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話題の「このパンおいしい」シーン、のこちらと向こう……断薬一年目の今日、庭の花たちが語りかけること

kurema
hati

またまた、カテゴリーに迷う。この日記には、時折「シリーズ花」というのがあって、
なんだかややこしげな、面倒っぽい人生の課題の合間の息抜きのように、
私の大好きだった(あえてまだ今は過去形)、手抜き園芸の成果で、
この花咲いた、あの花が種もまかずに自生ぽく咲いた、
とかいう話題にことかかなかった。
特に、春から夏にかけてはね。

そんな話題が、この一年余り、ぱたっとなくなった。

それは、私が、いかにも私らしい、雑草も抜かないくらいの
ご自慢の?手抜き園芸で花を咲かすことすらできなかった、
この一年の闘病の日々と重なる。

そして、今日。
歩きにくくなったり、
体中のこわばりにシッテンバットウする二晩をへたあげく、
こまごまとそれぞれの症状を細かく診察時に語ってみれば、
「それは、薬剤パーキンソンですよ!」と
あの心療内科の医師が身を乗り出して断言した日から、
そう、今日でちょうど一年。

では、その先生に電話でもしてみるとしましょうか。
もちろん、仮想ですが。
仮想ということが、何を意味するかなんですが。

「もしもし、先生ですか。
ええ、それなりには元気にしていますよ。
気持ち的にはね。

でも、まだ足腰はとても疲れやすくて、
まるで元気な人みたいに手加減を余りしないで動くと、
そりゃあ、もう、疲れ果てて目も当てられたもんだはありませんけどね。
一週間、場合によっては二週間は伸びますネエ。

ああ、眠りですか。
そうですねえ。マイスリー以上の睡眠剤はのみたくないですから、
まずはサンソウニントウという漢方薬をアレンジして貰ったものを
今はのんでいます。先生ご存知ですか。
新大阪まで、私二ヶ月に一回出向いているんですよ。
心療内科を漢方でされている、もともとは物理学者の先生がいらして、
微妙な、本当に考えられないほど微妙なさじかげんで、
サンソウニントウアレンジも私の状態に合せて調整してくださっているんです。

これで、六時間は眠れるようになりました。
でも、眠る前に頭がさえるようなことがあると、
これが三時間とか四時間とかになることもあるんです。
で、マイスリーの登場です。
一時は2.5ミリグラムで眠れるくらいになっていたんですが、
今じゃあ、10ミリグラムでも眠れません。
そう一日の最大量を、普通なら深夜までには飲まなければならないというのに、
眠り足りないときの予備として、
しかも今はまたもとに戻って、最大の10ミリと、
サンソウニントウのエキス剤とを合せて、
朝方にのむということをして、どうにか眠りを補足しています。
だいたいは、7から8時間は睡眠を確保。
へたすると、6時間しかってときも。
これは、もう漢方だけですましてしまえ。って思うときにそうなります。
それから、うんと疲れたときとか、
六時間の漢方のあと、マイスリーの四時間で合せて10時間眠るときもありますよ。

先生は、一年前、「漢方は効きませんよ」と断言されましたが、
こういう訳で、私は西洋薬と漢方薬の併用でなんてかやっています。
一日おきに煎じ薬、ちゃあんと煎じていますよ。
この漢方薬には、眠り成分のみではなく、私のそのときそのときに必要な、
そんな成分が微調整されています。
その上で、マイスリーで補足。最低二時間しか眠れないときから、
ぴったり四時間まで、まあ、血中濃度の半減期まで二時間ですから、
まあ、私の体はいかに薬に対して正確に反応するかが、
この一年で体験済みですよ。
あとは、メイラックスとレキソタン、
これはしばらくは、余程安定感が得られたなあ、と思うまでは、
のむつもりです。抗うつ剤とは違いますから、最低限の量ならと。」

こんな話を、今も穏やかにできる先生だったら、どんなにいいでしょう。
前はいい先生だったんですよ。
だけど、去年の十月に会ったとき、
「薬剤パーキンソンってあなたなんですかあ!」って言ったんですからね。
こちらも負けませんよ。四時間くらいしか眠れない中で、
ふらふらでも、意志と気力だけで言いましたよ。
「先生がおっしゃったことじゃあないですか!!」

