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かくして番組の「感動」は消費された?(2日後加筆推敲)

カテゴリーは、虹色カミングアウトとするべきかもしれない。
だが、このカテゴリーも私にとってはもはや色あせた。

私は私、何も変わらない。
祖国ルーマニアですさまじい弾圧を受け、ドイツに亡命、
おととしノーベル文学賞をドイツ人として受賞したときの、
ヘルタ・ミュラーの、戸惑いながら述べられたというこの言葉は、
新聞で読んで以来、いつも私の基調低音のようにささやいている。

今回の番組作りに関わり、その後の反響を良くも悪くも受けた今もまた。
だから、カテゴリーは、「ベロ亭から」。
「虹色カミングアウト」だけ拾い読みする人は読まなければそれでいい、
そういうつもりもある。

番組の反応として、最も多いのが、私達二人の絆を、すごいとか、
うらやましいとか、絶賛するといったたぐいのもの。

異性愛者というのも面倒だが、要するに普通の夫婦でも、
仮面夫婦だらけだとか、うちの夫とはあんなにコミュニケーションできないとか、
とにかく私達の関係の濃さ、密度、信頼らしきもの、
そんなものを、自分の「配偶者」との関係に比べて、「ほめたたえる」のである。

ばかな。
あなたたちは、それでもって、いろいろ保障されているのでしょう。
仮面でも、家庭内離婚でも、それで守られているのでしょう。

こういった反応は主に私達の地元でのことが多い。
たとえ同じようなことがメールなどで書かれていても、
県外の異性愛カップルをやっている友人などからのものは、
もう少し、いやもっともっとつっこんだまなざしを持てているものが多い。

事実上、離婚していても籍は抜かないで守られている家制度。
紙の上で離婚していても、職場にはその事実をひた隠しにしていたある暴力亭主。
長男はもちろん、あるいは男の子がいない家では、総領娘が跡継ぎとなり、
とにもかくにもそういった長子だけに明らかにされるという、その家の財産。

家制度を守るために、子どもが生まれない家では、
妹の家から、もぎとるように子どもを養子にもらったり、
婿も嫁も、養子縁組で跡継ぎを得たり。

「総領娘」「両もらい」など、この福井県という「国」に来てから、
初めて知った事は数知れない。
うちの近くの峠道が「嫁ころばし」と知ったときの
おぞましい、震えがくるような恐怖感は今もって変わることはない。

あちこちにあるため池では、
昔から何人もの女たちが身を投げてきたものだと聞かされている。

それでも、そんな福井「国」で、私達の番組の投げかけたものが入る余地があるだろう人たちと、
一緒に観る会を持った。それはそれで悪くはなかった。

観る会に行けるほどの者ではない、と「遠慮」したヤナギオさんのブログの文章は、
すでに何日か前のこのブログで、本人の了解を得て掲載している。
彼女の正直さは、物事の本質、差別する人の心を知り抜いている、
と言う点で、群を抜いている、としみじみとかみしめたものだった。

他に直前になって、何人か知らせた人がいた。やっぱり知らせたい。
それは、この番組に賭けた私達なりの願いであり、祈りでもあった。

その結果。

その結果が上記のような、私達の関係を「うらやましい」と無自覚にのたまうものでもあるのである。

あえて伝えず、別の私達が最低限「信頼」する人から、「信頼」する人として伝えられ、
上記のような感想をぽろりともらした上で、
私達の番組の存在の意味やその内容ではなく、それを知らせてくれた第三者への感謝で、
私達へのメールの短文を結ぶ、無神経さには言葉もない。
その人を「信頼」するに至らなかった、そのことの意味を少しはかみしめてみよ。

先週の土曜日、最悪のことが発覚した。
このマチで、最も知らせたくない人に、ある人が「信頼」できると信じ、
知らせてあったことを知ってしまったのである。

アウティングを恐れた。
アウティングとは、悪意をもって、人の個人情報を噂にして人を追い詰める行為。
場合によっては、最初に悪意はなくとも、悪意の潜む人の世でそうなることもある。

かつて、このマチには、どうやったってもう住めない、と思うほどの、
ありえない、人を人とも思わないレッドパージ的裏切り行為を、
虫も殺さぬ顔をしてやってのけた人のことだ。

それは、このマチらしからぬ「奇跡的な」市民運動の、
あるクライマックスで起きた出来事だった。
かくして、このマチには、『民主主義』は存在しない。
市民運動も一瞬の奇跡で、幻想に過ぎなかったことがあらわとなった。

さて、その人。
あからさまなことは、ずる賢くもあるひとだから、できないとしても、
それを巧妙に利用したり、隠微に語ったりはありうるかもしれない、
そう思った。

カミングアウトを一度もその人にしたこともないにもかかわらず、
その人は、番組の知らせを受けた時、
「そんなこと、とっくに知っていた」と言ったという。
「そんなこと」という響きを伝え聞いた時、恐怖はいやました。
そして、第三者を介して、アウティングしない、という約束を、取り付けた時には、
「そんな番組だいいち観ていないし、公言なんかしない」と言ったそうな。

