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尊厳をこめて、でも痛みと共に、カミングアウト

昨夜、私が寝てしまってから、相棒が、新しいカテゴリーを作って、
ブログを書いた。
新しいジャンルの名前は、「カミングアウト」。

自らのマイノリティとしての事実を、自己の尊厳をかけて、多少のリスクを覚悟しつつも名乗り出ること。
そんなところが、カミングアウトにこめられた、私の中の定義であろうか。

「そういう言い方で言うなら、私はすでに『特定不能の広汎性発達障害』当事者であることも、名乗り出ているし、どうしてこういうジャンル分けにしたのかなあ」
なんて、私は相棒に、やや控えめに異論を唱える。
誤解を招かないために、付け加える。これはあくまでも、ジャンル分けの話に関してのみで、彼女の書いた内容に関してではない。

カミングアウト
そう題して、本を出した二人の女性がいた。一人は当時政治の分野でも活躍していた。一人は、すでにデビューしていたミュージシャンだった。

本のタイトルをつけたのが、編集者だったか、出版社だったか、著者だったか知る由もないが、私はこんなタイトルの付け方に、かなりさびしいというか、乏しいというか、そんな気持ちにさせられた覚えがある。

カミングアウトをあえて「自己のアイデンティティを賭けた、尊厳を伴う告白」とするなら、なにも性的マイノリティに限らず、それを必要としている、「外からはそうと見えない少数者、弱者」は多数存在するからだ。
言い換えれば、「カミングアウト」は、セクシュアルマイノリティだけの言葉ではないはずだと、私自身は思っているからだ。

相棒の、幼い日々の、小さな胸の詰まるような、自分が何に引き裂かれているとも意識できないまま、しかと実のところは意識している、その切なさ、けなげさを、ひしと身に受けながら、私がこのブログのジャンルわけの言葉として、彼女が「カミングアウト」を選んだことに異議を唱えるのには、私なりのこだわりあってのことである。

電池切れしそうな、電子辞書で「カミングアウト」を引いても、広辞苑にも出てこない。英和辞典では、「芸能界にデビューすること」とある。違うよ。これ。告白、に相当するんだけどなあ。なんて、私は電池切れを、むしろ、自分で考えよ、という天の采配と受け取る。

ずいぶんと、性的少数者に関しての言葉には、日本の社会になじみにくい、カタカナ英語が氾濫もしている。私は、そんな言葉たちと、日本のまだまだ封建的な風習が根強く息づく地方での生活感覚との間の、ギャップというよりは、乖離を、いつも自身のテーマとしてきたように思う。

名乗らずして、どこまで自分自身であることができるのか。
カミングアウトせずして、どこまで二人は二人のパートナーシップを通せるのか。

それでも、異性愛が当たり前の社会は、
その上、婚姻制度、家父長制、家制度が、とことん人々の骨にも血にも、
まだまだ息づいているこの地では、
私たちの、私の、私達が私たちであること、私が私であること、
つまりアイデンティティは見えないものとなってしまってきた。
私たちのパートナーシップは、弱者としてか少数者として、感受性の鋭い人や、
グローバルな見聞を広く持っている人だけが見えるもので、
ほとんどの人にはなき物とされてきたに近かった。

それでも、二人の苗字を一字ずつ組み合わせた封書が、
よりによって公的機関から届いたり、
異性愛だけが当然と思い込んでいる社会側へ、それなりの混乱を生じさせていたのは、
数限りない事例を挙げることができるほどエピソードがある。

でもね。
もう、そんなことには、飽きたのだ。
もう、そんなことには、面白みも感じないのだ。

それがただ、ひとつしかないと思われている価値観の、ちょっとした混乱である限り。
それがただ霧の晴れない空の下で生き続けるようなことである限り。
私達には、豊かで晴れやかで、満ち溢れるものがある限り。

だから、私も、今、このことにおいてカミングアウトします。
私はヒデコと愛と信頼を分かち合ってきたレズビアンマザーであることを。

これについては、やっぱりゆっくり語らねばね。
カミングアウトとレッテル張りの、似て非なるおおいなる違い。うん、天と地くらい違う。

せめて、今このブログを読んでいる人が、そのことくらいは理解していることを、私は祈ります。
まあ、ベロ亭のブログに訪ねてくれる人だもの。

と言いつつ、「痛みをこめて」のところが意外とわかっていなかったりする。
これが社会的テーマであることがわからなかったりする。

痛み、はリスクでもある。無理解や偏見、無知、そんなものにさらされるかもしれないという。

しかし、それ以上に自己の尊厳が、もうこれ以上は黙していられない、と語りだすことが人にはある。
あるのです。

また、長くなっちゃった。
相棒が、幼い日々をさらりと記したのに、ケイコちゃんは、また理屈っぽいなんて言われそう。

で、今日のところは、この辺で。

明日からは、東京。相棒は、今日は四時間は覚悟の雪かき。まさに奴隷労働です。
私は雪よけくらいはできても、重労働の雪かきはできません。足腰を悪くした病気上がりもあり。と言いつつ20分ほどは、やっぱりしました。最後の仕上げに。

もしも、雪かきに追われるレマザーの彼女に、長生きしてほしいと思う人がいたら、助けてほしいくらい。

雪をかき、リスクを払いのけ、そうやって、
私たちは、明日東京のNHKへと向かって、映像の現実化への一歩を踏み出します。

それが「希望」でありますように。
それが「虹の橋」となりますように。

ケイコ




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