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ひとつの歴史が閉じていくのを見つめていた

昨夜、本格的に降りだした雪を、ヒデコが一時間ほどかけてかき、
私といえば、手もちのありったけの喪服を探し出し、香典袋の準備をし、
なんとか時間に間に合うように、福井市まで一時間の道のりを、
いつもよりは慎重なヒデコの運転で時間をかけて、あるお通夜へと出向いた。

その人の死を抱きしめている、三人の三十代の娘がいるから、
その中でもとりわけ一人には、世話になったり、大切な付き合いが続いていいるから、
私たちふたりはその斎場にかけつけた。
その三人が、13年前に44歳で乳がんの転移で亡くなった、
私たちの友人でもあり、仲間でもあり、時に同志でもあった人の娘たちだったから。

昨夜の通夜の主は、その友人カズエさんの別れた元夫だった。
少なくとも私たちはそう認識している。

カズエさんが亡くなったとき、娘たち三人はいまだ高校生で、
十代で母親を亡くすという事実を目の当たりにしながら、
私とヒデコは、「ベロ亭とその子どもたち」という花輪を出したりもした。
もう一人、カズエさんと共に仲間だった友人は、
男女別姓の花輪を出して、
ベロ亭のと彼女のとが、両側に大きく飾られて、
フェミニストたらんとして、生き抜いた彼女のそのときを刻んでいた。
多くの参列者は、その花輪に刻まれた文字の向こうの意志をつかんでいたかは、
はなはだ疑問であったとしてもだ。

ところで、「ベロ亭とその子どもたち」と花輪に文字を刻んだのは、
それなりに理由があったと言える。
カズエさんの子どもたちもベロ亭の子どもたちも小さかったとき、
お互いシングルマザーとその子どもたちとして行き来があったことはもちろんだった。

だが、それだけではなく、カズエさんと三人のうちの二人の娘は、
カズエさんがベロ亭に、夫の暴力を逃れて数日間一緒に家出していたことがあり、
より濃密な関係が結ばれていたことも大きかったような気がする。

ベロ亭の子どもたちは、その「暴力亭主」がここを突き止めてやってきやしないかと、
カズエさんの二人の子どもたちと共に、ひやひやとし、
物陰をうかがったり、それはそれはなかなかの一体感であった。
どさくさに紛れてカズエさんのお母さんもやってきた。
そして、私が当時心酔していた中島みゆきの大ファンにその後なったような、
そんな親子三代のつきあいすら、ささやかながらも生まれた。

もはや前後関係は忘れた。

やがて、カズエさんは熟慮のはてに、多分熟慮のはてに、
一旦は家に戻ったという経過をたどったが、
その後だったか、
私はその当時のカズエさんの夫に特別に名指しで一人呼びつけられたことがあった。

敵意に満ちたまなざし。
殺意を感じかねない物言い。

覚悟して腹を決めて行ったとはいえ、そしてその場所が外に開かれた場所だったから、
何かが起こるとは思ってはいなかったが、それでも恐怖感が少なからずあったのは確かだ。
でも、私は毅然と彼と対峙し、言うべきことを最低限は言ったのだと思う。
それ以上の記憶はない。

その次に彼に会ったのは、13年前のカズエさんの葬儀のときであった。
急きょ、ヒデコの司会で『お別れ会』が持たれることになって、
実のところ、私たちは福井の活動つながりとは余り縁がなかったり、
あったとしてもスムーズにはいかないつながりばかりだったから、
ヒデコはそれなりの大役を突然担わされた感じだった。
ただカズエさんと大切なつながりがあったいうことで。

それを見ていたカズエさんの元夫のまなざしが、焼きついて残っている。

ヒデコは素朴に戸惑いながらも、徐々に腹をすえて司会をまっとうした。
その最初のヒデコの戸惑いを、彼はふとあざ笑うかのような表情で見ていたのだ。
それは数秒ではなく、数分続いたから、私の錯覚ではないし、確かな記憶となった。

だから、
昨夜のお通夜の主とは、私は残念ながら、こんな形で二回しか会ってはいないことになる。

和解する機会もなく、
和解する、というほどに対立したというより、
一方的に被害妄想を膨らまされたといったほうがいい人と、
また再びという機会はなかった。
私が聖人だったなら、それでも病床の彼の元に駆けつけたのだろうか。

彼が最後のときを生きている、という報を聞いたとき、
彼にとってのカズエさんの死のおもみ。
彼にとっての三人の娘さんたちの大切さ。
それなり知られた社会活動家でいながら、
妻には外でどんどん活動してほしくなかった時代のことなどをへて、
彼がどう変わり、変わらなかったのか、など、
彼の側の葛藤にはじめて思いをはせた。

私は、何がどうあれ、昨夜、父親の死に臨んでいる、三人の娘たちに会いに行った。
昨年にも、カズエさんのお母さんを看取っているから、
とりわけ、その三人の娘のひとりRちゃんは、
お母さん、おばあちゃん、お父さんと、十年ほどの間に、
最後のときにはりつくように、立て続けに、それらの「生と死」を見てしまったことになる。

