャーをやっているとかで、
私が介護保険の質問を午前の講座で出したことに驚いている始末。
この講座に、そういうものの利用を想定している人が来るとは思わなかったとか。
それって、私から見たら、ものすごく不思議なんだけどなあ。
まだまだ、介護保険対象の年齢じゃあないけれど、出すことは出すだけなんだけどさ。

あと二人も、ケースワーカーとかやっているというのに、
なんという現実感の乏しさか。
残りの二人は学生で、もうベービーの顔をしていたよなあ。

ともかく、私はこのワークは続けられなくなるほど気分が悪くなった。
人間と人間とが対している、そのことを意識できない人たちが、
このグループには集まってしまったみたいだった。
そんな連中の前ではもつれる舌を、無理やり動かすより、
ギブアップして、無理を押して参加している心身を休ませてもらうに限る。
実際、彼らに触れているのは15分が限界で、体が拒否を発令、
一瞬、熱も出てきた感じがした。

その日の帰路、このグループの学生とたまたま駅まで一緒になった。
「セーフティネットって具体的に想像もできないんじゃない」
「そうですね。全く。それって僕が恵まれているってことかなあ」
ちなみに、このグループ、私が別室で休ませてもらった後も、
ろくにワークがこなせず、皆で絵を描いていたとか…。

三日目、私は平均年齢が45歳を下らない、グループに参加することができた。
前日の不満というか問題を、責任者たちに提議した結果だった。

私は親しくなり始めていた初日の講師の一人と組めたことも正直嬉しかった。
だって、初日の彼女の「講師としての」語りったら、もう歯に衣着せぬ勢いで、
私はまたたく間に、我にとことん返れた感を持っていたからだ。
もう一人もその日の講師だった、ものやわらかなやさしい日本語のもの言いの陰に、
徹底した個人主義を潜ませた英語圏からやってきた彼。
大切なこととして、付け加えると、この二人とも完璧なトランス。
そして、二人のGIDに囲まれて、もしやこの人も、と思ったのは、
あとから聞けば、人権センターの相談員という女性だった。
ものすごく感じがいいと思ったら、前夜、ユーチューブで、
私たちの番組を見たとのこと。
単にファン的に見たというより、
何か確かな信頼を得られたという印象を私は持った。

ここで、私は初めて、必要最低限の配慮以外はせずに、ワークに臨む事ができた。

面白いことに、そのワークで、
親とか家族とかの気遣いを全く考えずに回答したのは、このグループだけだった。
その課題は、地域の総合病院にゲイの男性が入院、
おねえ言葉のパートナーが通ってくることになるが、どう対処すべきかというものだった。
はは。

この三日間のあと、あるレズビアンマザーと初めて会って話した。
4時間の予定が、倍の8時間となった。
深くあったかい雰囲気がよくて、後ろ髪を引かれる思いで台風の中、帰った、
とあとから彼女に携帯メールをもらった。

その翌日は、私は『発達障害をもつ大人の会』を訪ねた。
代表は、のえやサナエより二つ若い女性。
ひょっこりやってきた当事者の男性が、52歳という年齢で、
偶然見た私達の番組をそれはそれはよく覚えていてくれた。
それに、この大人の会の年齢の幅を確認できたのは良かった。
この訪問については、また別枠で書くつもりだ。

話をもとに戻す。

現代の若者たち、心の部屋を意識しないまま、そこで傷を負ったとき、
それをまたたく間に若さで修復する力すら失ってはいないか。
全ての人が、とは言わないが、そんな人間本来の力すら失っている、
そんな若者の覇気のなさ、恵まれているという中での抑圧すら意識できない「不幸」、
そんなものが、危ぶまれてならないのは、私がただ単に「老い」を意識できる、
そんな年齢になりつつあるからなのか。

もちろん、彼らが性的少数者ならではの苦悩を重ね持っていることは、
はずせないとしてもだ。

さて、「対等に」話ができる人たちは、ほぼ35歳くらいからかなあ。
もちろん、二十代だって話せる子はいる。十代だってわからない。
もしかしたら、一桁でも。
だって、孫のイオンは、なかなかわかっているからね。
これって、おばあちゃん、ばか、じゃあない前提だからね。

最低限でも、話が話として成り立つということ。
もっと良ければ、刺激を互いに受けることができて、
心の小部屋に、いっちょ、新しい種でも蒔いてみるか、
そんな気分すら持ち込んでくれる出会い。

それでも、私たちは静けさとむなしさの中で、
超然と、そして傲然として立っているのだ。
そんな会場の中にいてすら。
あんなふうに番組に、わが身とわが家族をさらしてすら。

