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地元で知人の講演を聞きながら

今日は某センターのつてらしい、DVにまつわる講座を、
かつてキャラバンで世話になった知人が近隣の大学でするというので、
講座を聞きがてら、うちに遊びに来てもらうのでお迎えに行った。

先だって、同じセンターで、偶然今回のキャラバンで世話になる別の人が、
やはり講座の講師で関西から来ていて、
そのセンターでの印刷もかねて、顔合わせをしたことがある。
そのときに、今日の講座のことを知ったのだった。

女たちの生き方を考えるために、全国津々浦々に十年ほど前に、
設置されたこのセンターでは、キャラバンで世話になるような、
いうなればフェミニストの知人友人が講演をしていることが多い。

でも、そのセンターには、私達は長いこと近づかないでいた。
少しでも希望を抱くと抱くだけ、かえって傷つくような、
そんな経験を重ねる場所であるようになっていたからだ。

女たちのことを行政が考える、といって、本当に考えられる人が集まるかというと…。

という事態が続くと、辟易も辟易、つらいというより行き場のない気持が募っていく。

そんな中でも、ほとんど一人でがんばっている職員がいることにも、
ここのところ二回も続けて、このセンターに絡む講演に足を運んで、
本の少しではあるが、感慨をもった。

フェミニズム、
とか、
女たちの生き方、
とか、
はたまた男女共同参画とかいうとき、
すべりおちていくことのなんと多いことだろうか。

今日の知人は若い人たちの集まる大学の講義室で実に大事な講座をした。

その一人一人の若者がどんな家族制度の中で、
個人として生かされず、成長させられず、したがって、
人と人とが尊重しあうなどという経験をほとんどへていない、
そういうことも私達はいやというほど知っている。

知っているからと言って、どうなのか。
彼女の講座が本当に地道な骨身にしみるような活動だと、
知っているからといってどうなるのか。

キャラバンで世話になった友人や知人が、
私達の地元に講師に来て、わずかとはいえ、
私達の生活よりはよほどましな講師料をもらって帰っていく。

かつて、私達がこの福井県で、女性への性暴力を、母子家庭への圧力を、
未婚で子どもを生んだ幼稚園の先生の配置転換問題をたたかったからといって、
それがどうなるのか。

それらは、けっしてこの地で刻まれはしない歴史なのだ。
永久に闇にほおむられるような歴史なのだ。

センターは、今日も明日も、適当に講師をさがして、
福井は特に関西からは近いので、
私達が知っていたり知らなかったりするフェミニストの講師を呼び寄せる。

そこがわずかでも近くなったからといって、
それが一体何を意味するというのか。

私達のしてきたことがセンターの活動に結びつくようなことがあったら…
私は思ってもいないような、でもありえてもいいようなことを口にしてみた。

即座にその知人は、言った。
私だって地元ではありえない。地元ではいつも無視よ。…と。

ベロ亭に着いて間もなく、彼女が言っていたことが耳に残っている。

これしかできることがないからこれを続けているの。
本当はもう何もしたくない。

ああ、聞いたことがある。と、思った。
同じく、DVのことで全国を講演に飛び回っている東京の友人の言葉だ。

私達も、県外のキャラバンではそれなら少しは浮かばれるのだろうか。
私達も、キャラバンしかできることがもうないから、
この生き方しか知らないから、キャラバンをしているのだろうか。

だけど、貧乏からは、少しでも脱したい。
日本語教室もいい。そこで、自分の力に意味があると思えるのはいい。

でも、もういっそと、昨晩寝る前に思った。
結婚式の司会でもまだできる余地があるとしたら、割り切ってして、
やきもの作りで疲れやすいヒデコを少しでも安心させられやしないものか、と。

かつて結婚式の仕事をしたことがある。
『関白宣言』の大合唱にトイレに退散したことがある。

今日のデートDVの話が、そのまま何も修正されずにつっぱしったところにある、
この地元の福井の結婚。

そこに加わってもいいと思うほど、貧乏を思った自分を今日あらためてかみしめた。
なんとも言えずかみしめた。

そして、疲れて全国を飛び回っているそういう友人知人は、
おいしいものを食べて自分をいやしたいというほど疲れていて、
亡くなった娘の話にはそんなに付き合いたいわけではない、
そういうことにも気づかされた。

夏にもそんなことがあった。

みんな疲れている。
講師も疲れている。

貧乏な私達はかすみ中の霞を食いながら、
ふと相手に、こんなことしたいわけではない、と言わせるシチュエーションに
いるとでもいうのか。

かすみでは食えない。
やきものでもそんなには食えない。
それでも売れば食える。
パンの売り上げは小銭稼ぎの部類だ。

日本語教室か。
それてもやっぱり結婚式の司会か。
はたして使ってなんかくれるのか。
今さらそんな矛盾のかたまりの仕事ができるのか。

そもそも仕事とは疎外される中身を持つものではないのか。

私は某センターの周りをぐるりと回って、
元に戻る。
自分に戻る。

娘はいない。
ろくな仕事もない。
いとしい相棒はいる。

それだけは誰もがうらやむ。
それだけは捨てられない。
それだけは判っている。

ケイコ
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