思えば、私の発達障害のセカンドオピニオンも認めていなかった、
そのことはどこから見ても明らか。
なんでも、「うつ」にしてしまう医者の典型だったかもしれません。

でもね。この先生、話だけはしてくれたんです。大切な節々にはね。
だから、今でも人気はあるんでしょうねえ。
重篤な副作用を出してあわてちゃったんでしょうけど
こういうときに、人間って本性をあらわしますよねえ。
医者の沽券というか、男の権力があらわに。

まあ、このくらいにしときましょう。

実は、これを書いている途中で、大きなパニック発作に襲われました。
そして、抗不安剤で一番長い間のんでいる、
レキソタン二錠をのみ、それでもおさまらなくて、
胸のうつのつぼにお灸をしました。そしたらすうっと眠れました。
またまた爆睡。疲れているなあ。
3500歩のウォーキングを暑い中したあとだったからかなあ。

さて、こんなに長い「副作用話題」のあとには、
あたたかな花シリーズに戻すことにしますね。
じゃなきゃ、私も読者もかわいそうってなもの。

実は、今日、やっと、陶芸祭の搬入の手伝いに来てくれた県内のビアンの友達からの、
鉢植えの植物の全てを植え終わりました。
長いこと、していなかったことなので、わずかに残っていた負担感をふりきって、
そうだ、あの食卓を思い出して、贈ってくれたんだと思いながら、
丹念に土を足し、鉢も選び、きれいに植えつけました。

庭には、私の世話がなくともたくましく自生しているクレマチスの花が、
紫色の大きな花びらを開かせ始めています。
つぼみもいっぱい。
大丈夫、大丈夫、世話なんかしてもらわなくとも、
私達勝手に咲き誇りますからねえってな感じ。

自生している勿忘草も地面から、あっちに青、こっちにやや赤いのと。

花壇には、雑草に混じって、薄紫色のロシアンセージが、
私たちだって負けないもんってな勢いで、咲き乱れています。

春に意を決して少しだけ植えたパンジーやらは、
もう季節が追いつかなくなってきて、ややへたり気味。
夏の到来と共に、だんだん勢いがなくなっていきますからね。

何年越しで育て守り続けていた花々、花木、
大半はこの一年の私の副作用による大病で全く世話してやれず、
ほとんど立ち枯れてしまいました。
ヒデコはもちろん、私の世話でかかりっきりでしたしね。

震災で大切な人も、何もかも流された人に比べたら、たいしたことじゃあないや。
でも、何年越しで育ててきた花々がなくなつちゃったのは、
やっぱり悲しいし、見るに忍びない。
まだ、枯れたまま鉢にあって、その周りを青々とした雑草が覆っています。

さて、皆さんが本当はお楽しみの今日のタイトル。

あの番組で「このパンおいしい」って私が言うシーン。
どうやら、かなりな率で視聴者の皆さんお笑いになったみたいですね。

あの撮影は、実は2009年の晩秋でした。十一月。
そう、あのピンクの花…ああ、名前忘れた。花の名前もよく覚えていたのになあ…
やら、ずうっと春から咲いていたのも、
食卓を飾っていて、おまけに私の顔の端で揺れていたり。

あの撮影、私のインスピレーションが急に働いて、
今でなければ撮れない、という緊迫感の中で、
今村ディレクターに駆けつけて撮ってもらったシーンです。
あと少しで冬。次の年の春くらいには放映かもしれないし、
春の花は雪国ではなかなか咲かないから今しかない、
それがそのときのささやかな「緊迫感」でした。

翌年の春、四月。確かになかなか春らしい暖かさは訪れませんでした。
そして、私の体はじわじわと副作用に侵され始めていたのです。
撮影そのものは、家族が息子カラの個展に集まった五月の初めまでです。

だから、あの食卓シーンは、実は晩秋の冷たい風に抗って撮ったシーンなのですが、
とても貴重なものとなりました。
あのとき撮りそこねていたら、あの花いっぱいの食卓シーンも、
「このパンおいしい」シーンもありえなかった、そういうことです。

