PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | --:-- | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

頂点のフェミニスト・どん底のフェミニスト

今日もまた、タイトルに迷った。
「あちら側のフェミニスト・こちら側のフェミニスト」。
いやあ、これだと若干「対立」の臭いが立ち込める。わが意を得ない表現だ。

…気がついたら一人で、向こう側でみんな、笑ってる。
雨の中で、からころ、踊る…

のえの唄「雨の中」がふと忍び込んできていたのかもしれないけれど。
つまり、自閉の切り口から、浮かび上がってきた看板言葉か。

もう少しここは突き抜けたい。そして、昨日のあの会の中で、
おそらく必然的に居合わせることになった、「老いさらばえた」、
今となっては、とても大切な、生きているうちにこそ大切にしておかなくては、
と思うようになっていたチエコさんとの、一連のやりとりが、
心震えるように思い出されるからか。

行くか、行かないか、迷いに迷っていた、
ある講演とパネルディスカッションに昨日の午後、出向いた。
2日前、一旦、やっぱり行かない、と決めた。
講師の著書も図書館で借りてあらためて目を通し、まあ必要ないかあ、そう思えた。
が、昨日昼、そろそろ出かけるには今だ、という時間になって、
おととい始まった、きわめて大事な仕事があるものの、
とるものもとりあえず、行こうという気持ちにまっすぐになった。
ヒデコは、私が行くなら行く、それだけだった。

こういうとき、私は最後の最後まで、自分の直感にゆだねることが多い。
ヒデコはそれに従ってくれる。私がそうしなければならない、
その中身を察してくれているからなのだろう。

十周年を祝う行事が朝から進行中のセンターの建物の中は、
いつになくにぎわってた。
私達としては早めに着いたのだが、
講演会場はもうかなりの人で埋まっていた。
そう、講師は、社会学者としてフェミニストとして、
頂点をきわめたと言ってもいい人だもんな。
それにしても、すごい人だな。

やっと見つけた席は、私は前のほう。
そうユーストりーム放送を流しているお兄さんの隣の席。
ヒデコは後ろのほうの、ひとつだけ空いている席。

私の席の近くには、数年ぶりに会う、岐阜の友人Mさんがいて、
久々の再会を喜ぶ。ありゃりゃ、こういうことだったのか。
「テレビ見たよ。良かった。でも、大変だったねえ」
目を合わせた瞬間、のえのことを、
精一杯語りかけるかのような、沈黙が一瞬彼女を支配した。

席に着こうとした瞬間、チエコさんがよろよろと歩いてくる姿が見えた。
ヒデコに向かって、「チエコさんだあ」と声を上げながら、
私はまだ広い会場の入口のほうにいるチエコさんのほうに駆けつけた。

前の方まで、手を引きながら誘導して、空いている席を探し、
座れるまで手を貸す。そうされるがままにしながら、満更でもない様子のチエコさん。

彼女は、息子も若くして亡くし、最近夫にも先立たれ、全くの孤老。
しかも、少し頭がゆっくりのところがあって、
耳も遠いから、できるだけ前のほうに座ってもらわなければならない。

チエコさんは、あの『草の根からの女性学』の著者。
あの、なんて今頃言っても、もう誰も知らないのかなあ。
1980年代前後に新聞から、女性差別に関わるものを全て切り抜き、
そのひとつひとつに彼女なりの思考を加えた短文を寄せ集めたものが、
前述の書。タイトルはややとっつきにくいが、とても読みやすい本だ。
床屋さんの女房だった彼女のこのたゆまぬ努力を見出したのが、
あの女性史研究家のもろさわようこさんだった。

チエコさんとは、この30年、いつも仲良くできた訳ではない。

1983年のこと。
あの強姦を女の視点でえぐったカナダ映画『声なき叫び』上映会は、
福井市ではまずまず成功、敦賀市は内輪でって感じ。
そして、ここ武生では、「男が女を思い通りにしてなぜ悪いかあ!!」と怒鳴る男の声で、
上映後の話し合いはめちゃめちゃになりかかった。
8人いた実行委員の女たちの半分もいなかった中、
僅かな女達で守り抜いた会だった。

