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追悼 ターシャ・デューダー

絵本作家でもあり、近年は自然と一体化した素晴らしいその庭が、
写真集になり、絵葉書になり、テレビの番組になり、
ブームともいえる現象を生み出していたターシャ・デューダーが亡くなった。

それを知ったのは新聞の記事でだった。
翌日、相棒は、ターシャの庭や横顔やらでできた、
台所のカレンダーのターシャの顔を見入っていた。
「なにか、気になる」
彼女はターシャの死を知らなかった。
ヒデコには、いつも生死にかかわるインスピレーションがある。

今日、私は、久々に庭の手入れをした。
宙に浮いているような心身を、花や植物や、黒々とした土と共に
遊ばせていると、少しだけ自分が自分であったことを忘れられた。

人生は、ときに詐欺のように人の生きてきた足跡を奪い取る。
人生の種明かしと祈るように仕上げた文面が、
あっけなく、まるで何事もなかったかのように、
ひとつか二つの言葉になって、
まるで私の人生を片付けたかのように私を襲う。

ここが福井でなかったら、というより、
さまざまな基準でそのことを名づける、その方法が一定しない。、
生き難さ、困難さといった特性が、
あるときはまるで問題だらけのように、
聞く耳さえ持ってもらえない欠陥だらけの人間として扱われたり、
あるときはまるで何の問題もない優秀な人間として、
その問題にさえ耳を傾ける気配すら感じることができない酷薄さ。

私は私の人生の真実をもう一度、丁寧に自分のふところに、
ゆっくりとしまいこむ。
今度こそ、丹念に誰にもわからないやり方で
そっとしまいこむ。
誰の手も要りはしない。誰の手もあってはならない。

ターシャが見事な花々が生けられた花瓶の傍らで、
紅茶を飲んでいる姿が堂々と何気なく、六月の台所にあった。
六月はいつの間にか過ぎていて、
私は今日、はじめて七月の写真にめくった。

ターシャが小道を去っていく写真。
たぶん、孫だろう少女と共にターシャが去っていく、
しなやかで、自然で、なんということはない後姿。

私がターシャの存在を知ったのは、キャラバンで泊まったある家のある部屋でだった。
私は二冊の分厚い写真集を見ながら、
こういった写真集には珍しく、私が瞬時に魅せられたことを意識した。

それは、ターシャが余りにも自然にそこに、その庭と、その家と共にいたからだろうか。
それは、ターシャが満面の笑顔などほとんど見せず、
そこに淡々と、深い存在感でいてくれたからだろうか。
その庭の花々が、余りにも自然と共に美しく共存していたからだろうか。

人生はときに詐欺の様相を帯びる。

ターシャの、写真や映像だけでは計り知れない、
人生の姿というものを私はそんなには知らない。

三年前に亡くなった父と同じ世代であることを、
奇跡のように、それでもまるでごく自然なことであるように、
語ってくれるその姿。

七月のカレンダーの写真と共に、
ターシャが小道を歩いて向こうに行こうとしている。
生きていて心強く、励みになってくれていた人。
余りにさりげなく、私を満たしてくれていた人。

それが、ほとんど笑顔のない、彼女の、彼女自身の、
誰にも侵しがたい、なにものにも抗しない、
なにものにも動じない、
彼女のありようのせいだったと、不意に気づく。

だから、きっと彼女の絵本の中には、
彼女の純粋さやユーモアが潜んでいるのかもしれない。

そうふと気づく。
人生の淵の淵で、
どこにいるのか、なにに向かっているのか、
私は誰なのか、
そんなことを空に放ちやったまま、
そうふと気づく。

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