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もうひとつの紅白歌合戦

そんなに遠くない過去に、そう、のえが亡くなる1年か2年程度前だったろうか。
のえの弟のカラが、ふとこんなことを言って、私たち二人ともびっくりしたことがあった。

のえちゃんね、そのうち絶対「紅白」に出るよ。

何の説明もない。だが、やけに確信に満ちている。

折に触れて、のえのライブには、ちょくちょく出向いていた時代のあるカラだ。
のえの歌の持つ力、カリスマ性、それらを一番目の当たりにしていたのは、
身内の中ではカラだったのだ。
それから、ポロリともらしたこともある。
のえちゃん、美人だもの。

もちろん、弟として駒のようにふりまわされて、
困っていたこともあるし、そりゃあ、私たちの知らない兄弟げんかもしたことだろう。

でも、
その「紅白に出る」というカラの確信は、動かしようがなく私たちに届いてきた。

私たち二人とも、あんなに不器用で、あんなに生きづらいのえだけれど、
うーむ、そんなことって、案外天から思わぬ形でふってくるのかもしれない、
カラの一言でそう一瞬以上は、そう思ったことは間違いない。

でもなあ、あの世渡りのギクシャクさではなあ、
でもなあ、そうだとしても、歌の力はそれをしのいでしまって、
一人歩きなんてこともあるかもなあ。

私は一人、なんとも言えず、思ったりもしたのだった。

昨夜、一億の日本人の一人を、珍しくやった。紅白をなんとはなく見てしまっったのである。

のえの亡くなった翌年は見れなかった。
前の年、一人一人の出場者の、のえの不満、悪態、のありったけを聴きながら、
一緒に紅白を見た私たちは、ひとつひとつの唄に集中できなくて、
もう、のえのやつは…、と思いつつ、うんざりしたのだった。

このエピソードを「のえルーム」でしたとき、
ある女性ミュージシャンは、
「しみじみいい話を聞いた」と言ってくれたものだったけれど。

もともと、のえは、声がどこから出ているか、ということに、
深いこだわりがあるようだった。
心の底からと言ったら甘すぎるかもしれない。
魂のまんなかからの声が、腹を通って、聴く人にしみるような、直撃するような声。
そんなものに惹かれもし、それこそ認めていたような気もする。

昨夜、何とはなしに紅白を見ながら、
日本語の歌詞の荒廃に、私は目をおおっていた。
甘い。ゆるい。ばか。なんでこんなんがはやるんだ。
コブクロや、アンジェラ・アキでさえ、感心しなかった。
最初の頃のほうがいい。
でも、ホントは偉そうなことはいえない。多くを知らないのだから。

心が動いたのはほんの二、三曲。
「トイレの神様」。ちょっとここに書くのが恥ずかしいけれど、
往年の大ベテランの「襟裳岬」。
「えりもの春は何もない春です」にぐっとくる。
「越前の春も何もない春です」と重ねたら、
福井生まれ育ちのひとに怒られてしまうかなあ。

名前は覚えられなかったけれど、初出場の女性歌手の発声。
のえが私の中に入り込んだみたいになって、
この発声、許せるなかなかいい、なんて思っていた。

あとは、またまた少し恥ずかしいのだけれど、
石川さゆり。
「天城越え」は、歌詞がえりすぐられた一言一言だとは思っていたけれど、
昨日の演出は、般若の面をつけた舞いと共に、
「心中天の網島」くらいの性愛の極限の迫力が、
彼女の今までにない抑制した歌唱の中にこめられている気がした。
この唄の作詞家への追悼もこめられていたからだろうか。

最後のドリカムのパフォーマンスは、エンターテインメントとして、楽しめた。
これは、文句なし。というようり、文句とか何とかと言う次元の問題じゃない。
楽しんで歌って、おどって、というのが、
しんから伝わってくるのって意外と少ない。
あんなに踊って、唄っているのになあ。
商業主義が奪ってしまうのだ。
楽しむ力を、
喜びの根源を。

私は目の前に展開する画像の前で、ひそかにもうひとつの
紅白歌合戦を描いていた。

四十歳になったのえ。
弱者への思いも、かなわぬ愛もこめた唄、
けっしてこの世に現れなかったもう一つののえの唄を思いながら、
それを、釜が崎のどやの公園を、ここじゃなくちゃ出演しないと、
のえが言い張って、越冬闘争の現実もちらちら映し出されたりしながら、
あの世もこの世も行き来自由な、PAのIさんに見守られながら、
全国放送されているのを、やったね、のえ、
と思いつつ見ている自分の姿を見ていた。

そうだよ。ありえなかったことじゃあないよ。
カラの言ったように。
生きていればありえなかったことじゃあないよ。
これは親ばかだから、思っていることじゃあないのよ。

私の初夢ならぬ、本当に見たような実感を伴う、ある画面。

それにしても、日本語をもっと大事にして唄えよ。
もっと、ちゃんとに伝えろよ。

のえが乗り移ったわけではないのに、
私は、見終わって、少し疲れていた。
これがこの国最後の祝うべき祭典か。

この程度の、メロディと歌詞では、
とても今の日本の荒廃した現実は救われはしない。

甘すぎる。
ゆるすぎる。

のえ。
天国では歌ったか。

もちろん。

紅白なんてばかな祭典はないよ。

孤独を抱きしめて、こちらの世界に来た人たちに、
たっぷり私の唄、聴かせてあげたよ。

のえの声がしたような気がした。

ケイコ

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| のえと共に | 12:06 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

舞台に立って、その存在まるごとでテレビの辻褄あわせを破ってしまう姿が彷彿としました。せめて釜ヶ崎での歌う姿を見てみたかったです。

| けろたん | 2011/01/01 23:20 | URL |















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