ある女が、「女だって、適当にやってんだから、なんだっていいんじゃなあい」
と追い討ちをかける。
その時、チエコさんは、ふと魔がさしたかのような言葉を口にしてしまった。
「やられても感じてしまう、そんな女の体がかわいそうなんだ…」。
絶句。待ってよ。よりによってチエコさんまでが。
この会の一部始終については、冊子も一年かけて制作したから、
福井県内におけるフェミニストの活動としての探索がいかがなものだったか、
本気で知りたい方には知りたいと声をかけててもらってもいいと思っている。

話は戻って昨日の会場。チエコさんいわく。
「私は今も耳がひどく遠くて、何か聞き違えたりするだろうから、
あらかじめそのときはごめんなさい、って言っておくからね。
それから、昔からそうだったから、そうだとしたら、ごめんなさいね。」

人と人とが遠ざかったり、近づいたりする時、
一体なにがどう作用するのだろうか。
何度となく聞いてきたその言葉をふり払うように、私は続けた。
「そんなこと気にしなくていいの。一切。判っているからねえ。」
彼女はふと我に返ったような、落ち着いた顔に戻った。

実は、彼女とは、ここ数年、何度となく、ホームセンターなどで、
ばったり会うことが続いていた。
表向きは皆が応援している、そのセンターの元名誉館長の裁判のことで、
立ち話が止まらなくなったことがある。
「あれは私、女達という建前の中ではしょうがないと思うんやけど、
あの方、やっぱり違っていると思えてしょうがないんやわ。
あんたがた、どう思う。」
もちろん、私達は即座に同意。ホームセンターの入口のベンチで小一時間ほど、
話が尽きなかったこともある。

今や、チエコさんも私達もどん底のフェミニスト同士。
だから、こうやって一瞬にして分かり合えてしまうことがあるのだ。
チエコさんはあのセンターに功労者として表彰されたりもしたけれど、
見るべきものはちゃあんとに見ていたんだなあ、私達の感慨は大きかった。

おととい、一旦、昨日の講演に行くのを、自分の抜き差しならない仕事を優先させて、
返上しようかと決めていた私は、ふと、ヒデコにもらした。
「タケフのチエコさんと、オオノのキョウコさんには、会っておかなくちゃあ。
いつどうなってもおかしくない年齢だし、私達にとって県内で大切な数少ない人なんだから。」

オオノでは、キョウコさんに何度か自宅をやきものキャラバンに開放してもらったこともある。
キョウコさんは元全逓の闘士、といってもオオノ流儀の全てこんこんと説明しつくす、
その丁寧すぎる説得スタイルには、私達にはそんな必要ないのよー! と、
何度、会話の途中で叫び出しそうになったか判らないくらいだ。
水の町、オオノの水を守るべく訴訟では原告団で唯一女、
女が原告になってなんになる、たかが主婦が、と言われたとも聞く。

あらあら、話があちこちに行っちゃった。
ともかく。
ともかく、そんな話をしていた矢先の昨日、私はチエコさんと遭遇してしまったのである。

別室に忘れてきたというカバンを取りに、
講演とディスカッションの間の休憩時間にも、
私の肩を貸して、ゆるゆる歩くチエコさんの介添えをした。
別室に着けば、
「私、母親20年も前に亡くしているし、親不孝者だったから、こうして、
一瞬の親孝行をしているだけ…」とそこいらで見つめる人たちに、それとなくもらす。

ディスカッションが始まる前には、チエコさんは、ちゃっかり、
空いたまん前の座席に移っていた。ああ、あそこがいいんだなあ、と私。

パネラーの話が終わるか終わらない頃、チエコさんがもぞもぞしている。
「何かどこか行かれたいみたいですよ。ご気分でも悪いのか…」と、
私の前の人が後ろの私に困ったふうに話しかけてくる。
「お連れの方ですよねえ」。うーむ、内心一瞬うなるものがある。
誰だって、一番近くの者が動けばいいだけのことだけどなあ、と思いつつ、
意を決して立ち上がる。

