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あえて今問う、はたしてレズビアンムーブメントは日本に存在したと言えるか

不穏な? 空気ただようかのような、タイトルにびびっちゃった人っているかな?
いるだろうな。でも、「あえて今問う」に着目してほしいところなのです。
だから、真意をつかむべく、まあ読んでみてもらえればってところで。

前々回のブログで、まるで日本のレズビアンフェミニストムーブメントが存在したかのような、
それも私達のベロ亭キャラバンがそうだったのよね、という書き方で、
提示したそれ。でも、その当時から、ある翻訳家の方で、
アメリカではレズビアンフェミニストの詩人たちが、おおいに時代を切り拓く
そんな役目を担っていたことと重ねて、私の自作詩朗読などの活動、
また書いていた詩そのものを、「神話的」と称して活躍を期待されていたことがありました。

でも、キャラバンはあくまでも、『フェミニスト』の私達が作るもの、
よくて、そのくらいの理解だったのは当然のことです。
なぜって、レズビアンということを全国キャラバンで言えるような時代ではなかったからです。

でも、私はこめていました。その詩の内容そのものに。
すべての詩のテーマとなったわけではないけれど、少なくともそうである私が、
書いていた、どんなテーマであれ、そうである私が書いていたという事実ははずせません。

ところで、私には忌まわしい、悪夢のような記憶がふたつ、しかと今あります。
すでにフラッシュバックに陥るほどの記憶ではなくなったそれ。
時代は巡り、ともかく都会ではレインボーパレードがクイァ映画祭が
毎年開かれる時代となりました。良くも悪くも、少なくとも
セクシュアルマイノリティのコミュニティは存在している、と言えるでしょう。
こんなこと言ったら、若い人たちの袋叩きにあうかもしれない、
でも、それを覚悟して書いています。
「良くも悪くも存在している」って言い方がね。

さて、その忌まわしい二つの記憶。

ひとつめ。
私達二人の子どもたちの存在を巡って、20年くらい前だったかな、
親しかったり、顔を知っている程度だったりした、
レズビアンたち20人くらいの舞鶴の海岸でのキャンプが、
まっぷたつに分かれてしまったことです。

子どもたちと自然と遊ぶ、親しかったレズビアンの友人たち。

子どもといたら楽しんでもいられないと、
遠巻きになったり、ついに私達の一団から離れた「子ども嫌い」のレズビアンたち。

それに大きく一役かっていたのは、ものすごくマッチョな一人のレズビアンでした。
つまり、そんな雰囲気を先導したというべきか。

いいんですよ。私だって子ども五人育てたって言ったって、
今でも子ども好きとは言えないかも。でも、子どもってものが教えてくれること、
勝手にどんどん大きく育っていく力、そんなものに触れられたことは、
人生の大きな力となりました。

もうひとつの忌まわしい記憶。
これは、もしかしたら私の妄想だったのでは、と思うくらいの、
勘違いであったらどんなにいいだろう、と思うくらいの記憶です。

それは、一応『レズビアンフェミニスト』を標榜するレズビアンたちの
集まりだったのだけは確かです。
フェミニストであるのだけははずせない私が、何か確認しなくては、
そんな気持ちで重い足をそこに運ばせたような、そんな記憶があります。

その当時、『レズビアンフェミニスト』たちは、いや、今もいるかもしれませんが、
「レズビアンになる」ということに、とてもこだわっているようでした。
「レズビアンである」のではなく、自らの意思で「レズビアンになる」ことに。

そこでは、選手宣誓、否、自己啓発セミナーの自己の人生への意思を皆に誓う、
そんな雰囲気の、目を疑うような光景が展開していました。

次々と女たちが、それも二十歳そこそこのものすごく若い女たちが、
前に出て、片手を上げて差し出し、こう「宣誓」するのです。
「レズビアンになりまーす。」「がんばりまーす。」

