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残酷!! 12日のLGBT交流会で、メッセージは途中までしか読み上げられなかった

今日は6月14日。あの会から、2日がたった。

そう、12日に向ける日々。当日の進行形の現実の中。そして、終わった翌晩である昨日も。
様々な人と話しに話し、相談にのってもらい、この「事件」は、ある意味宙に浮いたまま、終わった。

だが、今、私はそれを「宙に浮かせない」という意志をもった何人かに支えられている。

会場で読み上げるために書いたものが、やむなく配布される事態に追い込まれたことで、
紙になって配布されてしまった事実にショックを受けた私が伝えた意味をくんで、
読み上げる役を引き受けた、Mさんが、自分でなんとか手を尽くそうとすらしている。

一方、LGBTの大人と学生が交流するという目的の、この会を主催した人々も、なんとか、このメッセージに時間を取れるようにしようとしてくれたことは理解している。

だが、このブログの日記の前々回に掲載したメッセージが、全文が読まれなかった、と知った時、私に起こった、体中から力が抜けるような、頭がまっ白になったような、そんな状態からは、二日たった今も脱し切れてはいない。
空しさが突き上げる。なんだったのか。あの渾身の力をこめて、そのメッセージに至るまでに注いだ日々のエネルギーと苦労は、なんだったのか。

実は、途中までで中断されて、読み終えることができなかった現実の中、急きょ、読み上げることを託していた、Mさんたちの判断で、メッセージはコピーされ、配られることになった。これはこれで、私もその立場だったら、そうしたに違いない、やむにやまれぬ選択であった。

しかし、昨日の早朝にその読まれなかったという落胆を、東京での他の前例もあるので(これについてはいずれ公開予定)、またもやという気持ちをこめてヒデコがツィート。昼からは、ツイッターで、以下の文を〔拡散希望〕として、何度かヒデコに繰り返してもらっている。夜に入る頃からは、拡散がどんどん進んでいる様相となった。事情がわからなくとも、ヒデコへの信頼から、そうしてくれている人もいたのではないかと思われる。以下、その全文


【拡散希望】「LGBT大人x学生交流会」に参加し地方の女4人からのメッセージを受け取った方へ。あの会の場に向けたのに途中までしか声にして読まれず、あの文をまとめた相方が頭がまっ白で仕事にいけない程のショック状態。せめてメッセージへの感想を私に送って。配布は想定外ゆえ、完読した後の廃棄を求む。


当日全てが終わってから、オノさんともスカイプで話をし、だが、読まれなかったという事実は、私の頭の中で、宙に浮いたまま言葉にならないほどのショックで、口に出すことすらそのときはできなかった。
彼女の声が、いつものテンションの高い声と違って、つきものでも取れたのではないかというほど、人が変わってしまったかのようで、時間の関係で読めなかったことなど言われても、ただそれだけ。
話はむしろ、交流会からは少しずつ離れて進んでいく、という不思議な展開とも言える方向に進んだ。

それはそれで悪いことではなかったが、何かが違っていた。それは、彼女と何かをかみ合わせようと思っているとき、どこかニアミスというべきか、フェイントしているような感覚に陥ることと、たとえ声の調子は違っても、結局は同じだったのかもしれない。

読者は、ここで彼女のことを悪く言っていると単純に思わないでほしい。
私は、今、この「事件」の中で、何が起きてしまったのかという、ことの本質をみきわめたいがために書いているだけだ。彼女は私たちににとって、愛すべき、ちょっとおっちょこちょいの、次世代のレズビアンマザーであることに、何の変わりもないのだから。

そのスカイプでの話を終えた後にやや時間をおいて、私が送ったオノさんへのパソコンメールから一部抜粋。
新たに誤解を招きやすくなるような表現は、読者にわかりやすいように、二箇所ほど言葉を補足なり簡単にした。



体中の力が抜けて、立ち上がれないほどです。
落胆、といっていいのか、
拍子抜け、といっていいのか。

私が、今朝、睡眠時間5時間で早朝から起き出して書いた原稿は、
あくまでも、会場で読み上げられることを前提に書いたメッセージです。
体はぼろぼろでも、必ず書き上げなければと臨みました。