彼女には、このマチのかなりな人がパワーハラスメントを受けている。
いろいろな人からその体験を克明に、事細かに聞いてきた。
人を人とも思わないその態度は、相当知れ渡ってはきているらしい。
最近、市会議員に当選した時も、相当得票数は以前より落ちているとも聞く。

こんなことを長々と書いてきたのには、次のことが言いたいからである。

この人物との間にたった人からの文面によると、
彼女は、セクシュアルマイノリティの講座をこのマチのあるセンターで、
開くのに尽力した人でもあるということ。
男女差別をなくすための条例だかなんだかを、
保守派の議員を説得してこのマチで成立させた人でもあるということ。

そういう人物にもかかわらず、彼女からアウティングを受けることを、
私達が最も恐怖したと言う事実が意味するものは、いったい何なのか。
このときの私達の、根深い、恐ろしい、ゆがんだ、レッドパージ的ネグレクト体験を、
これをお読みの方々は、はたして想像できるだろうか。

私は容易に想像できる。
家制度が人の心の隅から隅まで張り巡らされているこの地で
「嫁ころばし」をころがり落ちるかわりに、
ため池に飛び込む代わりに選んだ人生の選択を。

自身の魂の根っこまで殺した、否、百歩譲って殺された女たちは、
人の心を、何度でも殺しうるという、この地の、否、この世のゆがみを。

そうして、この彼女のうえには、
あのミツイマリコという名前を持つ、
「フェミニストエンターテイナー」すらいたことを、
私達の歴史として、これから私はどう語っていくべきだろうかと思う。

もちろん、このマリコエンターテイナーもまた、
上記の人間を上回るパワーハラスメントを当然のこととして行使する
人間だったことは言うまでもないし、全国的に知る人ぞ知るところだろう。
表向きは応援せざるをえなかったとしても。
「女たち」という何が何でもの結束を、
たとえ「男社会」に突きつけざるをえなかつたとしても。

この件を巡って、
私のこの歪んだマチへの怒りは、こうして二日前発火点に達してしまっていた。

そのセンターはお金をかけて、どんどん女性の権利もろもろを巡る講師を、
県外から招いては、事業をやったという実績を一応つくってはいる。
が、そういった講師の一人が、関西の地元に帰って、
私達二人の目の前で、あきれたように、こう語っていたことを私は忘れない。
「あのセンターはね。おかしいのよ。女性のためのセンターだろうに、
老人ばかり集まって。あんなところ、他にはないわよね。」

講師でこの地に出向く一人一人のツワモノの女たちよ。
どこまで、この地を知っていてやってくるのだろうね。
どこまで、この地に本当に必要な講座がひらかれているのだろうね。

まあ、講師の一人一人は、金稼ぎの多少にはなるだろうけれど。

まだまだ語れることは、この件であるけれど、まあこの辺で。

センターがその気で取り組むなら、
私達がこの福井「国」で取り組んできた、そんなセンター以前の、そのまた以前の
女たちの、本当に草の根一本一本からの活動を
いくらでも判りやすく語ってもいいけれど
嫁と姑の問題をのりこえるファシリテーターでも、
よそ者と、何百年とここで生まれ育ってきた家の歴史を持つ人との、
架け橋になるべく、異文化トレーニングでも、
もちろん、ベロ亭のここでのホントのホントの人間としての歴史でも。

そんな「講座」が、どれほどの人に届くものか、ということはあるけれど、
それが判ってしまっているのも、私が私であるゆえんかもしれないけれど、
腹はとおにくくっている。何でもやれってったら、私流にやりますよ。

ところで、ところで。
そして、おととい。
ある展覧会にヒデコと出向いた。

その展覧会を開いている作家が、ヒデコをある人に訳もなく紹介した。
ついでにヒデコやその人たちとは、そっぽを向いて座っていた、
ある人の旦那たる人も、ついでか習慣か知らないけれど、
紹介した。

私は自ら、ヒデコのパートナーであることを名乗るべきか、判断待ちではあったが、
あえて紹介してくれるのを待つことにした。
なぜなら、その作家は、私達のあの番組を観た人だったから。
その番組から、なんでもない夫婦をヒデコに紹介するなら、
なんでもないか、なんでもあるかは知らないけれど、
ヒデコと私を合せて紹介するのは、ごく自然なことと、
すでに胸に落としているはずの人だろうと思ったからだった。

ところが。
私が甘かった、と言いたくはないけれど。

ところが、私は紹介されなかった。

ここから始まった、おとといの一日の修羅場を、私はとてもまだ、
ふりかえることができない。
と言いつつ、こうやって書いてもいるのだが。

言っておくが、その展覧会場が修羅場となったわけではない。

その事実が、私達一人一人の胸に、否、私の魂を、
私の魂の底の底に、うずきにうずいていたものを、
阿修羅のように般若のように駆り立てたのだ。
なにしろ、その前日に、私の胸のうちでは、この歪んだマチへの怒りが、
長い長い、とてつもなく長い間埋もれ忘れようとしていた怒りが、
すでに発火点直前までいっていたのだから。