呆然とその光景をしばらく確認し見届けた後、私はそっとそこを退場しました。
嘘であってほしい、そう願いました。
私の見た悪い夢であってほしい、そう祈りました。

後年、「フェミレズ」という若干揶揄をこめた言い方があることを知りました。
セクシュアルマイノリティであることが当然のこととして、
ある意味、無思想であったとして、その自身の自然な思いとの葛藤にのみ悩む、
そんなとても自然な、というか自然であることが許される時代が
やってきた後のことだったように思います。

敢えて言います。言わなければならないことが、
つまり、若い世代に勘違いされているかもしれないから、
敢えて言わなければならないことが、とても私には不本意だし悲しいことなのですが、
私達二人は、どこをどう切り取っても、皆に揶揄されるような「フェミレズ」ではありません。

私が誇りを持って、括弧もつけずに、格好もつけずに、きわめて当然のこととして、
私はレズビアンフェミニストというとき、
そこでは、「フェミニスト」という定義づけさえ、問題にしなければならない、
そんな時代にすらなっているような気がします。

女が女であるとき、自己も他者も尊重して生きていこうとするとき、
それは余りにも当然で、ただただ抜きにできないこと、それ以外の何ものでもない、
そんな意味で、私はフェミニストです。

でも、今回の番組の後に、ある瞬間私が「レズビアンなんて大嫌い」と
不穏なつぶやきを、まあ自分の家の中でヒデコに聞こえる程度の影響しか持たない範囲で
言ってしまった、そんな時と同じように、
私は私のこの人生において、「フェミニストなんて大嫌い」と何度叫んだか判りません。
これは少なくとも、何人かのフェミニストの友人たちと笑って共有できた、
そんな部類のことではあるものの、
まあ、フェミニズムが深く、一人一人の生き方から離れて、
ウィメンズスタディズになり、大学で学ぶものとなり、
男女共同参画センターの各地での実績と連なっていった時、
そして、パワーをもった女たちの時には、人を人とも思わぬパワハラとなったとき、
私の気持ちは、はっきりと今社会に目に見える形で現れているような、
そんなフェミニズムとは一線を画さなければ自分を維持できない、
自分の立っている場所を深々と肯定できないような、
そんな思いにとらえられたことを、全く否定する気はありません。

1988年、石川県の金沢市で『女のからだから合宿』なるものが開かれて、
北陸三県の女たちが、その遠距離さをものともせずに実行委員会をつくって、
「地方の女たち」における女たちの問題を顕在化させようとした動きを作っていったその時、
その合宿を各地で延々と続けてきた、そのたゆまぬ力強い動きとその影響力こそ私だって尊敬していた、
あの当時東京を拠点にしていたジョキの女たちが、「地方の女」の問題なんて関わりたくない、
とほとんど、私から見たら、頭ごなしと言っていいほどの乱暴さで、
北陸の女たちの、ささやかでけなげで、それでも力強くもあった
「地方の女」たちの動きの芽生えすら否定し、目をそむけた、そんな事実も、
また歴史の闇に、このまま黙っていれば、埋もれていくことに違いありません。

まだまだ、書き出せばきりがないほど、
レズビアンのこと、フェミニストのこと、
私には言うべきこと言わなければならないこと、言いたいことが山のようにあります。

今まで、あきらめて言わないで来た分、多分。

多分これは、いずれ、ベロ亭のケイコとして、きちんと一冊の本にまとめるべき
そんな重要で、重厚な、そしてきわめて大切な女たちの歴史の
偽らざる真実でもあるのです。

でもね、
本題の「敢えて今問う、はたしてレズビアンムーブメントは日本に存在したと言えるか」については、
言及不足。

ただ、今言えるのは、ムーブメントというか、
草の根から一本一本を紡ぐような、そんな活動はここ日本に、
フェミニストにおいても、
レズビアンにおいても、本当にあったのか、
ありつづけたのか、
そして、今あるとして、今はどんなふうにしてあるのか、
それだけは、私の人生を賭けた、けっしてこれをこのまま何も言わずしては死ねないな、
という課題だということだけは、ここに告げて、
今日の、
ちょっと、不穏な、タイトルの一文の結びとします。