そうよ、私は連れ。
どん底のフェミニスト、として、私はチエコばあちゃんのつれ。

居並ぶパネラーの前を堂々と肩を貸し、ゆるりゆるりとチエコさんを誘導する。
「娘がそばにいて安心や」とチエコさん。
会場の左の壁側に移ってからは、別の人がもう片側の肩を貸す。
そこまでする必要なんかないのにな。やった、という姿を見せる必要があるのかな。

扉の外に出る。
顔だけ知ってだけいる何人かのセンターやセンター関係の人たちが、
慌てた様子で対応する。
「もういいですから。会場にどうぞ戻られてください」と、
センターをいつも一番きりまわしているTさん。

後ろ側から、自分の席に戻り、ろくでもないパネラーと、
講師で、コーディネーターの、
極上のいやしとアイロニーという肯定にくるんだ、パネラーへの否定の言葉を時おり聴く。

そつないよなあ。うまいよなあ。ははは、絶対、許してないよなあ。この人。
この頂点のフェミニスト先生。
でも、否定された人、ちゃんとに判っているかなあ。
まあ、そんなの判る人が判ればいいってことだろうけどね。

急に涙が溢れてくる。チエコさんにつかまられた肩と手の感触が、
丁度十年前、三週間だけベロ亭に預かった父の手を引いた時の感触と重なる。

しかし、そのつながりは似て非なるものとも言えた。
いや、本当に似て非なるものなのかどうか、それすら私には判らない。

ただ、今や天涯孤独なチエコさんが、ひととき、
私の肩を借りて歩き、それも大勢の聴衆もものともせず、
中座しながら、私のことを、娘だ、と言ってのけたこと。
ただ、それだけのことなのに、不意に涙が溢れた。

終了後、だいぶたってから、そう和室で横になっていたチエコさんが現れてから、
私は、頂点のフェミニスト先生に、チエコおばあちゃん、ならぬお母さんを紹介した。

「この町に生まれ育って、この町のことをとことん知りぬいていて、
ちゃんとにフェミニストの視点を持っているのはこの人だけです。」
例によって、彼女の肩を抱きかかえながら、私は言う。
最初にチエコサンは言ったものだった。
「ああ、ホンモノの○○さんだ」。

本人のゆっくりしたしゃべりを補足するように、
私とヒデコはチエコさんの、
頂点のフェミニスト先生には、
ある意味、チリのようなものかもしれない業績を、
そう前述の本ができた経緯を語るなどして伝えた。

「もろさわようこさん。それなら、あなたも女性史の方?」と講師。
「二人は私には娘のようなもので、こうやって甘えて…。」とチエコさん。
「それは女縁だわねえ。」と講師。
「ちょっと変わった娘なんですけどねえ」とチエコさん。

地縁血縁を超える?選択縁、結縁として、いろいろなエニシが語られた講演だったけれど、
ヒデコは、あああ、学者先生って、いちいち人と人の関係をこんなふうに、
言葉にあてはめなければならない気の毒な方なのかなあ、とつい思ったという。

というか、この社会が、社会学者にそういった命名をこそ、
要求するのだと、言うべきか。その名づけの見事さ、的確さ、
変化球度、直球度などによって、学問の値打ちが変わるとでもいうことか。

まあ、いいや。そんなこと。

この講演で知って良かった二つの言葉と言葉にまつわる知恵。

一つ目。共働き、という言葉に対して、行政用語として(だから余計はまる)、
男だけしか働いていない状態の家庭ことを、「片働き」と言うことを知ったこと。
これって、笑えるじゃん。まっ、講師も笑いねらいもあったけど。

二つ目。
無縁社会、とまるで悪いことのように語られるけれど、
無縁、とはもともと仏教用語で、地縁血縁から放たれて自由になって、仏になるとか言っていたかな。
詳細は忘れちゃったけれど、ともかく格の高い仏教用語が出典だということ。

のえは、今、ありとあらゆるエニシから放たれて、空を舞っている。
チエコさんの旦那も、お母さんのことなんか全く無視していたあの息子さんも、
オオノの心筋梗塞で急死した、キョウコさんの旦那さんも、そうなんだなあ。

