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薄氷の上で生かされて

おとといの夜、 大阪の友人が緊急入院したとの知らせに、 大阪に二人してかけつけた。大切な大切な友人。どれだけ世話になったか語りきれない人。やさしすぎ、前向きにいつも生きてきた人。けっして、自分のつらさの多くは語らなかった人。十日前に、電話をもらっても大阪に出向けなかったことが残念でならない。ガンとわかったのは、一月だった。わたしはそうとわかる直前に会ったきりで、おとといを迎えた。電話では何回か話したが、面と向かえずに話しきれなかった思いが残る。このかんに大阪には、やんごとならぬ用で出向いていたが、 闘病のさなかの彼女のところにはとうとう出向けなかった。私自身に余裕がなさすぎたが、それは余裕の問題だったとは思えない。おととい、個人レッスンを始めようとしていた、息子のようなブラジル人の生徒に、 「別の日にチェンジしてもいいですよ」と促されて、 わたしはヒデコと共に大阪に行くと決めることができた。クラスはどうしても優先すべきだという、気持ちが大きかったが、 それ以上の事態だということを、生徒の促しで我に返った。深夜近く着いた大阪市内の病院で、 彼女は集中治療室でたくさんの管につながれ、 とてもつらそうだった。特別に入らせてもらった私たち二人は、 ヒデコだよ、ケイコだよ、と呼びかけた。体がその方向に向けられたことは、 そのときの彼女の最も大きなやさしさの表れで、 そんなふうにまた彼女に負担をかけてしまったことと、 それでも私たちが来たと分かってくれたということとの間で、 もちろん長居はありえなかった。昨晩、ブラジル人のクラスのために私はもう一度だけ彼女と会ってから、 夕方の電車で武生に戻った。折しも、京都方面が人身事故で不通で、 新幹線に乗るはめになったが、授業には数分遅れで間に合った。長い間クラスを続けてきた日系人の若いお母さんであるその人が、 授業の最後に、もう続けられない事情を切り出した。ガソリン代の高騰、続けられなくなった仕事、 経済的に彼女の一家も追い詰められていた。続けてほしい。その一心でなんとか考えようと話をした。わたしも彼女も気づけば泣いていた。彼女は本当は日本語学習を続けたいと心から思っていた。そのあと、あまりちゃんと日本語を話さないと心配している父母に連れられた、 小学校一年生のブラジル人の男の子の面接もあった。絵本を読んで、少し通ってくる気になってくれた。これは本当は学校が考えなければならない問題だけれど、 わたしはできることはする、そう両親にこたえた。帰って泥のように眠り、明け方、ヒデコが私を起こした。大阪の友人の訃報だった。悲しいとか、なんらかの感情を通り越した力が抜けていくような、 無力さに体がすくんだ。祈った。わたしは、はたしてわたしの「ありがとう」を彼女に届けられていたのか。それだけが今も心にひたひたと寄せている。薄氷の上で生かされているわたしたち。薄氷の上で、たたかいたたかい、ひるまずひるまず、 そして、ついに尽きた彼女のいのち。わたしは薄氷の上のブラジル人の生活にひととき関わり、 薄氷の上のわたしたちの一日一日の人生を刻みながら、 なんとか時間をひねりだし、 今晩の彼女のお別れの会にまた大阪へと向かう。さびしい。彼女がどんなにわたしの人生に大きな存在だっかかか ? ひしと痛くしみる。しみこんでしんしんと訴える。彼女はいつも許してくれた。人を許し、自分は甘えない人だった。まだ、 わたしは彼女のことを過去形で語ることに耐えられない。彼女は過去形ではない。過去形にしてはいけない。それだけが今しみる。ケイコ
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