そうして、読み上げられるときのリズムとか、わかりやすさ、とかに、
それなりにしっかりとアンテナを立てて、書き上げました。
声に出して読まれるものか、目で読むものかは、私の場合、
随分と違った配慮を、おのずとしているのです。
自作詩の朗読以外にも、人の文を読み上げるとか、そういったことを長いことしてきました。

読み上げられることを前提に書いたものが、
コピーして配られた、と聞いて、頭が本当はまっ白になったままです。

随分夜遅くなっても、オノさんからも、Mちゃんからも連絡がないので、
なにかそういうことが起きたのだろうと、予想しはじめてはいました。

(中略)今回の始まりが始まりだったから、
オノさんとの信頼関係を見失いそうな状態で進行していた。
それで、あんなにオノさんと心を尽くして話したというのに、
内容の確認ということをしたいんだ? という心の動きに避けがたくなりました。

なんで、信頼してくれて時間とかそういう必要なことのみ言ってこないのかな、
と思っていました。(ケイコ注:事実関係の行き違いは、けっして今さら問題にしたい訳ではない)
Mちゃんがオノさんから電話を受けたのが、朝のばたばたしているときだったので、
(中略)そんなに長くはとれない、ということだけは聞いた覚えがはっきりあると言っていました。

実は、昨日のある時点まで、簡単な短いやさしい文章をメッセージとして送るつもりでいて、
でも、どこか途方に暮れるところがあって、
ある信頼する人に相談しました。二時間か三時間、の相談に及びました。

そして、結局、その人に、ケイコさんのメッセージは、
短くしては生きてこない、省いてはいけない、と励まされました。
その全てが生きてくる文章だから、そう促されました。
その人は、私が読み上げる文章を短くすることを
かつて求めて、私が譲らず、
譲らなかったことで成功したことを見届けた体験をしています。


今日の交流会で時間配分が大変だった状況とは別に、
この私の落胆のやり場がなく、
体の力が抜けたみたいになったのをどうにもしようがなく、
こうやって書いているということ、伝わればと思います。

それから、むしろ、私が言って欲しかったことは、
この会がワークショップだということでした。
その一言で、私は時間配分がどんなに大変かを瞬く間に理解したことでしょう。
ワークショップは何回も受けたことも、自分自身でしたこともあります。
だから、その大変さ、工夫の仕方次第でうまくいったり、いかなかったり、
ということが、出てくるのもよくわかります。(ケイコ注:最初にオノさんに言ったつもりがあるとか、
でも、彼女自身とても混乱していたので、こちらにうまく伝わらなかったのかもしれない)
そういう説明を最初の時点で聞いていたら、こんな思いはしないですんでいたでしょう。(中略)

Mちゃん自身も、もう少しだけ時間をもらえたら、
全部読めたのにな、という悔しさは残しているようです。
10数分で読める内容になっていたかと思います。
トイレに行く人は行ってもらって、最後まで聞きたい人は聞く、
なんて、そんなことは絶対無理だったんでしょうかねえ。

昨日、二時間も三時間も費やして、
信頼するある人に相談にのって貰ったことが一体なんだったのか、
そんなことも思わざるを得ません。
残念でたまりません。
悔しいです。悲しいです。
私は、然るべき言葉を声にのせることを、長いこと大切にしてきた人間です。

そして、ここまで、メッセージかきがぎりぎりになってしまつたのも、
このかんの、予想外の展開の中で、
あれこれいろいろな人と話したり、相談したりで、
自分自身が、昨夜の時点でつぶれてしまったということも大きいです。
そうして、無理を承知で、体も心も削って、でも私には言葉しかないから、
というのがいつもあって、だから書きました。書き上げたのが午前11時というのが遅すぎたのですね。