のえと並べては、やれ、浅川まきだの、ジャニス・ジョプリンだの、
先に逝った、のえの仲間や友人のことしか思わなかったけれど、
天国こそ満員御礼なんだよねえ。

頂点のフェミニスト先生は、次の著作の予定として二つのタイトルを挙げた。
『おひとりさまの最後』。
『おひとりさまの死後』。

どんなふうに料理するんだろう。チエコさんにああやって、
比較的ゆっくりと、でもやっぱりどこか、すぱっと切った竹のように立っていた、
頂点のフェミニスト先生は、これらの本をどうこれから料理するのだろう。

そつない超優等生だから、まあちゃあんとにやっちゃうんだろうけれど、
おーい、弱者のこと、本当に判ってんのかなあ、の感が若干残る。
悪いけど、この直感、私はいつも頼りにしているもんな。

私は私で、よりによって、岐阜のMさんに選んでもらって、
ここ40年の講師のフェミニズムの視点の著作を購入した。
文庫化してたから買いやすいということもあった。

サインしてもらう時、一応名乗り出た。
「カトウテツオさんの本に書かれた文、読みましたよ。」と私。
「あれ、よかったでしょ」と講師。「ええ、判りやすくて、なかなか良かった」と私。
「てっちゃんのこと、知ってるの?」
「いえ、大昔、やきものキャラバンで一度お世話になっただけです」
「あなた、どこかで会ったことある?」
「やっぱり壇上でしたよ。そう、ジョン・アービングが来た朝日ホールの時」
「ええ、あれってすごく前じゃあない」
「ええ、かれこれ数十年」。

このセンターの長である、年配の女性がほがらかに講師を呼ぶ。
そそくさと立ち上がる講師。
あれあれ、大変。あっちも立て、こっちも立て。
でもまあ、講演料、がっぽりもらったんだらか、当たり前かあ。

どうやら、今や講師の秘書かなにかとなったらしいMさんが、
頂点のフェミニストにつないでくれるのが、ちとおもわゆい。
福井で女のグループをやっている人も、
前々から会いたかった敦賀市議の女性も紹介される。

「ええ、福井に女のグループなんてあるのお?」
ちょいと、露骨な私。だってあんなに化粧しちゃってたもんなあ。
えっ、その判断って古臭い?それとも普遍的?

三々五々するうちに、
廊下に出てきた講師に打ち明ける。
そう、この場合「打ち明ける」が、ふさわしかろうなあ。

私、81年から93年まで、この地でフェミニストとして、
できることはやりつくしました。でも、仲間が活動の只中で、
クモ膜下出欠で倒れて、それ以来、
この地での限界を知って、やめました。個人でやる限界を知って。

限界? なんで? と講師。やや、説明を加える私。
その瞬間の彼女の顔は信じられた。
社会学者エンターテイナーのポーカーフェイスの域を、
一瞬脱していたような。私の錯覚でなければだが。

ご苦労さん。でも、ポーカーフェイス必要だよね。
まさに、ポーカーをしているような講演であり、パネルディスカッションだもの。

言いましたよね。
これだけパネラーをセンターの事務局が用意してくださったということは、
ここには、地縁血縁でない結縁、選択縁を生きる方がいらっしゃるということですから。
さあ、どうでしょう!!……この言葉の時だけやけに力が入ってたぞ。

私はどん底のフェミニストここにあり、とチエコさんに仮託して、
ある意味、自身をも語っていたのかもしれない。
ふふ。私が「私は社会学者でもないし」とつけくわえたとき、
頂点のフェミニストさん、わずかに笑っていたっけなあ。

ロビーでは、私達の番組のDVDを貸してあったあるご婦人にも会った。
素晴らしかった、と言い、のえルームのことも、
かつて、のえの一周忌の『マサのライブ』に寄せて書いてくれた、
貴重なアンケートの続きのように語ってくれた。

