PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | --:-- | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

アールブリュットという矛盾3 あるいは「創造の孤島」

どこかで発語された一つの言葉が残る。どうしても残る。なにかを思い始める。なんだろう? それから、随分たって、別の一つの言葉が浮き立つ。いつしか、私はそれらの二つをつないで、一つの世界を見ている。点が線になるというより、いきなり立体になって、謎のようにあった最初のことばが忽然とリアリティを放つ。

私はそんなふうに世界を認識してきた。その作業は不可欠だった。あのアールブリュット展で、作家の中だけにある架空の町を、黒い線の一筆描きで空の一点から何の設計図もなくなぞった鳥瞰図の緻密な世界のように。あるいは、左右対称に織りなす、限りない重厚さで、余すことなく描かれた百科事典的世界の奥行きのように。

それは、私がこの世界に触れるためには、どうしても欠かせなかった。「創造の孤島」の中で、つかみがたい世界に触れようとしてなされた当然の営み。まごうかたなきジグゾーパズル。

その一方で、私は日々を生きた。日々、五人の子どもたちのために料理し続けること。嫌いではないこの作業に、しかしながら私は毎回いつも、子どもの役に立つ、そして自分をもまっとうに生きながらえさせる、だからこれでいいのだ、これで生きていると言えるのだ、と胸に刻まない日はなかった。延々と、欠かすことなく、何千回、何万回と。

あるべきだった自分がいつもそう囁いていた。良かったとか悪かった、とかという範疇にはない。ただ、いつも別の声がして、違う違うという底深い必然を遮断して、ノーマルであろうとすることに、渾身の力を傾けていたのだけは確かだ。

アールブリュットの作家たちに見られる、突然の創作の中断。あるいは、その始まり。

それは、「創造の孤島」がそれ自身として成り立つための、ふとした偶然と必然の中で、なされたに違いない。孤独が、静寂が許された施設からの撤退。ささやかなノーマルな世界へのアプローチ。その中での必然の消滅。

そもそも、彼らにとって、創造の彼岸に存在することそのものが、虚ろで空しい人生をぬりつぶすことだった。極限の不幸の中で紡ぎだされる至福のとき。薄氷の上の人生を彩る唯一のもの。

だが、なぜ薄氷なのか。彼らは本当に薄氷のごとき現実の上にいたのか。タフで恐るべき「創造の孤島」。そんな火のような欲求が突然燃え尽きる。それもありだ。それは生きる営みの終焉を呼ぶことすらあろう。

私は思い出す。リシュエンヌ・ペリーさんが、私の質問に余りにそっけなく答え、通訳に遮らせたときのことを。そして、その真意さえ不意に垣間見る。

彼らは、自分の作品がどこにどう置かれ、人々の目にさらされ、評価されているか知らない。「アールブリュット」の作家だからだ。自分が創造するものに対する、どんな判断もない。それなら、ひたすら自分の表現欲求のままに、と彼らを位置づけるのは、一体誰なのだろう。アールブリュットを生み出す「生きた人間」は、それならどこにいるというのだろう。

1952年以前、あの著名な旧薬もなく精神病院に精神障害者が閉じ込められ続けたとき、あたかもアールブリュットの原点のように、精神病院が、輝く作品を次々と産み出す温床となった、という事実。ただし、ヨーロッパでの事ではあるけれど。

統合失調症は、今では新薬も普及し、ほとんどの人たちが、穏やかでより良い人生を送れるようになった。彼らの多くは、自分の作品の行方も、それに値がつけられるかもしれない可能性すら認識できる。

ならば、そういった「判断」の外に追いやられた人こそ、アールブリュットの作家たちなのか。例えば、重い自閉症者、知的障害者。とはいえ人それぞれのはずだ。それから、ある日、何かに取り付かれるように、売る目的も、見せる目的もなく、創作し始めた「正常」な人々。

十数年間、書きなぐられたまま放置され、散逸するに任せた私の詩たち。ジャンヌ・トリピエの流れるような字の連なりと、にじむ色彩の前で不意に溢れたもの。

私は今、言葉をもって、人の役に立つというノーマルな仕事のただなかにいる。それは私の言葉への、やむにやまれぬ欲求の原点の周囲を、めぐりに巡って人の息で埋め尽くす営みだ。
「わたしは『ひびき日本語教室』の日本語教師です」
「わたしは〇〇の派遣社員です」「ひびき日本語教室の生徒です」
そう言い交わしながら、突如として相手の深い淵が現れるのを私は見逃さない。そこにあるのは、国をまたぐ越境だけではない。精神の、人が言葉を発語するときの、気の遠くなるような体の葛藤、「孤独・沈黙・秘密」をくぐりぬける人の営みへの越境でもある。

そこに、私は私の「孤独・秘密・沈黙」をもって立つ。


スポンサーサイト

| ベロ亭から | 20:12 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT















非公開コメント

TRACKBACK URL

http://puentenokai.blog26.fc2.com/tb.php/466-3c28f3f4

TRACKBACK

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。