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南米の西部の地震、私たち二人は無事です

六時半ごろ、新人に日本語クラスを教えているときでした。
「テンブロール」と一人が言いました。ペルーでは、ゆるやかな軽い地震のことをそう呼びます。私もかすかなめまいのようなものを感じました。続くので、外に出ようとすると、生徒たちはここがいい、と扉のしたに皆集まります。
「そんなところだめ。崩れたらおしまい。外。外。」と私。

皆、外に出ました。私たちのアパートは五階建てですから、崩れたら大変です。向かいは幼稚園の広い庭ですから、心配はありません。それにしても、ゆれは、まるで波にゆったり揺られているような感じで、直下型の上下にずしんと来るのとは違うので、そんなに大変な気はしませんでした。それにしても、長い。五分くらいはゆれていたように思います。電線がゆらゆら、木もゆらゆらしていました。

完全にゆれがおさまり、授業を続けました。しばらく神戸の地震のこと、つい最近の新潟の地震のことを話しました。何千という古い家が倒壊したけれど、死者は十人以内だったはずとも話しました。ロナルド君が、「同じような地震があってそれだけ家が壊れたら、ここでは何千人という人が死ぬよ。誰も人を助けようとしたりしないでね」と言いました。新潟では隣近所の人が埋まった人をすぐ掘り出した話をしたあとでした。

次のクラスの人たちが入ってきました。一番大人のジョラさんが入ってくるなり、「7.7なのよ。ペルー全体の地震」と情報を口走りました。「マグニチュード??」と私はすぐ確認。地震の大きさに驚きが全身を走りました。

授業はすぐに中断、テレビをつけ、電話をアヤクーチョにいるヒデコにかけました。リマの友人にもかけようとしました。電話はどれもいっぱいというか、パンクしているみたいで、どんな方法でもかかりませんでした。

そんな折、地震から一時間もたっていないとき、日本から、そう息子のカラから電話が入りました。「無事だよ。ゆるやかなゆれだったけど、長かった。ヒデコちゃんと連絡が取れないのが心配」と言うと、きわめて冷静に、「待つことだよ」と言いました。阪神大震災で九死に一生を得たカラならではの連絡の早さと落ち着きです。カラからの情報で、南米西部全体に起きた地震ということも確認しました。それを言うと皆びっくり。「日本でもうわかっているんだ」というふうでした。

リマの様子はテレビでどんどん映りますが、震源地に近いイカという町の様子や、そこから三百キロの、ヒデコがいま滞在しているアヤクーチョのことなど何も言いません。電気のエネルギーが足りなくて、交信できない、とテレビで言っていると皆が私に教えてくれました。ヒデコの携帯にももちろんかかりません。ここは市内電話しかかからない家の電話なので、テレホンカードの147というのを使おうとしますが、その取り扱いももうしていないようです。

それから、八時ごろ、生徒たちはそれぞれの心配をかかえて帰宅しました。リマにいるお母さんが心配な人、海岸近くに住んでいる親戚がいる人などなど。ジョラとイルデは、ヒデコの携帯電話番号をひかえて、なんとかかけてみるよ、と言ってくれました。


そこへ、今度は日本のヤエから電話が入りました。国際電話はつながるみたいで、ヒデコがヤエに無事を知らせてきたことを知らせる電話でした。ヤエはやけに急いでいるみたいで、もうちょっと話したかった感じが残りました。きっと、とにかくとにかく、という気持ちだったのでしょう。国際電話だったからかな。

そんな折、ガイドの仕事を終えたフスティノさんが帰ってきました。すぐ、テレビに釘付け、とにかくヒデコが無事なのだから、リスも無事なはずと話しました。

それから今度は、三人目の日本からの電話。娘のノエからでした。地震の様子を伝えたり、ヒデコちゃんが無事だとわかったけど、帰路の交通路が大丈夫かなど話しました。こんなときの国際電話は、本当にありがたいしうれしいです。こころからほっとします。