なぜも、こんなにも早くひとつの歴史は幕を閉じてしまったのだろうか。
カズエさん、13年前、44歳。
元夫、57歳。

今も思い出す。
カズエさんの「お別れ会」で、
福井という土地柄としては、カズエさんがカズエさんだったからこそ、
それなり粉飾のない物言いの多い人たちの中で、ある一人が、
「夫と娘たちに見守られて、彼女は至福だったろう」と
全くの事実誤認もはなはだしい発言をしたことを、
今もトリックのように思い出す。

離婚したとしても、それを言えない、言わない風土。
一緒に住んでいなくとも、それなり正式な席では、まるで何事もなかったように
ふるまう、戸籍、家制度、の守りが、日本中で一番堅いと言える県。

彼…元夫…が献身的にカズエさんのことを看取った側面を否定する気はないが、
我らが友、我らが同志カズエさんが、そのことに葛藤し、
最後まで、きっぱり別れきれない自身をも含めて語っていた、
というのを、私はヒデコから聞いているし、私も感じていた。

私は昨夜、椅子にも座らず、しばらく斎場の片隅にたたずんでいた。

DVという言葉もなかった時代に、
いやおうなく福井県で、私たちが担わされた駆け込み寺的な役割が、
今こうして、一人の人の死と共に、幕が真に閉じていくことをかみしめながら。

娘たちに挨拶し、とりわけ、Rちゃんとは抱き合い、
それから私は遠くから、故人にそっと手を合わせ退いた。

すべての式次第が終わってから、もう少し故人に近づきたい気がした。
私は入口から祭壇の中間くらいのところまで近づき、
会釈をした。「さよなら」。
そして、そこをあとにした。

話は変わるが、つい先日、
ある冊子に15年前、私たちのキャラバンのトークに関して、
ここまで言われてはたまらない、というほどの、
批判というよりは非難を書きつらなた、
あるアーティストの女性の訃報を聞いた。

腹を割って、
ゆっくり語り合う機会がないまま、
冊子は一人歩きし、
その震災の翌年のキャラバンは、
大成功をおさめながら、特に苦い後味を残した。

語れる時に語らなくては。
解決は早いほうがいい。

後悔はしていないが、
立て続けに、「和解」のきっかけを逸したまま逝かれた
二つの死を前に、今私は思う。

昨夜、雪の中をかけつけた、もう一人の私たちの友人は、
故人とわずかながらも人間的な交流があり、
それだけのことで、こころから悼む気持ちを持てているようであった。

彼女は何もかも承知の上で言う。
「ベロ亭をカズエさんが知っていなかったら、彼の人生も違っていたのかしらねえ」

私は心の中で言い換える。
カズエさんがカズエさんだったから、物語は展開し、
葛藤は深まり、
真実の深淵は、それを隠そう隠そうとする風土で、
より大きな傷口を残す、と。
真実の深淵は時を得れば、おおきな宝物ともなるというのに。

ちなみに、昨夜のお通夜で、黒以外の服を着ている人は、
私が見渡した限り一人もいなかった。
チェックのバックを持っていたのも私ぐらいではないか。

しかし、Rちゃんの黄色の色無地のきものと黒帯、
もう一人、Rちゃんの姉のピンク色の色無地と黒帯、
は、あでやかに会場に色を添え、
その席に臨む娘たちの気持ちを伝えるかのようでもあった。

一方で。

参列者のことで、黒以外のあんなものを身につけていた、失礼な。

そんなことばかりが話題になるつまらないことがいまだ続いているのよ。
地元越前市で最近聞いたばかりの話だ。

古い歴史の教科書の話ではない。

そして、カズエさんが選んだこと、選びきれなかったこと含めて、
次の世代は、生きようと、生き切らんと、前を向きなおし、
そして、ひとつの歴史が閉じようとしているのを、
私は見つめ続ける。

にもかかわらず、
だからこそ、
輝きも葛藤も、引き継がれ、時に忘れられ、
歴史は、
個人のふところ深く、潜行し、
進行する。

福井の家制度、戸籍の度し難いおもみについては、
いずれ、また語ろう。

私達が私達として、ベロ亭たりえた奇跡を手放さないためにも。

ケイコ






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| ベロ亭から | 10:15 | comments:3 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

読んではっとしたことのひとつは、今わたしがカズエさんの年齢に達していること。あのとき、そんなにカズエさんは若かったのか・・・。13年の月日の重み、失ったものの大きさと得たものの大きさを思います。カズエさんとは最期、彼女から手を差し伸べてくれたおかけで疎遠のままですまなかった。感謝しています。

| けろたん | 2010/12/28 19:42 | URL |

カズエさんのことも知っているのですものね。そして、あのキャラバンのトークのときは、共に取り組み、共に悩んだのでしたね。いずれも、ベロ亭がベロ亭であったこと、あり続けることの問い返しでもあり、取りまとめ?でもあるような気がします。それをより深め、醸成するかもしれない出会いを、なるべく取り逃さないような生き方を思いつつ、一期一会のことも、またあるのです。いつもたゆまぬ書き込みに感謝しています。お互い、生きているからこそできるやりとりだから。

| keiko | 2010/12/27 16:13 | URL |

私にも間接・直接かかわりのある話です。ありがとうございました。人とのやり残しを悔いの無いように生きるのは自分にとって大変難しいです。誤解を恐れず言えば、諦めも引き受けながらすすんでいるところです。合掌。

| けろたん | 2010/12/27 00:58 | URL |















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