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自閉症という体験

八月の最後の土日に、
福井県立大学で、『日本自閉症スペクトラム学会』の年に一回の研究大会があり、
すでにかなり疲労気味の体をやりくりして参加した。

実はこの私、この学会の当事者会員で、
最も私自身のアイデンティティにかかわるこの課題に、
時には世界的な視野で取り組む本質的な講演に、
ややプラグマティックに過ぎる各現場での各論の展開に、
自身を読み解く鍵を探し続けているのである。

それは同時に、昨年秋に亡くなった娘ののえの特質でもあった。
だから、これを紐解くということは、
私たち母娘のなぞに迫ることでもある。

大会記念講演、
これは、自閉症と言語の特質に迫る講演で、
一言一言がとりわけ興味深く、鳥肌ものだった。
ある当事者がこう言ったという。
もっと早く日本語の文法を教えてくれればよかったのに、と。

定型発達の、自然と母語を習得していく日本人には、
この発想はありえない。
言語の意味ではなく、構造こそつかみやすい、
自閉症スペクトラムの人だからこその発想だというのは、
私には一目瞭然で、私自身のことでもあった。

なぜ私は自明の理として日本語教師をしているのか、
なぜ日本語の文法をエクスタシーのように時に感じるのか、
日本語を外国語として視たとき、
あらためてわかりやすい日本語を獲得したこと、
などなどが瞬く間に私にとって意味を持った。

日本語教師になったことは天命だったのである。

講演後、たまたま隣を行きすぎた講演者に話しかけ、
当事者で、日本語の文法を教えてほしかったという当事者のことがよくわかる、
と、そして私自身日本語教師であることを告げると、
さぞや良い先生でしょうね、ご自分の特性を生かされて、
という返事が瞬時に返ってきた。

特別支援教育の現場での報告を基礎にしたシンポジウムでは、
細部にわたる各論、細部にわたる苦労に、
時に関心しつつ、聞き続けるのにやや辛抱が必要でもあった。

どんなに当事者の側に立とうとする支援者であろうと、
それはあくまでも支援者の側の発想の枠を出ないこと、
それが私にもたらすつらさがあったように思う。

自閉症スペクトラムにある人たちに、
物事を目に見えるように提示する方法として、
構造化という言い方があるが、
それをありとあらゆる手で工夫すればするほど、
支援者の側の意識の構造化が気になったし、
その丸ごとの意味そのものが逃げて行くようで、
違うだろう、という思いはぬぐえなかった。

中にはなかなか面白い展開をする現場の人もいるにはいたが、
最後に出たシンポジウムで、
ある先生が指摘したように、
当事者の外面ではなく内面の構造化こそ必要、
という言葉には、わが意を得たりという感じであった。

そして、私はここのところほしいと思っていた本をやはり購入した。

ロビーには、この分野の本をこれほど集約できるのは、
日本中ここ以外にないというほどの本が、
二つの出店があって並んでいたのである。

その一冊は、『自閉症の豊かな世界』
もう一冊は、『自閉症という体験』。
なせ゛ほしかったかは一言に尽きる。
どちらも、あのドナ・ウィリアムスが書いた、
自閉症の本質に当事者として迫る本であるからだ。

この課題を「障害」としているのは、
定型発達の人々が多数をしめるこの社会である。

『自閉症という体験』には、
自閉症スペクトラムの当事者が、
いかにある絶対的な「感覚」を失えない、
という特性を持っているかが、
ドナ特有の詩的哲学的直接的言葉で書かれているのである。

ついでに、ここに書いてしまうのはもったいないようなこともあった。

それは、のえのことで私が手を付けようとしていることにつながる。
それにぐっと後押ししてくれる大きな杖に、
この会で具体的に出会いなおした、ということである。

のえが、この特性を持ちつつ、
そしてこの特性を歓迎し、自分の謎解きとして喜びつつ、
しかし他のきっかけで逝ってしまったことを思うのはつらい。

が、
のえがいなくった今も、
この課題が私たち母娘の共通の課題であることは、
誰にも否定できないし、侵しようのない事実でありつづけている。

私の痛む腕と手首もまた、
上半身の発達が阻害されやすいこの特性ゆえなのだろう。

この特性はかすみのように見えにくいものではあるが、
私にはごく当たり前の、
余りにも慣れ親しんだ、直接的で実質的な事柄なのである。

これらを人々の目に見える形にしたい。

疲労と緊張でつぶれかけた心身の奥から、
私の念願がふつふつと湧き出てくる。
それは同時に、のえの生きた時間への、
あくなき、とどまることなき私自身の悲願として、でもある。

ケイコ

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| のえと共に | 01:51 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

親友のブログ上「ネットで見つけてアスペルガーの成人診断をしてくれる病院に電話予約した。診察は2年から3年待ち」の記述を読んだ。その2年後命をたった友人。友人独特の言葉と文、遺稿集を作ってくれと言い続けていた、紆余曲折の人生の謎を知りたいと願っている。今後教えてもらえることがあったらたすかります。

| けろたん | 2009/09/01 09:11 | URL |















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