私達が熟年カップルだからって、『フェミレズ』と勘違いされるのは大間違いの元。

それだけでも、伝わっていればここではまず、よしかな、ということで。

ケイコ
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| 虹色カミングアウト | 11:56 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

ケイコさんへ

 私は子供時代、母親からほぼ強制的に男の子の格好をさせられていました。
 今でいう「子供の意思を尊重」などという言葉は辞書に無い人の下、髪を刈り上げられ、汚い色の服を着せられ、ズボンばかり履かされていました。
 それでいて「女らしい態度」だけは求められました。
 姉は「普通の女の子」でしたから、母はただ私に「理想の息子」を押し付けていたのだと思います。
 男らしく、自分の言う事を素直に聞き、イザという時には頼りになり、でも男のガサツさや厭らしさは一切持ち合わせない『自慢の息子』を。
  
 そんあ子供時代だったからこんな気持ちを持つようになったのか?と悩んだ時期もあります。
 でも15歳で「心のへその緒切り」を始めて以来伸ばした髪は二度と短くなる事はなく、今は便宜上滅多に履かないもののスカートも大好きです。

 あと、けろたんさんのおっしゃる「仲良しグループ」的な雰囲気って判りますね……俗に言う「普通の友人関係」でも「御仲間」以外には徹して排他的な雰囲気が溢れている人達は一杯いますから。
 特に今の状況は
>いつも一見歓迎ムードだったが、ほんとに関心をもたれたことはない……
 という言葉が身に染みます……。
 

| リオ | 2011/04/02 21:31 | URL | ≫ EDIT

80年代半ば、私はハタチそこそこで、リブのおばさまたちに囲まれていた。「すでにレズビアンになっていた」人たちから「早くなりなさいよ」と言われた記憶も。いつも一見歓迎ムードだったが、ほんとに関心をもたれたことはない。だからつながらず終わってしまった。「こんなのがリブ・フェミニズムなの?単なる仲良しサークルじゃない」私がほしいのは、課題や成果をきちんとバトンで手渡していく、厚みのある関係であり運動だ。いまもまだ。ところで韓国でも、アカデミズムと結びついた権力志向のレズビアンフェミニストがいるようです。映画監督ビョン・ヨンジュさんが批判してました。

| けろたん | 2011/04/02 18:05 | URL |

リオさん。いつも素早い書き込み励みです。
この論議は本当は奥が深い面も。私は子どもの頃から、自分の頭の中は、完璧男の子と思っていました。こんなふうに思考したり、行動したりする女の子っていなかったから。ただ、見た目は女の子でしたよ。ふふ。
私がもしこのテーマで本を書くとしたら、まあ、体調いかんでいつも実現がなかなかなのですが、『レズビアンマザーという広がり』となるかなってところです。
マザーであること。レズビアンであること。これはまた、複雑にして、おおいなる挑戦。人生に遅いも早いもない。誤りは、長く続けないほうがいいけど、始めるのはいつだって、
そう今、本当の私達を表出しはじめながら、冴えてくる思考の波に、我ながら圧倒されつつ、自己調整に努めています。

| ケイコ | 2011/04/02 14:50 | URL |

「なる」ものではない……。

 確かに
 「レズビアンに『なる』」
 という言葉は私も好きではありませんし、それこそ社会的誤解の根源だと思います。

 最近では某犯罪者の元恋人いう人が同性婚をするとかで、その理由ってのが
 「もう男は信頼出来ないから、レズビアンに『なった』」
 と聞いて、物凄い違和感を感じました。

 『なる』もんじゃないですよね。
 もうそれは、最初から持っているもの。
 彼女も私と同じで
 「気が付かなかった」とか
 「認める勇気がなかった」
 だけだと思うのです。

 何より、どんな人にも両性的な部分があって、それが何処に影響しているか、その割合が多いか少ないかだけで、100%男だ女だなんて人間は逆に存在しない、というのがもう様々な研究で証明されているのに。

 この世の人間が全てバイだったらな~、なんて考えてしまう私です。

| リオ | 2011/04/02 13:47 | URL | ≫ EDIT















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