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名づけないこと

あまりにも、前のブログが雲をつかむようなことを書いているので、心配したり、馬鹿にしたり?する人がいてはという気もして、書き出す。

名づける、ということの意味。

私は名づけるということ、ある範囲に枠付けする、名づけるいうことの罠を思うので、
前回のような、私は誰、何をすべき人なのか、という一見、無意味な問いかけに包まれるのではないだろうか、と今日あらためて思った。

あるいは、私は、自分は誰?とか、何をすべき人なのか、というおぼつかなさに陥りやすい
特性を持って生まれているのではないか、ということにも思い至った。

普通は、歩く、とか、息をするとか、そんなに考えないでできることですよね。

そして、自分が誰であるか、もそんなに考えたりしないことで、
多くの人は、それは自明の理として生きているのですよね。

でも、意識しなければ足を前後ろにして歩く、という歩を進められない、
そんな体を脳の働きの特性ゆえに持つこともあるということはあるのです。
それは体の障害というより、人が無意識にできることができなくなっている、
という、そんな「意識」のありようの特徴とも言えます。

それはきわめて哲学的なありように見えて、実は肉体的な実感の欠如という、
ある種、単純な欠落でもあるのです。
でも、そんな存在は、いながらにして「哲学的」存在、実存的存在にもなる。
そこが見落としてはならないところなのです。

私達は、食べたり飲んだり、考えたり、動いたり、します。

それらは一体、何に支えられて、そのことを自明にしているのでしょうか。

私の身体感覚は、時にそのことをも問いかけざるをえないものにします。

そういう特性があるということ、
それはややもすると、生きがたさにもなりうる、
ということが、注意点なのでしょうか。

こんなことを書いてたゆたっている私は、
そんなにはこういう特性を生きがたさとしなかった面もあるのかもしれません。

今日のケイコは、マシュマロですか。
白玉団子ですか。
それとも白い雲?

ヒデコの読後感は、いつもこういうたとえなのです。
で、今日は餅か、団子が、マシュマロか、などと。

どんなに具体的な存在として生きてはいても、
どんなにそういう自分を語っても、
私は多分なにかそういうものなのでしょうか。
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| ベロ亭 | 00:45 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

こんにちは。私の場合は、この10年位でようやく人間の日常生活が比較的淡々とできるようになった気がしていますが、それでもいつも疑問符の中を歩いているような感覚です。自分の存在、人生というものは自明の理、核心になり得なく、いつも疑い迷っている感じです。こう言葉にしていても実感からすぐずれてしまい、日常会話というものが実はわからず苦手です。私がテレビなどの集団の文化になじめない(全部ではないけどかなりの部分)のはそのへんもからんでいるのかも。

| けろたん | 2009/07/30 15:38 | URL |

最近書き込みもないので、内輪で書き込みます。
ケイコの身体的な問題は、実は30年前に出会ったときから、なんか違う動物にでもであった、親しみがありました。
それが、実は名づけられるような問題を抱えている、ひとつの現象とは、つゆ知らず、ゆっくりたのしませていただき、陶彫作家として、関心を抱き続けました。
前の前のブログの感想がマシュマロでこの前のが白玉団子でした。今日は紙です。どうしてこんな、素材感と結びつける感想しかいえないのでしょう・・・。

| ヒデコ | 2009/07/30 01:30 | URL |















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