冷たい風をものともしないふうにして、
母子母子家庭話題やら、まあ、あの「キッズオールライト」の食卓シーンにも負けない?
二人の楽しい会話シーンを撮れた、そこにはこんな秘話も隠されていたのです。
「キッズオールライト」のあの青空の下での、妙な家族の組み合わせの明るい食卓シーン。
そして、私達のいまや最初で最後っぽい、まじめとお笑い半分の食卓シーン。
これは、たった今、語っているから、言っている「最初で最後っぽい」なのですが。

どちらにどうおもみを感じようと、軽みを感じようと、
それは人それぞれ、私の関与するところではありませんが、
それに、ドキュメントとフィクション。
ハリウッドと日本の田舎を比べたってしょうもありませんが、
さあ、あなたはどちらの出演者と語りたくなる人なのでしょうか。

まあ、ジュリアン・ムーアとアネット・ベニング゜と私達を並べること事態が、
冗談にすぎない、愚の骨頂的なことなのでしょう。

そりゃあ、どんなに小さな番組でも、
実際に生きている、私達の誇りと尊厳、
それが、蘇った花たちと共に、ここに大いなる幸いあり、と語りかける。
しかも、新しく出会ったビアンの友人からの花の鉢も加えられたこと、
それらを心からいつくしみつつ、
本当は「シリーズ花」にしたかった今日のブログをそろそろ結ぶことにしますね。

ありがとう。
あの花々をヒデコの誕生日にプレゼントしてくれたマユミさん。
陶芸祭の花瓶の展示に使おうとして、
鉢植えだとわかって実は私はがつかりしたのです。
ああいうときって、展示のことしか頭にありませんからね。

それから、祭が終わり、ああ、いつか植えなきゃあ、と
どこか無意識に思いつつも、
今日まで私はそのことにも着手できない日々が続きました。
そして、今日やっと植えました。

そして、あのシーンが蘇ってきたのです。
あの2009年の晩秋の一日の朝、
いつもより早くかけつけた今村ディレクターのカメラの前で、
私達は彼とできはじめていた確かな信頼関係の中で、
ほとんどカメラを意識しないで、語り合いました。
パンを食べ、野菜いっぱいサラダを食べました。
あのときは、そんな食卓で、当たり前のように咲いていた花々でした。

今は、花いっぱいの庭ではありませんが、
こんなふうに、僅かずつでも小さな花の語りかけと共に、
あの晩秋には、
ここから二時間もしないところに住んでいた
ビアンの人がいたなんて、知る由もなし、
ところが、今は、マユミさんという人と、
こうやって同志のようにやさしく結ばれている、
その至福を、土をいれ、花を立たせ、
あの野外のヒデコの手作りの、やや朽ちてきたテーブルに並べたとき、
なにか不思議なものが蘇ってくるように感じていました。

もう園芸はやれないかもしれない、
そう思ったこともありました。
でも、少しずつでもやりますね。

そうして、私達の年齢なりの花を、人生の花をも、
今一度咲かせたい、そう思いもした、そんなひとときでした。

時には一輪の花を植えるにも、深い意味が伴うことがある。
そんな天からの恵みのような、贈り物に胸にしみいるものが確かにあった。

いつだったか、ターシャデューダーのことを語ってくれた友人がいました。
今では、彼女も亡き人。
それでも、きっと彼女の庭は、花と共にあった庭は、
私の記憶の中に確かな花を咲かせ続けているように思います。

ケイコ
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| 副作用ラプソディ | 16:56 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

画像は撮ったんですよおだ。ただ、自分ではアップできないので、いつも、お願いししますです、なんですです。

それに鉢、今回入れたのは、植木鉢としてつくったのではなく、陶器としてつくったのが底切れしたので、高級な植木鉢にかえってなった感じのもので。だから、そうねえ。わざわざ意識にのぼらせなかったのかもねえ。

| ケイコ | 2011/06/09 00:53 | URL |

今日あなたが、植えてくれた、マユミさんのプレゼントの花を植えた鉢の記述がありませんでした。あなたは、長い文章でたくさんのことにアンテナをあげますが、私の作った、陶器にアンテナがあがらないことが多いですね。
素敵な新しい、焼けたばかりの鉢に植えましたね。
画像もいつも入れませんね。
その、長い気持ちいっぱいの文でイメージを作るのですね。

| ヒデコ | 2011/06/09 00:28 | URL |















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