魂の部屋とも言えない、仕切りのない、
とっくに過ぎた成熟の季節すら握りしめて。
成熟しつづけるわが樹木を手放すことなく、
それでも、これからは手持ちの力しかあてにならない、
そんなことすら、当たり前のように知りながら。

昨日、のえのCDブックの最初のかたまりをほぼ書きあげた。
それは、静けさとむなしさの入り混じる、不思議な作業だった。
厳粛さすらただよう、魂のなせる作業でもあった。

久々に、突如、私はおとといの晩から、
長いこと、本当に長いこと聞けなかった、のえの音源に耳傾け始めてもいる。

おそらく、のえの生と死を、上手にうまく発酵させるために。

そんなひとときに、滑り込むように、図書館の一冊の本が私の手中にあった。
まるで、読まれるべくしてそこにあったように。

前述の引用は、イタリアの女性作家、スザンヌ・タマーロについて書いた一節。
あとは、私もとりこになった、絵本作家兼ガーデナー、ターシャ・デューダーや、
フランスの女優、ジャンヌ・モローだとか、
もう一代さかのぼって、シモーヌ・シニョレだとかが登場する。

あくまでも、介護保険がどうのとか、
そういったセーフティネットのもろもろを飛び越えた存在として、
書かれる老女たちの突き抜けた魅力として。

まだ、半分だから、あとは誰が出てくるのかなあ。
あれ『八月の鯨』の項があるみたいだな。

それにしても、友人のジャズコンサートに、あの二日目の夜に行った折、
何人か会うこととなったフェミニストの盟友たちは、
もう後に戻れない、心の小部屋の傷みや挫折を、
どれだけ、芳醇な葡萄酒に変ええていたか。

いいや、余りにも無残ではなかったか。
そんなことは思いたくもないのだけれど。

宮迫千鶴じゃあしょうがないけれど、
これらの「憧れの老女たち」に、
レズビアンとしてエイジズムを語った『私の目を見て』のバーバラ・マグドナルドとか、
往年のレズビアン・フェミニストの論客、アドリエンヌ・リッチとか、
60年代、レズビアンと公表し大学を追われた
『ミセス・スティーヴンスは人魚の歌を聴く』のメイ・サートンとか入れたら、
どうなっていたのかなあ。

全く趣きの違うものになっていたのか。
それとも、よりいっそうの芳醇さを加えていたのか。
やや、辛口の葡萄酒になっていたのか。
ふふ。

私は後者を望みたいところだけれど、ともかく。

ともかく、あと数カ月の五十代を、しっとりと、確かに、
慈しみながら、魂の爪でも磨いておくことにでもするかなあ。

ということで、あれこれ、今日も長くなったケイコでした。

ケイコ






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| ベロ亭 | 12:30 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

めばさんのブログにもコメント書きました。
そう、『心のおもむくままに』していたら、きっと本のほうからひょっこり出てくるよ。
でもね。今日はこれから、この本のことやらで始めて、ちょいとブログ書いてやろうかな、と思ってるんで。
まあ、いっちょ、読んでやってくださいな。また。
でも、若干ネタばれ、あるかもね。

| ケイコ | 2011/08/03 14:59 | URL |

私も、あのブログを書いてから、『心のおもむくままに』を手に入れたのですが、読もうと思いながら、どこかに紛れ込んでしまって、今も探したけど見つかりません。きっと、私にとって本当に必要な時がきたらひょっこり部屋のどこかからほこりをかぶって、本のほうから私の前に姿を現すのかもね(笑)

| 倉田めば | 2011/08/03 09:30 | URL |

めばさんへ

書きこみ、ありがとうございます。
めばさんのブログも覗かせてもらいました。

この本の残り半分をおととい、冒頭に心の小部屋の、この私の引用が来る、スザンナ・タマーロの原作のほう、『心のおもむくままに』を今日、一気に読みました。

めばさんが引用している箇所が、まさにこの本の、最後の数行なんですよね。一冊の本の一字一句の積み重ねのおもみが凝縮して、この言葉に結ばれていきます。

ヒットしていた時は、例によって食わず嫌いだった本が、今という時機を得て、私の中におりていった、そんな気がします。

のえへと向ける言葉と、どこかで深く呼応しながら。

| ケイコ | 2011/08/02 23:25 | URL |

美しい庭のように老いる

「美しい庭のように老いる」私も以前読みました。少しめば
ブログに感想書いてます。http://mebako505.livedoor.biz/archives/118063.html
小部屋の話は忘れちゃってた。また読み直してみよう!

| 倉田めば | 2011/08/01 23:52 | URL |















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