きっと、あらかじめオノさんが読んでくれていたら、
何らかの形で最後まで読み上げるという方向を選んでくれていたようにも思います。

この落胆はしばらく尾を引きそうです。
あの文章を一人一人が手にして持っているということも、
それはそれだとしても、
想定外なことに自分自身驚きが大きくて、
どこか耐えられない、そんな思いが心を占めています。
目で読んで、そして心に入れてくれるそんな学生やら、もちろんいるのかもしれません。
でも、あれは、やっぱり、今日のイベントの成功を願って、そう結んで書いたもの。

このメールを終えることができません。残念です。悲しいです。
私が注いだ努力が、どこに行ったのか、見えなくなってしまったかのようです。

言葉の表現者として。朗読する人間として。言葉を声にのせることを大切にしている者として。★

以上、私からのメールの抜粋


実は、このブログには、回収ないし、廃棄を求めているこのメッセージを掲載している。このブログの日記は、私達の日記。著作権があるとしたら、それはおのずと私達に属するものだ。
だが、紙になった時に生じる、気がつかないところで生じるプライバシーの侵害、個人情報の流失、予想外の著作権の乱用、そういった事実には、皆意外と気がつかない。

最近、私はある人との話で、番組出演以来、「大出血サービス業」をしているみたい。
そう言ったことがある。言わずもがな。それは全て無償の行為でもある。

一方、私はいまだメジャーの出版社から本の一冊も出していない「ものかき」に過ぎない。
本を出す話をやめたこともある。出そうとして、出す側が引いたこともある。
ある著名なノンフィクション作家が、私達のことを書こうとして、80年代だったが、
やはりあなたたちのことは、ケイコちゃんが書くべきだと、見事に身を引いたことすらある。

私は、誰がどう評価しようと、評価しなかろうと、
日本語表現において、言葉を大切にし、力を尽くすということにおいて、
プロでありたいと確かな意志をもって生きている。
詩人として、このブログの書き手として、また可能な範囲のテーマの、
可能な媒体への書き手として。
そして、日本語教師として。

今もオノさんへの気持ちは変わらない。
大学生のやっくんへの気持ちも変わらない。

そう書くことが頭をくらっとさせるほどの後遺症を残していることは認めるけれど、
私が問題にしていることは、誰かの誤りであったり、
時間配分の問題であったりということではない。

その背後に大きく立ちはだかる、大切な問題を、
誤りがあったなら、なぜそうなったのか、コトの真相なり、深層まで問わない、
そんな現在の状況そのものへの危惧としてある。

やっくん、なんで、
私達のあの番組と、キッズオールライトを、
あの告知で、なんの他意もなく並べたことがここまで、
問題を大きくしたか、わかっているかなあ?

オノさん。私達の番組の前宣伝をあんなにまでしてくれて、
なんで、今もあの番組の感想ひとつ聞かせてもらえてないのかな?

ねえ、どうやって、あなたたちは人とつながるという行為をより確かな糸にしようとしているの?

私は、今はもう、軽やかな気持ちで尋ねるだけだ。
ねえ、どうしてなの。
人と本当に丁寧につながるって、しかもLGBTの私達が、
そのことを実践していくことがどんなにか長い果てしない道だってコト、
どうやって、やっていくのかな。

これは、私自身もこの歳にしても思っていること。
肝に銘じていること。
偉そうに言えることなんかじゃあないってこと。

また、会おう。
会って話せるものなら話そう。
会えないなら、スカイプでもなんでも。
少しずつ、建前ではなく本音が出てきたらうれしいなあ、
なんて今は思っているけれど。

大変だったけど、私はこの「事件」でめげたりはしない。

だって、私がまとめたあのメッセージは届く人には届いているもの。僅かでも。

そう、「拡散希望」のツィートに一人、真摯な回答をよこしてくれた人がいた。
残念だったけど、何回も読んだ上で、お気持ちが判るからこそ廃棄した、と。
そして、この会のこと、番組の感想、彼女自身の大変な状況、なども伝えてくださった。
思いのこもった文面がありがたかった。

たった一人からでも、ものごとは少しずつ歩みを始める。
そこからだ。
そこから始めたい。

ケイコ
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