ただ、ヒデコが話したとき、
なんにもおかしくないことだから、自信をもって…といったニュアンスの言葉があって、
あなたもそれを言っちゃうの?という思いに、悪気は全くないと判っても、かられたという。

帰宅後、その話になった折、
そういうふうに思う一人一人が、私達に何かあった時、必ず力にならなきゃならないって、
わかってていっているのかなあ、と私は思わずヒデコに答えていた。

そのご婦人の薦めで、どうやら頂点のフェミニストさんを、
おそばにご招待しょうとしている様子だった。
一緒に行こうとしている人は、誰もが私達の番組を見ている人だった。
うーむ、誰も誘わんワイ。
ここに、正真正銘のどん底のフェミニストが存在しているって、
だーれも知らないんだ。ははは。笑えた。
そして、ほんの一瞬、さびしかった。

でも、冷静に考えてもみよ。
頂点とどん底は、同席してはならないんだよ。
そんな接待の席では。
そこは、何事もない、いやしの場所である必要があるのだから。

夜、遅く、岐阜のMさんに電話した。
そして、福井市のあるセンターで先鋭的と思われるフェミニストの書籍が、
百数十冊排除された事件に、昨年まで頂点のフェミニストさんと、
その事務局的役割を果たしたMさん、その他、県内一名、県外何名かが加わって、
どうして、こんなふうにそれらの書籍が排除されるに至ったか、
最高裁に至るまでたたかい、敗訴したということを知った。

書籍が間もなく元に戻されたことは知っていたし、
その排除書籍の目録を見て、
この頂点のフェミニスト先生の本の多さもさることながら、
まずはレズビアン、同性愛関係が多いことにも目をおおったことを思い出した。
が、裁判のことは知らなかった。

それは、2006年夏、娘のハナが重篤な病気になって入院治療のため、
ヒデコだけ、日本の京都と福井を往復しながら、
ハナの看病と代替療法の伝授につとめ、
また、のえが調子を崩せば、ヒデコは大阪にはせ参じという年でもあった。

私は私で、そんな事態の中で、急に新しい日本語教師の女性と、
あたふたしながらも、初めてヒデコ以外の日本人とばっちり組んで、
ペルーのクスコ市で、国際支援にあたるという賭けをしていた、そんな年でもあった。

昨夜、ぱらぱらとMさんが薦めた講師の本を見た。
ありゃりゃ。知っているフェミニストがぞろぞろ。
私にとって、その内容が私にどう関わるかはここでは触れない。

ただ、昨夜、はっきりと判ったことがある。

私は私以外の何者でもない、底なしの弱さも、
人を死にすら追いつめるさびしさをも知ってしまったフェミニストとして、
私以外にない、どこにもいない、どんなマニュアルにも甘んじない、
フェミニストとして、ここに今存在しているということ。

それを、その中身を、本当はほとんど誰も知らないということを、
知りえていないということを、今のところ、知ろうともしていないことも。

ところで、岐阜のMさん。
さすがに私には精一杯のまなざしで、のえへの哀悼の意を表したという感じだったが、
ヒデコはかなり落胆させられた、とあとから聞いた。

五人、みんな一緒に大きくなれればよかったのにねえ…
ヒデコは返答に窮したようだ。その上で、ヒデコは、
のえが亡くなってから、私達の人生は全く別のものになった…
と語り、それに対して、意外そうに彼女からは、
「そうなのお」と返ってきたという。

二回目の昨夜のMさんへの電話。
排除書籍の裁判のことはだいたい判ったけど、番組はどうだった?…と私。
顔を出す勇気や、なつかしさが彼女から語られる。
番組の前にすでに、のえの訃報に触れていたという彼女のことが意外で、
のえのことで少し話してみる。
メールかハガキか何かで知ったと思うけど、言葉がなくて…。

