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不在の距離と苦悩   …  一年目の、のえと語る会   その1

9月20日の「一年目の、のえと語る会」が、ようやく終わった。
その中で感じたこと、その日に至るまでにした事々、その周辺を巡る思索を、
何回かのシリーズに分けて書いてみたい。

この会を巡るテーマの数々は、縦横に人の心の闇や光を照らし出して、
様々な角度から検証する必要を、鮮明に刻み付けてくるからである。

一つ目は、会に参加できなかった人に思いをはせてみるということ。

この会に不在だった大切な人々と、この会との距離、ないしは、のえの事実との距離、
そして、その中に潜むどでかいしんどさ、というか苦悩について、
できうる限り思いを巡らしたいのである。

東京時代、京都時代、大阪時代、それぞれの時代に、
のえの、最も親しかった女友達が、心の病を深めて、
なぜという思いを大きくして、そんなところにはとても行けない、とこたえて、
来れなかった事実。

10月5日当日、救急で運ばれた病院で、
刻々と様態が急変していく中で、結局のえの旅たちを見届けることになった、
かつての長居公園の仲間たち10人。
彼らの一人として、会に参加できなかった事実。

のえの音楽活動のホームグラウンドとなりつつあった、
あるライブハウスの関係者の一人の
参加も、連絡もなければ、ましてメッセージのひとつもなかった事実。

のえが唯二、先輩とあおぎ、のえとのつきあいも20年近く、
唄い始めの頃からよく知っている、
知る人ぞ知るミュージシャンのカップルが、
一人はしんどいと言い、もう一人はそっけなく他の用事を理由に、
二人とも現れなかった事実。
のえは、彼らの唄で大好きな唄をカバーでも歌いこんでいたし、
彼らとて、妹のようにかわいがってくれていたというのに。

ミュージシャンそれぞれには、大阪で、東京で、京都で、
去年の11月や12月に、彼らなりの追悼ライブや追悼の集いを
持って、それなりにすでにすませたことがある、
そういう気持ちもあるにはあるのかもしれない。

それにしても、40数人の参加者の中で、
音楽関係者が1割ほどに過ぎなかった、
ということは、一体どういうことだとかみしめるべきなのか。

しょせん、アーティストは個人主義者、
自分の中ですめばそれでいい、ということか。
それとも、ミュージシャンの中でも、
のえは、それほど孤独だったとでもいうのか。

そんな中で、のえの路上ミュージシャンとしての、
歌い始めの東京時代をよく知る、
同じく路上ミュージシャンの、
アオヤギさんとミナミの、
東京からのメッセージは精彩を放ってはいたけれど。


さて、会に参加した、IYさんのアンケートにはこんな記入があった。

「後悔ばかり抱えていた気持が、のえを愛する沢山の人たちの声を聞くことで、
本当に楽になりました」

パートナーがつらくて参加できなかったけれど、自分は参加して本当によかったと
思っているし、どんなに良かったかをパートナーに伝えたい、
と言ってくれた京都から来た男性。

釜が崎で活動する人々の「良心」のごとき存在であるSIさんは、
PAなど、この会に必要な係にとことん徹してくれたが、
こんなアンケートの書き込みを残してくれた。

「今回、心の中で、のえさんの事が、うまく折り合わず、参加できなかった人達が、
時間を経て関わっていけたら良いと思います。のえさんもそれを、
一番よろこんでくれると思います。」

参加しながらも、話す番が来て話した折、
「まだまだ、しんどくてここに来るのはつらいことだったんですが…」と、
私の顔を見ながら言った参加者がいた。

私はいまだに、こんなふうに私に「しんどさ」を訴えられることに、慣れることがない。
そういったシチュエーションになると、私はしんどくないと思われているようで、
かといって、しんどさを打ち出すのも、私には違うと思えて、
相手との距離が、ぎくしゃくしてしまう。
たとえ淡々と、穏やかに聞いていても。
うんうん、と頷いていても。

親というものは、どんなにしんどくても当たり前と思っているのか、
一緒にいなかったのだから、たいしてしんどくないと思っているのか、
本当のところはわからないけれど、
少なくとも、そこにやさしさや想像力を感じることはできない。

今も、沈黙を守っている人たちが、
どんなつらさ、悲しみを抱えているとしても、
表現したり、伝えたりしなければ始まらないこともある。

闇の向こうには、輝く宝物があるのではないか、
ぶんさんが、皆がそう思える日を祈りとして、
のえのブログの掲示板に書いてくれたことを、
今は大切に大切に、思いたい。

あなたの、のえとの記憶が、かけがえがないあなたと、
のえとの、誰にも侵しがたい記憶だとしても、
どうか、それをもってして、
あなたのしんどさを「所有」してしまわないで、と思う。

所有して所有して、
とことん、誰のものでもないあなたのものになったとき、
それはこぼれ落ち、あふれ出し、
本当ののえへの悲しみとして、刻まれていくのだろうか。
のえへの悲しみが、
のえと生きた時間の中での喜びとなって、
再生しはじめるのだろうか。

15歳のそのときから、
のえの人生をひと時も、「所有」できなかった、
ふがいなくも、自由で放埓で、不届き者の私は、
のえの生きた時間を、
のえの最後の瞬間まで、
受け入れている。
そう、あえて言ってもみる。

時に悲嘆の嵐と共に、
時におおいなる命の不思議と共に。

そして、会が終わり、
引き裂かれる痛みが、
落ち着きへとゆっくりと変化し、
胸にいすわった悲しみが浄化されているのに気づく。

私もまた、
のえと、今、始まったばかり。
生きた時間をこえて、けっして終わることない、のえと始まったばかり。


ケイコ


 
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