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やさしい光の中の放心と冷徹と静寂と

ベロ亭は静かだ。神戸から息子のカラが、大阪から私たち二人と一緒に帰ってきてちょうど一週間。さびしい街のさびしい家の、おかしな三人は、 それでも秋の日差しを浴び、一週間続いた下水道工事につきあい、 カラのつくった料理を食べ、 必要なことをこなし、今考えたいことを考え、 花を生け、花を生けなおし、 のえの声の響きにそのときののえへと飛び、 考えられないことを傍らにおき、 ゆっくりとそれでもまた考えようとし、 思いに思い ここにいる。私は今日、今週四つ目のクラスをした。新しい生徒が三人。あらたに始め、満足してもらい、続ける気にさせる力が私にはまだある。しかしだ。ここはなんという静けさの中にあるのだろうか。胸の中はぽかんと、あるいはしんしんと放心の一途をたどり それはおそらく人々のいうところの「悲しみ」というものなのかもしれない。よんどころなき、深さがしんしんと身をひたすそれ。おととい、久々にルネ・シャールをしゃにむに手に取った。その前には、アリス・ウォーカーの『メリディアン』もパラパラとめくった。ほとんど一字一句を覚えている、北米の女性作家の処女作である。ルネ・シャールは、スーザン・ソンダックの文章に引用されていて、 20数年前、はじめて知ることとなった。短い言葉の中に、深い本質というべき示唆がたたずんでいる数行。おとといも沢山の痛苦と光に満ちた言葉に出会った。「暗礁にのりあげ、目的に圧倒されて、自分が定義づけられるのを待っている人たちが、なんと多いことだろう」 「ぼくの愛よ。ぼくが生まれたことは大して重要ではない。ぼくが消えると、そこに、きみが目に見えるものとなる。」「別離の言葉と同義語の言葉の数が多いほど、かずかずのおもかげが比類のないものとなる。」 ふせん、が、おととい読んだ結果、三十近くついている、ルネ・シャール詩集。その中から、ほんの少しをここに載せる。1969年思潮社刊。山本功訳。七日ののえとのお別れ会、八日のお別れのそのとき、 会場に入りきらないほど集まっていた、 200人ほどの人々は今どこで何を思っているのだろうか。その一人一人の胸に、のえはどう刻まれているのだろうか。そして、 「今話をしているのも悪い」と早々に電話口での会話を切り上げる友は、 なにをどう思って、そう言うのか。わたしたちは、今人々から遠ざかり、孤立し、 孤立を孤立とも感じないまま、 この陸の孤島のような無風地帯の田園風景の中で、 そっとそっととりおかれているのが、 もっともふさわしいとでも言うのか。わたしの友達はどこにいるのか。わたしの友達は誰か。 のえへとはせ参じたひとりひとりは、 今どこで何をどう息しているのだろうか。再び、ルネ・シャール。「最後の結論をくだすものは、大空であるように思える。しかし、それは、き
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