百回目か二百回目の「言葉がなくて」」を私はこうやって耳にした。

お互い、五人の子どもを育てた同士じゃなかったのかなあ。
そりゃあ、ないだろう。水臭い。
それに、「言葉がなくて」は、少なくとも追悼の言葉でも、偲ぶ言葉でもない。

言ってたなあ。
名古屋の自死遺族のためのセミナーで、ある、この道に詳しい先生が。

日本人ほど、人の死を心からいたわる言葉や習慣、作法や態度を、
自然と身につけている人が少なすぎる民族はいないと。

そうだよ。だから、Mさん。私は偶然何かで話した折、
すでに、のえは亡くなっていたけれど、あなたに告げなかった。
みんな元気にやっているでしょうお!!
ポジティブで前向き、人生それだけではすまないことを、
本能的に直感的に知っている人間と、そうでない人間とがいることを、
すでに私は知ってしまっている。
そのことを、不幸だとも、マイナスだとも、私は思わない。
それが、人生さ。
底なしだから、丸ごと肯定することに震えが来ようと、
武者震いしようと、それが人生さ。

もうひとつ。
昨日の講演に戻す。
あれは全て異性愛社会を前提にした講演でありパネルディスカッションだった。

せめて。

せめて、講演の中では、どんな地方であろうと、
性的少数者が存在していることを、
忘れさせない一言でも二言でも必要だったと、私達は思っている。

先生の書籍のみならず、同性愛者たちの本を排除しようとした、
そんな前歴のある福井県内だからこそ、
それは、ぜひとも必要なジェンダー的視点だったと言える。
なぜなら、私達はあの会場にいた。
すでに、かなりな人が私達のセクシュアリティを知ってはいた。
理解しているかどうかは別としても。
あの番組を通して。

そして、そうでなくとも、日本中に性的少数者はちりばめられ、
地縁血縁にそれこそ、もがいている。

レズビアンフェミニストこそ、
地縁血縁によって立てないことを、私達はこの地で、
とことん知り抜いている。
対幻想すら、常に問われ、語りあい、克服しなければ、
サバイバルさえできないこの土地で。
いや、それはこの土地に限らないことだとつよく思う。

ここまでのことが、これほど明確に視えたという点では、
私はありがとうと、言おうと思う。

頂点のフェミニスト社会学者、上野千鶴子さん。
どん底の在野の、かつて床屋のおかみさんだった、橋本チエ子さん。

私は昨日、多分、何かにいざなわれて、そこにいたのだろう。
迷い迷ったあげくに。

一昨日、手を染めた、かけがえがない仕事ゆえに。
その仕事の意味に、押し出されるようにね。

ケイコ









スポンサーサイト

| ベロ亭から | 18:14 | comments:5 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

もちろん覚えています。さらっとではないですけど。何重ものいみはあるから。こういう話は対面にしたい。

| けろたん | 2011/07/13 18:24 | URL |

フェミニスト話題が自死話題? ……かあ。
アシュラが、…サンタ・イサベル号、ああこのスペイン語名、違うかもしれない。とにかく、アメリカ大陸を侵略した象徴的な名前の船によって、そうコロンブスが載ってた船か。その船の寄港に反対してとった行動を思いだしています。

ところで、けろたんさんが、社会とかニホンという時、そこに「親」というものが入っているのかな。
あるとき、私達がなんで子どものことって、親ばかり考えなきゃいけないんだろうって思っていた時、私達に、「親だから仕方ないでしょう」って、さらっと言ったこと覚えていますか。

私達は、5人の子どもを「育てた」というだけで、いまだ「子」の立場の人たちの、その「親子観」を投影させられた言動や態度に遭遇し、あれあれと戸惑うことがままあります。
おとといの講演では、パラサイトシングルの「パラサイト」が寄生虫の意味だと、わざわざ言っていましたが、日本語を使ったほうがそれなら、なまなましくて恥ずかしくなるんじゃないかなんて思ったりもしました。キセイチュウシングル…。

確かに、ニホンという国は、人間を生かして、それこそ、生き生きと生かして生かさないクニだと思います。その社会もまた。
アシュラも、のえも、そして、けろたんさんも、私も、十分に自分を生かしきれてはいない、そんな実感にくるまれ、包囲されている。でも、そこから見るべきものを、ちゃあんとに見ようと、今は私は思っています。

娘を亡くす、ということが、「人生がまったく変わる」出来事だと思わない想像力もどうかと思うけれど、そう思うだけで、今度は近づいてこなくさえなった友人たちの何人か。ばかやろう。そこをきちんと見なくちゃ、自死者は増えていくばかりだろう!