その作家とは、しばし個人的に穏やかに話す時間を持った。
私達二人の関係をすばらしいと手放しで言った一人は、この彼女でもあった。
で、どうしたの。
で、何があったのよお。

かくして、番組の感動は消費され、おのおのの思考や、
葛藤と絡まりあうことなく、忘れ去られていく。

何も起こらない。
何も始まりはしない。

この歪んだ福井「国」では。

と一度くらい書いたからって、めげるような福井人だけではないだろうことに、
わずかな希望を残しつつ、私はこの長いブログをそろそろ終えたい。

セクシュアリティについては、皆さん、
自分のことは伏せて講師になることを選んだ、
はるばる遠方からいらっしゃった「立派な」肩書きを持つ人から、
理路整然とお聞きなさい。
理路整然と整理された、カタカナ言葉の意味でも学びなさい。
LGBT。さあさあ、ひとつひとつの頭文字の意味を覚えましょうって事で。

生きて、苦しみ、喜び、悩み、
人の性と生と死をもこえて表現しようとした、
魂のありか、
心の軸、
そんなものには簡単にふれずにおいたほうがいい。
たとえ、番組と言う形で、加工されたものであったとしてもね。

ところで、その作家さんは屈託なく言ったものだった。
「ここで言えばいいじゃないの」
私がつい、福井「国」の文化程度に合せて出演してやった、
ある放送関係者がいたせいで、
「実は最近全国放送に出て」と言った直後のことだった。
その放送関係者が、私達と二度会っているにもかかわらず、
私達のことを忘れていたからだ。

一度は彼女の放送に出て。
一度は、私達のイベント会場に来て、
ある人と話し込んで、イベントも私達も見向きもしなかった人だからだった。

だから、その作家さんは言った。全くノー天気に。
「今、この場で言えばいいじゃないの」。

私は返した。
「多分、それを言ったあとガラリと変わる空気を、あなたの一生涯をかけて、
引き受けてフォローしてくれるなら、どうぞ言ってください」。

会場には、私達と一面識もない客。などなど十数人あまりの人がいた。

その放送関係者の表情が、私の剣幕に、僅かにひるんだのをヒデコは見逃さなかった。

あとから、その作家さんからヒデコに来たダイレクトメールには、
「あのとき、レズビアンマザーって言わはるんや、思うてました。」
と書かれていた。

テレビを通し、顔を出し、でも土地の名前も出さず、意味のない姓も出さずにした、
全国的カミングアウト。

しかしながら、
それはこの歪んだ地では、この程度のおろかで、軽々しい、
リアクションとして返ってくる。

でも、そればかりではないことは忘れてはいけない。
一生懸命、一緒に観る会で観たこと、話されたことを咀嚼しようとしている人の存在も、
けっして忘れてはならないだろう。
もしかしたら、一昨日の日曜のその作家さんも、
今、あの動揺からやっと立ち止まって何かが始まったのかもしれないのだから。

かくして、番組の感動は消費され、私達はどこに行く。

のえのいる天国に簡単に行けるものなら、行ってみたいものだと、私はそっと思う。
のえの死さえ、番組の感動として消費され、
のえのブログに人々は、殺到し、閲覧者数は、ベロ亭ブログの閲覧者数をしのぎそうな、
そんな勢いのときもあった。

かくして、番組の感動は消費され、私はどこへ行く。

のえの遺したCDリストを覗いてみた人。
何をどう感じたか書きたまえ。
自分のブログだけではなく、堂々と、のえのブログの掲示板に書きたまえ。
のえのブログに訪ねたという、足跡を残したまえ。

のえの死まで、否、生きたその事実まで、
その辺のタレントたちと一緒にして消費しないでくれ。

かくして、番組への感動の渦から、はるか遠くに、いま私はたたずみ、
ひとり、私は私の生の時間を刻む。

修羅場のただなか、よりによって捻挫したらしい、今度は左足をなでながら、
私は、底なしの人の心と、この世の闇をひしとにらみかえす。

私は私、何も変わらない。

グッバイ、「ハートをつなごう」。
グッバイ。

簡単に、「ハート」なんてつながるものか。
だから、あくまでも意向形の「つなごう」ってわけか。
到達目標ってわけか。

そんな番組のタイトルに、やすやすと足をすくわれないうちに、
私は、けっして消費されない、私を築く。いっそう築かねば。

ケイコ

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| ベロ亭から | 12:56 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

嫁ころばしー急なアップダウンは、冬でなくても速度やハンドルさばきに注意を要する。本当に勢いよくころがるしかないあの坂道。己の中の自由と家との板挟みの果てに倒れて障害をおい、ついに「家を継いだ」元友人。家出をすすめた結末の現実に、分かちがたい血縁と地縁の絆を見せつけられた衝撃。沈黙の裏の周到な結束で包囲して締め出す暴力は、自覚的か無意識か。どこにいても自分の立ち位置を意識していたい。人とつながることの、果てしない困難の前で。

| けろたん | 2011/03/09 11:44 | URL |















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