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私の5.11、そして一年、今日

今日は、2011年5月12日。
どちらかといえば、私の「副作用ラプソディ」記念日は、昨日、5.11。

昨年の5月11日、私はスリランカ人一人と、
日系ブラジル人二人の個人レッスンを三つ立て続けにした。

まだ、日本語がほとんどおぼつかなかったスリランカ人の生徒の授業の準備は、
いつもこれ以上はないというほど、時間もかけて念入りにしていた。

ところが、この日は、背中のだるさがひどくて、
体をゆすってみたり、背中をぽんぽんと軽く叩いてみたり、
それでもどうにもならないので、今度は、
力任せに叩いてみたり、で、これは体調優先だな、
という感じで、ひたすらウォーミングアップに努めた。

ついには、飛び跳ねてみたり、体操を試みたり。

三人目のクラスで、今までにない何ともいい難い
体の揺らぎというか、めまいというべきか、
発熱でもしてきたかのような、そんな異和感をおぼえた。
その頃は、声もかすれ気味だった。
何人もの授業を続けてやっても、こんな経験はそれまでになかつた。

帰路の山道。くねくねと車で上りながら、今まで感じたことのないような、
妙な不審感を、くらっとするような不安な感覚の中で覚えた。
熱い。頭が。どこが。わからない。
自分の体が自分の体でなくなるような、
そんな異様な感覚。

帰宅後、私は畳につっぷしへたりこんだ。

そして、それが、昨年の連続した日本語クラスの最後の日となった。
その時は、そんなことになろうとはつゆ知らず。

ああ、あれからも、もう一年か。
今日、あの日も教えていたスリランカ人のブディカさんに教えながら、
ふと私は沈黙した。あれから一年。
この一年とは何なのだ。
誰か、答えを出せるものなら出してほしい。
でも、彼の前では、私には沈黙しかなかった。
一言、つらかった、と言ったかもしれない。
やさしい彼は、静かに頷いたかもしれない。
そして、沈黙。

それから、さっと切り替えて今日の授業を続けた。

翌日、そう丁度一年前の今日、12日。
微熱が出たので、午後思いついたように行きつけの内科に行った。
腎炎という診断だった。
そうか、ありがちな感染か、疲れか。

しかしそれは違っていた。今にして思えば。
今にして思えば、この内科の医師さえ、薬剤性の腎炎だった可能性は十分にある、
と後になっていうのに、この薬剤を処方していた心療内科の医師は、
十月に会ったとき、いとも非科学的に言い切ったものだった。
薬剤性の腎炎などありません、と。
むろん、十月にその医師に会う前に私も調べてはいた。
薬剤性の腎炎というものが存在することを。

微熱は抗生剤をのんですぐ下がった。
軽い腎炎だから、仕事も続ければいい、と内科の医師は言った。
しかし。
しかしながら、私の体はもう仕事へと復帰する力を残していなかった。

「のえルーム」を三月末に閉じるにあたって、
そういった時期はつらかろう、という心療内科の医師の見込みで、
一錠か二錠から、三錠に増量された、軽いはずの抗ウツ剤が、
すでにじわじわと私の体の許容量をこえて、
私の心身をむしばみ始めていて、
腎炎は、賢く正直な体が発していた警鐘だったのだと私は解釈している。

私は授業を続けられなくなって落ち込んだ。
しかも、ブディカさんがヒデコの個展のための写真を撮りに、
ベロ亭を訪ねてきてくれたときも、
ほとんど外に出られず寝たきりで、
なんてことなんだ、と先の見えない思いにとらわれた。
本来なら、生徒と先生という立場を抜きに
楽しむ時間になったかもしれなかったのに。

追い討ちをかけるように、ひとりの身内との小さかったはずの問題が、
私の中で解決されないまま、大きく、とどまりようがなく膨らんでいくことを、
すでに私はどうすることもできなくなっていた。
ああ、私はもうこの家族の一員であることすらできないような、
そんな状態になっている、そう自分を追いつめる、
言うに言われぬ焦燥感にかられた。