頂点に立つ人は、そりゃあ、運や才能や、世渡りや活舌に恵まれていたりもする。勿論、本人の努力もあるよ。でも、だから何。
チエコさんは、あんなになってもけっして自分を失ってなんかいません。物忘れもするし、忘れ物もするし、でも、自分の尊厳を忘れることも、失うこともない。

私は、今は、「福井ルール」からはみだしたり、ぬけがけしながらでも、生き抜いた人たちのことを、私が出会えたほんの僅かな人の中、けっしてその存在を忘れてはならないんだと思わせられてもいます。

社会が、ニホンが、というとき、何か見落としてはならない、重要な事があると思うの。のえだって、社会がもっと早くに発達障害のひとつ自閉症だと気づくシステムがあったら、って本当に言っていいのかどうか、私は今とことん考えます。
ただ、あるがままの、のえと、とことん向き合えばよかっただけかもしれない、でも、それはできる限りは、した。まだまだ、できたかもしれないけれど、そこのところは誰にも何も言えない領域でもある。

一方、私は20歳で、過激なフェミニズムの活動からドロップアウトした、とも言える経歴の持ち主です。最近そういう言い方をできるようになった。当時からの盟友が、そう言ったら、「そうさせたほうが悪い」と断言した。少し救われた気がした、そこから出発したいと望みなおしています。
そこに常に、私の場合は、のえがいたのが、痛いのです。痛むのです。あの、有名な写真の歴史的な存在と共に、今も私は痛むのです。

だから、私はこの本を書く。
小情況と大状況をつなぐために。
内面と社会をつなぐために。
ニホンのちっぽけさと、逝った人たちのおおいなる意志をつなぐために。
私の今だある志と、のえの唄をつなぐために。

もう、やめとくね。また、あらためてということで。

この長文ブログ、読んで何か感じた人、ぜひ、拍手にクリックを。
今回は、あえてそう言いたいくらいのものを、書いたつもりはあります。

チズコさんは、富山生まれ石川育ちだから、ともかく田舎のことは結構わかってはいましたよ。



| ケイコ | 2011/07/12 16:11 | URL |

親友がラディカル・・・だったこと、しかと記憶している人が少ないと思うので嬉しいです。でもこのニホンで握りつぶされた感じです。自死が個人的特性に収斂されるのはいやです。私はやっぱり社会に殺された側面が大きいと思っています。

| けろたん | 2011/07/12 15:28 | URL |

10月の、しのぶ会、なんとか行かれないかな、と思いつつ、東京がすっかり遠くなってしまっている今、確約はできない状況です。ごめんなさい。でも、私も彼女のことを語りたい、そして、聞きたい思いもいっぱい。

「戦闘的な」ラディカルフェミニストか。そうだね。本当にそうだね、と思います。

17日だったか、東京では、あるゲイの男性のお別れ会があると聞いています。この方も自ら、と聞いている。

それぞれの生きにくさを、ちゃあんとに考えられる、そんなフェミニスト像、そんなのフェミニストとかどうかじゃないかもしれないけれど、しっかり視ていきたいな、とやっぱり思います。

実は、てっちゃんも、瀕死の床についているとのこと。そうやって、本は出され、遺書のように引き継がれていくこともあるのかもしれません。

| ケイコ | 2011/07/12 01:49 | URL |

講演会・シンポジウムの題名と人選、確認しました。これは気になる題名ですよね。保存されている画像で見れるようですが、すすんで見る気がしないです。私もまた有名どころにはちっとも知られていない、日本じゃ珍しい「戦闘的な」?ラディカルフェミニストのしのぶ会で人の縁を結ぶべくしごとしているから・・・

| けろたん | 2011/07/11 22:05 | URL |















非公開コメント

TRACKBACK URL

http://puentenokai.blog26.fc2.com/tb.php/869-e21acece

TRACKBACK

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。