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初盆終わり日が暮れて

現在、8月16日日曜日、午後8時。
12日、「初盆だね」というメモを添えた、のえへのお供えのメロンをいただいて、
初めて、あのお盆と、のえの事実とが結びつき、
お盆のいわれや、初盆のならわしなど、検索した。

初盆では、真っ白な提灯をその年、一回だけ使うこととか、
13日が死者を迎える日なら、
14日と15日が共にいる日、
今日16日がゆっくりと送る日であることも知った。

いただいたお供えをのえのそばに置いてやった以外に、
検索して知ったことを何一つしたわけではなかった。
ただ、古臭いと思っていただけの、先祖代代の行事が、
はっきりと具体的に死者を意識できるこのお盆の日々、
やや鮮明に意味を帯びたということだけはあった。

花も飾らなかった。
生花はいつか枯れて、のえのいる部屋を散らかしてしまう。
これにいつしか耐えられなくなった。
この十か月余りに、何度となく花を生け、
また気持ちのこもった花の贈り物を生け、
しかしながらそんな感触だけが大きくなった。

花を生けるのも、ごみのように散らかった花びらを片づけるのも私たち二人。

のえのいる部屋に入らないのも、
入るのも思うままにしているのも、私たち二人。

入らないことが平穏な日常をいつのまにか維持することだってある。
入らなくたって、いやというほど、のえの生きた時間を、
生きられなかった時間を、ふりかえることもできる。


悼む、
とか偲ぶ、というなら、『のえルーム』でも何度となくしていることだ。

実はこのかんに、のえのブログの閲覧者数が毎日百人近くまで伸びた。
最初は私のちょっとつっこんだ書き込みのせいかと思っていたが、
お盆ゆえに、のえを訪ねてきた人もいるのではないか、
そう思い至った。

先週訪ねてきた私たちの友人を、
のえの部屋へと案内し、写真などそれとなく見せた。
あとで、その友人が、私に促されなければそうできなかった、
とヒデコに告げたと知った。

あんなに親しい友人でさえそうだった。
ましてや。

一方で人の心を心とわきまえない、
くだらないおせっかいもある。
早くのえのことはあきらめて、自分が生きることに精出しなさい、
と書いたのは、匿名ののえの友人とかいうが、私は信じない。

人を失い、悼むプロセスには人それぞれの道筋がある。

お盆の営みやならわしは、古人があみだした知恵であったろう。 

私の目をまっすぐに見て、
「このたびはご愁傷さまでした」と真摯に告げたのは、
私の心の状態を見つめ続けてくれている主治医だ。
それに近い挨拶をしてくれた、サナエの友人もやはり地方の出だ。

古い習慣の残る、お盆などしっかりやっている地方の人のほうが、
折り目正しい挨拶があり、心にしみこむ言葉をかけてくる事実。
人によってはお経さえあげられて、
それはそれはしみこんでくるから不思議でもある。

だからこそ、
私は私の悼みかたをきちんと見出さねばと思っている。
「のえルーム」しかり。
ベロ亭に訪ねてくる私たちの友人に、
かならず、のえの部屋に案内するのもしかり。

忘れないでね。
私は、私たちは、この事実をも受け入れて生きているの。
たとえ受け入れられない悲しみであっても、
たしかに受け入れて生きているの。
それを伝えるために、私はのえの部屋へと友を導く。

逆の立場だったら、
「お参りさせて」とはなかなか言えない私がいるのも事実だろう。
だが、のえとのことを経験して、
きっと以前よりはそのことを意識し、言える自分がいるのかもしれないと思う。

「ことばがなくて」と何回、人から聞いたろう。
同じ言い回しも人によって違う響きを持つには持つが、
なんなんだ、なんなんだ、
と、こちらこそ言いたくなることもあったし、
相手の戸惑いを見越してふるまう必要が生じたことも、
一度や二度ではなかった。

一方、抱きしめ、背中をさすり、涙を流しあう、
そうして分かち合うときに伝わりあうものの大きさは、
意外にもまだ小さな小さな流れでしかない。

それでも、意外なところにそれを知る人もいた。

「十分に悲しんで泣いて、泣いて、今はそういうときよ」
十一月だったか、私のことを思ってクラスをしばらく休もうと言い出した、
私の米国人の日本語の生徒の言葉だ。

それからも、もう何か月もたった。
月日だけが無情に過ぎていく。
そんな感も否めない。
だが、しかし。

そうして、巡り巡って、私は今日、
のえのブログの日記、
『お月さまが見てるよ』の精読を始めた。
精読をだ。

なるべく客観的に、冷静に、
のえの書いたものに接する試み。
そこには、のえの生きた最後の一年数か月が、
人々へと、外界へと、つぶやきのように、
この世界への小さな希望のように発信されている。

生きた時間を紡ぐ。
生きた時間を結ぶ。

紡ぐとは、その道筋をもう一度織りなすことであり、
結ぶとは、その像をくっきりと見つめなおすことでもある。

いらぬ気遣いも、ましてや勘違いのおせっかいも、
向き合えぬためらいも、連動する心配のさざなみも、
私には無用だ。
おそらくそれらは、見るべきものを見させないから。
見たい輝きを見失うから。

高い花々を生けつづけるのではなく、
お盆でピカピカの仏壇におさめるでもなく、
私は私の悼みかたを見つける。

いいや、もう見つけたのである。

ケイコ

 
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| のえと共に | 20:36 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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新しいブログ開設についてのお知らせ

ミテログでブログを開設しました。
日本語学習についての記事を中心に書きたいと思っておりますのでよろしく・・・。

| chai | 2009/09/17 21:04 | URL |

うん。中秋の名月まで、噛み締めて、ゆっくり歩いていこう。

| ヒデコ | 2009/08/16 22:42 | URL |















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