それもまた、今なら、紛れもない副作用であったと判る。

私に、想定外の重大な副作用をもたらした抗ウツ剤レスリンは、
薬剤パーキンソンだけではなく、その頃、「焦燥感」という余計なお世話の
プレゼントさえしていてくれたのである。

そんな折の診察時、私は初めてこう言った。
「こんなんじゃあ、生きている意味がない」と。
心療内科や精神科の診察時にはしっかり自分を見きわめて、
言わないようにすらしている言葉、ちらりとかすめてもけっして言わない言葉。
それを、その日は口に出さずにはいられなかつたのである。
心療内科の医師は言った。
「どうせ、腎炎で寝ているなら、もっとレスリンを増やしましょう。
そう、百ミリグラムにしてみましょう」と。

ここの叙述については、恐るべき肝心さと念入りの注意深さで、
少しでも精神医療に携わっていたり、
精神科や心療内科に通っている人なら、
読んでいただきたいところである。

ここで、彼は、つまり私の心療内科の主治医は、
「おかしいですね。それは。歩き方もおかしくなっているとか聞きますし、
副作用の可能性もありますよね」と気づかねばならなかったはずだ。
現に、つきそって行ったヒデコは、
この折にも、その前のときにも、
三月末に増量して以来の私の変化をきわめて具体的に
彼に告げ続けていたからである。

いびきが大きくなった。睡眠時無呼吸症候群では?
声が小さくなった。力がない。
それまでの「のえルーム」ではもっとしっかり話していたのに、
どこか声に力がなくなっている、そうヒデコは感じ取っていたのだ。

そして、あの5月11日。
ヒデコは、私の歩き方が奇妙になったことに気づいている。
もちろん、副作用のせいなどと思わないから、
うつが悪くなって、精のない歩き方になったせいとでも思っていたのだろう。
「なんか、妙な歩き方だけど、かわいらしい。どうしたんだろうね。」

ここに一枚の写真がある。その日、その時、撮った写真。
今となっては、紛れもない証拠写真。
薬剤パーキンソンの始まりを証すはずの。

それから。
それから、私はマーケットでの買い物を最後まで続けられなくなった。
立っていられなくなって、それまでもカートにかじりつくように、
おおいかぶさるようにやって買い物していたのだが、
それもある程度の時間しか耐えられず、
へたり込むように椅子に座り込んだ。

そんなことが何回かあった。

5月末、陶芸祭り。
あとにも先にも、はじめて、私は全面的に手伝うというか、
ヒデコと共にできない祭りとなった。
深夜、展示に手間取っているらしい様子に、
なんとか出向いて、ちょちょちょとよたつきながらも私が並べ替えると、
なんとか様になったのを見て、手伝いに来ていたヤエが、
ケイコチャンが魔法を使った、と言ったのが記憶に残っている。

わずか二十分ほどでも、その時はまだ、
「魔法」を使える力が残っていたのである。

開催機関の三日間、
私は私の様子を見に来てくれた息子と共に、
午後遅めに会場のベロ亭のテントに出向いた。

いつものように一人、二人と接客をする。
お客さんの顔の方向に回りこんで、こちらに思いを引き込むやり方で。
やろうとする。なんとか。そして、やる。何度か。

だが、その後すぐに、前の芝生に私は座り込み、
はたまた、体を横たえた。そうするしかどうしようもなかった。
思えば、あと十日ほどで、副作用と発覚する直前の日々。

息子と先に帰ってきて、
ジープだったせいもあり、つまりパワステではないので、
車の幅寄せの感覚が狂い、
隣の家の車庫にどわっーと傷をつけてしまうほどのことにもなった。
そのどさくさに息子の足を少しだが何と言うことか轢いてしまい、
そうでなくとも忙しい盛りのヒデコが、
息子を病院に連れていかねばならなくなったり。

そうそう、祭りの直前には、本当に腎炎が治ったか信じられず、
というのも、背中のこわばりが一向に取れなかったからだが、
ここから車で一時間余りの福井市の評判のいい泌尿器科にまで行って、
腎炎が完全に治っているというセカンドオピニオンを得るまでしている。

