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江戸時代は、やっぱり受けないかあ

このブログをヒデコと、私ケイコでかわるがわるに書き綴っていて、
反響として目安にしているのに、最後にある「拍手」の数がある
それなり、一生懸命書いたり、
気を引き締めて、思いを熟す時間の果てに書いたり、
そういったブログには、それなりに拍手が入り、三つ四つと増えていく。
五つなったら、まあ二重丸に近い丸かな。

ところが、最近の日記で、「何も変わってはいない」だっけ、
これがどっこい、ひとつの拍手も入らないのだ。
これには、これ相応の訳があろうというもの。
愚痴に過ぎないのか。
品がないのか。
はたまた、掘り下げ不足か。
ぴんと来ないのか。
あるいは、余りに判りすぎて反応する気もしないのか。

私たちの結論としては、文章としての品位に欠けるのではないか、
というところに、話がいった。
品位というのは、美しさ、と言い換えてもいいようなことだろうか。

愚痴に過ぎない、というのは、
そこを見返し、掘り下げる人間的な余裕に欠ける、ということだろうか。

このエピソードと同じ頃、
私達のところに足しげく通ってきていたある方が、全く現れなくなった。

彼女を取り巻く状況が、私達には、あの文章を書いた時には、
確かに「江戸時代」に見えた、全くもってその話題の中心人物である。

だが、しかし、いや、しかしながら、とはいえ、
と、逆説の接続詞をありったけ捜して並べてみるとする。
だが、しかし、いや、しかしながら、とはいえ、
だが、しかし、いや、しかしながら、とはいえ、……。

こうやって書いていると、どこからともなく、無常観がせりあがってくる。
泣き出したいような、叫びたいような、
それでいて、何もいいたくないような、ただただ黙っていたいような、
奇妙な、ふれるにふれられない感覚……。

その人が、本当に江戸時代にいる、ということは私達からは何も言えない。
というより、何も判らない。
江戸時代、と感じる私達は、この地で、今もまだ、
まったくもってまだ、いまだに、今もって、
異邦人だということを思い知った表現として、
「江戸時代」は登場したのである。

のえの命日にここに訪問していた、
のえの弟のカラは、「三日間ここにいても誰も訪ねてこない。ここはやっぱ江戸時代だ」
と、あのブログの余韻も含めて、なんということなく、さびしげにもらした。
あのブログでは、姨捨なんて書いてしまったから、
息子や娘には、ひんしゅくものの内容かな、と思っていたのに、
意外にもすんなりと「江戸時代」と言われて、ほんの少し面食らった。

やっぱりそうか。
彼がそう言うならやっぱりそうか。
と、少し思い直さないこともない。

チャウシェスク独裁政権時代のルーマニアを生き延びた、
ヘルタ・ミュラーという女性作家が、このほどノーベル文学賞を受賞し、
戸惑いと驚きを隠せない様子で、
「私は私で何も変わらない」とインタビューに答えているのが、
おとといだったか妙に印象的だった。

彼女は、処女作が祖国ルーマニアで発禁処分にあい、
ドイツに亡命、ルーマニアの少数民族出身のドイツ人作家として受賞している。
独裁政権のルーマニアでは、徹底した貧困と飢えと人間への恐怖を体験しつくしている。

昨日の晩、極貧の子ども時代の果てに、19歳で4人の人間を連続殺人した、
あの永山則夫の獄中28年を描いたETV特集をテレビで見た。
彼は、自分の置かれた立場と、その果てに犯した罪の重大さの間で、
「無知の涙」を書き、「木橋」を書いた。
それも、死刑囚として、たった二畳しかない独房暮らしの中で。

それなら、私はなぜ、どうして、「江戸時代」という表現を使って、
この土地での私達のけっして埋まらぬ違和感を、へだたりを、
表現しようとしたのか。
それは、この土地に生きる人々を上から見下ろす、傲慢なしわざに過ぎないのか。
それとも、私達の今まで、34年のこの土地での辛苦を、
一言で表すしかないとき、使わざるを得なかった、苦肉の策の一言だったと言うべきか。

私は、「その人」に違和感がなかった。そして、同時にいつも、違和感ではないが、
しっくりいかない、ざわざわとした距離も感じていた。
それは、おそらく「知らない」ということだったのだ。
私が何も知らないということだったのだ

と今、かみしめる残酷さ。
と今、かみしめる酷薄さ。

私は、ミュラーでもなく、永山でもなく、この上ない飢餓とも、
この上ない疎外とも、とりあえず無縁なところで、
しかしながら、人々と隔絶したここでの時間をどう生きている、
と表現したらいいのだろうか。

外国人に日本語を教える時間が、
ぽつんと隔絶した、私にとっての人間との時間として私の人間としての時間を生み出している、
と今日、日本語を教えながらつよく感じた。

私は余りにも深く、外国人たちに、日本語を通して自分を差し出すことすらできる、
そのことを、そのギャップを、どう表現したらいいのか、言葉が見つからない。

とりあえず、言うことはできる。
私はこの土地でほとんど何も期待していない。
ほとんで何も求めてはいない。
ほとんど限りなくゼロに近く。
それは、食べたり飲んだりと同じような、
私の魂の次元のこととしては、とあえて付け加えるとしても。

しかしながら、一人でも二人でも生きられない、そんな私が、
そんな私達が、ぎりぎりの人への飢えとして人を求める、
そういうことはあったのではないか、と。

明日、ペルーから友達がうちを訪ねてくれる。
あさって、あるマスコミのディレクターが東京から私達を訪ねてくれる。

それは、どんな地図を描くのか。
それは、どんな私達を意味し、どんな私を位置付けているのか。

私も、ミュラーのように言うことはできる。
「たとえ、何か勲章のように私達を評価する動きがあったとしても、
私は何も変わらない」と。
勲章を持つことすらない、勲章を持つ気力もない、
そんな私に言う意味すらない言葉かもしれないとしても。

ここでの絶対零度の孤絶をもってして、そう言ってみることはできる。

ところで、ヒデコは、今日、この地元の「もと同級生」たちが集まる喫茶店で、
遠巻きに不思議な会話にしばし耳を傾けたという。
おそらく気の遠くなる思いで。
自分の位置を棚上げにしながら。

それを、また聞きした私が、気を遠くした。それも事実だ。

とはいえ、しかしながら、でも、やっぱり、
人間はどこにでも生きていて、
人間とつながろうとし、一人でも、そしてたった二人でも生きてはいけない。

「その人」の好ましい人柄、とてつもない優しさを思いながら、
私は呆然としている。ずうっと呆然としている。
いつまでも呆然としている。

ねえ、あなたは一体誰だったの?

江戸時代ではない、平成の、2000年代の今、
私は問う。

ねえ、あなたは一体誰なの?

そして、この土地に生きる私達は何者?
あなたにとって、何者?

私は誰?

ケイコ
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| ベロ亭 | 23:40 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

拍手は、私の場合「読みました」の印として押すことが多いです。コメントをすぐ書けない場合などもとりあえず印を残します。拍手を押さずにコメントを書く場合がありますが、文章に深く感じ入って拍手できないときなどです。

| けろたん | 2009/10/14 16:45 | URL |















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