私も、ヒデコの無事がヤエからの国際電話でわかるまで、胃痛がしそうで、パニック発作の薬をのみました。もし、やきものの村から帰る途中のバスの中だったら、なんて仮定で言うと、「悪いことは考えないほうがいい」と生徒の一人。そうじゃなくて、いろんな可能性を考えただけなのにと内心思いつつ、彼らの思考方法をあらためてこんなときに確認する思いだ。二、三日前にも、そうヒデコをアヤクーチョ行きのバスターミナルで送った後も、事故のないようにと言っただけで、イルデ君に同じように言われたのだった。悪いことが起こりやすい国だからこそなのかもしれない、とあらためて思うものあり。

そうして、このブログを書いている途中、とうとうヒデコの携帯から電話がかかりました。アヤクーチョは震源にもっとも近い町、イカから三百キロ、だから、まあまあ無事かなあ、とは踏んでいましたが、ゆれは気持ちが悪くなるほどのゆれだったようです。ちょうど、飛行機のチケットを買っているところで、すぐそばの広場に避難、おさまるのを待ったとのこと。地震に慣れていない国民性なのか、けっこうパニクリぶりが日本とはずいぶん違ったようです。近くでは崩れている土壁などもあるとのことです。リスと帰ってきたところのフスティノさんも話ができました。

ということで、私たち二人は無事です。

やっと、一番震源に近いイカの町からのニュースが入ってきています。二十人ほどの死者が出ているよう、何百人のけが人が出ているとも言っています。電気がなくて、病院はけが人であふれているよう。

ヒデコのいるアヤクーチョはそこから三百キロ、ここクスコは六百キロ、ヒデコへの心配の時間は、カラの阪神大震災での無事を確認するまでの二時間よりは少ない一時間ほどでした。やはりとても心配でした。どきどきしました。異国でのことですから、なおのことです。

もちろん、ペルーでも地震は何十年に一回とか、大きいのが起こります。そのたび、クスコではスペイン人が作った教会は崩れ、インカ時代の巨大な礎石があらわになる、というジンクスが有名です。植民地時代のものは、巨大な自然の力にはかなわないけれど、インカの時代の基礎のシンボルはけっして壊れはしないのです。

長くなりました。とにかく、私たちは無事。ヒデコはリマ経由の飛行機を予約できて、クスコへの帰宅も、予定通りすみそうです。

ただ、この地震のニュースで、諸外国からのペルーへの旅行者が減ることを思います。キャンセルがあって、フスティノさんはもっとここのクラスにいることができるようになるのでしょうか。それは、またまた、「偶然の神様」の仕業なのでしょうか。

ケイコ







AUTHOR: けろたん DATE: 08/16/2007 20:04:27 取り込んでいるのに早いお知らせありがとう。こちらでも昼間ラジオで先に知り、夜7時のニュースで映像が出るまで、詳しくわからないのでネットの米国の地震速報を見たりしていました。みなさんとりあえず無事でよかったです。被害が大きくなりませんように。
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| プエンテの会から | 11:02 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

無事でよかった!
急いでたというより、ケイコちゃんが心配しているだろうから、ヒデコの無事を早く伝えてあげないと!って気持ちがあせって早口になってたのかも・・・(^^;)
もうちょっと他のことも話せばよかったな・・と電話をきって、みんなにも連絡して落ち着いてから思ったわ・・・

| やえ | 2007/08/17 07:45 | URL | ≫ EDIT

たったいま、日本に津波がやってきました。

本当に二人とも無事でよかった。
ケイコちゃん、連絡を待っている間のことを思うと、私も胃痛になりそう。
カラのおかげで、敏速に二人の無事がわかって、ほっとしたよ。

ただ、生徒たちの家族、友達、まだまだ心配ですね。

| さなえ | 2007/08/17 02:23 | URL | ≫ EDIT















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