この辺りから、ヒデコは私のわけのわからぬ事態に、
翻弄される日々がどうやら幕を開けてしまった感がある。

今日のところはここいらで終わりにしよう。

もうひとつの記念日。忌まわしき記念日。
それは6月8日。
レスリンの副作用の薬剤パーキンソンと判って、
ありえないほど唐突に断薬をした日。

その頃にまた、あらためて記すとしよう。
その前後からペンを起こして。
断薬以後の、死闘の日々を。

読むほうだって、書くほうだって、耐えられる限度というものがある。

ところで、今年の陶芸祭りは、
去年の切羽詰ったようやくの開催とは打って変わって、
あの番組を通した出会いに囲まれて、
私も何とか元気になった中、
いやはやどんな展開になっていくか、
楽しみといったら、やっぱり楽しみだなあ。

神様がいるとしたら、
やっぱりいろんなプレゼントをくれるんだよね。
よいプレゼントも、時になぜ? としか問いようのないきわめつけのプレゼントも。

それでも、私はそのプレゼントの意味を問う。
一緒に問うてくれた女性鍼灸師の先生。
なんと言っても、いつもどこでも何があっても、共に乗り越えようとしてくれたヒデコ。

このテーマを手放さずに、問い続けることを止めまい。

精神医療の薬剤の功罪をとことん見きわめながら。
どんなにかレスリンが助けてくれた日々があったことも、
どんなにかその副作用が想定外の苦しみをもたらしたかも、
忘れず、必要としている人にその体験を語りたいと今も願いながら。

つづきは、そういう訳で、六月初めにもちこしです。

そうそう、結びにこれだけは記しておこう。

今日は久々の鍼灸治療。
最近は十日か二週間にいっぺんの治療になっている。
一番ひどかった日々は毎日。
それからまあひどかった時には週に三回。
それが今では、こんなに鍼灸通いも人並みとなったわけで。

鍼灸師の先生、今日おっしゃいましたよ。
体は、そう、六、七割治ってきたかな。
まあ、もう少し、バッテリーの充電は必要ね。
筋力は八、九割ってところ。
使いすぎて、よろけるような時には体を使わないでよくよく休むこと。

漢方で眠れるように、またなったなら、それでいいし。
そう、眠り成分のソンソウニンを20グラムに増やしたら、
また最近、最低限かゼロの西洋薬で、
八時間ほど眠れるようにもなっています。
まだ、数日の成果ですが。

そう、もう少し、もう少しと言いながら、
もう春も終わろうとしています。

暑い夏が来たら、いやおうなく思い出すだろうなあ。
あの、すさまじき日々のことを。
あの日々の、ヒデコの信じられないほどの優しさと共に。

ケイコ
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| 副作用ラプソディ | 21:44 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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| | 2011/05/18 02:44 | |

こんにちは、クッキーです。
副作用ラプソディ記念日、「おめでとうございます」というものでもないのかもしれませんが、1年経った今、そのことを克明に描いて私たちに知らせてくれようとする力がケイコさんに戻ったんだというのを確認する意味では、おめでとうございます、かもしれません。何かを書いて、人に伝えるのには、ものすごいパワーが要りますから!

アメリカで、老人ホームで大量に利用されて国の保険に請求されている抗うつ剤などの抗精神病薬の利用は、本当に適切か、と言うのが以前から問題になっていますが、日本の、普通の病院でも、そんなふうに言えてしまう医者がいるというのは、恐ろしいです。そりゃあ、薬を与える側にとっては、それがいちばん「簡単」かもしれませんけど、その人に、少しでも受ける側に寄り添う心があったなら・・・。

そして、ケイコさんが最後にさらりと書いた、「ヒデコさんの信じられないほどの優しさ」を思って、これからできあがっていく本編を読む前から、感動してしまいました。続きをとても楽しみにしています。

P.S. お手紙目下執筆中、どうかどうか気長にお待ちを・・・!!

| クッキー | 2011/05/14 22:20 | URL | ≫ EDIT















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