なかなか春らしい日ざしがささないベロ亭のある福井の気候。
といっても、これは全国的なことのようで、野菜も高い高いと買い物するたびヒデコ。
だから、春になれば恒例の外での朝ごはんもなかなか実現しない。
今日は、晴れてはいたが、時々雲に覆われるし、風もある。
どうしようかあ、けっこう寒い風だし、うーむ外で食べるのは微妙かなあ。
なんて、ヒデコに言うと、
なにいってんの、外で食べたい、暖かい日ざしの下で食べたい。
そこで、外のテーブルに朝ごはんを運んで食べました。
時々、雲に隠れる日ざし、えーい、早く出てきてよお日様。
出ればとっても暖かく、雲にさえぎられればかなり寒い風と陰。
とおとおお日様が雲から完全に飛び出して、
朝ごはんが終わる頃には快適になり…。
で、それから、片付けたりしたあと、ヒデコがジープのタイヤ交換をしていたので、
手伝って、二人でなにやら動きつづけました。
私はスギナが今が盛りと出ているのを、今年の春はじめて摘みました。
これは免疫にもいいし、体にめちゃくちゃいいもので、
去年、ヒデコの病気が判ってから、私が摘みまくって、干しまくって、
今も、大きな缶の中に予備が残ってはいるのです。
それから、干してあったユーカリの葉を枝から落とす作業を一緒にしたり。
久々に「生きている」と感じました。
その頃には、ぽかぽかの日ざしが二人を暖めてくれました。
この日ざしがないと、だめなんです。特に私は。
気持ちがゆれがちで、すとーんと自分のくぼみの中に入ったみたいになりがちで。
こんな二人の時間に、春の、そう春らしい日ざしの暖かさと共に、
我に返れた感覚が限りなく嬉しいのです。
それが、次の一時間にも続きますように。
できることなら、今晩にも続きますように。
無理かもしれないけれど、明日にも続きますように。
そうしみじみ願うのです。
この頃の気候、地球がこわれつつあるのではないか、と危惧するほどです。
だから、照るべき日ざしには、そこにあってほしい。
そして、私の心もぬくもりを忘れずに、大切な記憶を記憶として、
ゆっくりそこにあってほしい。
春の陽射しの下で二人、
生きている、という感覚は、
言うなれば、幸せということに限りなく近いのでしょうか。
そんな感覚があったことなど、
冷たく冷えた心の奥底では、遠くに遠くに押しやられそうになります。
でも、違うのです。
大切な記憶を記憶として、悲しみは悲しみとしても、
暖かくぬくもりながら生きる時間もあるのです。
そんなことを思い出させてくれる、ベロ亭の昼下がりのお日様とのお話です。
ケイコ
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おお、ケイコ様。北の地でもまさに同じなのです。やっと雪がとけ、まだ風も冷たい中、今こそお日様が必要なのです。緑が芽吹くためには。人の心もぬくもるためには。夕方になって日光と青空に包まれたとき、どん底でも病気でも生きているとしみじみ思えた一日でした。
| けろたん | 2010/04/25 00:21 | URL |