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「アクティブ・ミュージアム女たちの戦争と平和資料館」 を見学

一週間前の四月十五日、早稲田にある「アクティブ・ミュージアム 女たちの戦争と平和資料館」(http://www.wam-peace.org/)を訪ねた。ここの活動に深いかかわりがある友人から、「渾身の力をこめて作ったものだから、ぜひこの機会に訪ねて」と言われ、肩を押される思いで出向いた。

入り口が少しわかりずらかった。同じビルの中に、結婚式場とかその控え室とか、そぐわないように思えるものがあるので、すっかり間違えたのではないかと戸惑ったりもした。

「そちらの奥ですよ」と示されたエントランスのそこには、たくさんのアジアの女たちのポートレートが、所狭しと貼り付けられていた。やや薄暗く、そこだけライトアップしてある感じの演出だ。彼女たちは、この資料館の展示に顔と名前を挙げてもいいと承諾を得られた、もと「従軍慰安婦」たち、すなわち戦争による性暴力の被害者たちだ、ということは、簡潔に表示してある説明を見なくともすぐ了解できた。まさに、ここは「女たちの戦争と平和資料館」だった。

そんなに広くない館内では、特別展としてちょうど「松井やより展」をやっていた。長い朝日新聞の記者生活で、アジアの女たちを、日本のさまざまなゆがみを、よりよわい者からの視点で、取材しつづけ、退職後は「女性国際戦犯法廷」の実現に向けて、すべてのエネルギーを傾け、三年前に亡くなった、あの松井やよりさんである。

そこには、彼女の三十三年間の記者生活の間に書いた記事のすべてが、閲覧できるようにスクラップされていた。代表的な記事の展示もある。彼女は自分が書いた記事のすべてを保存し、取材メモから後日談まで、その量は尋常なものではなかったという。

ご両親がどんな人物か判った事も、私には大きな収穫だった。二人ともクリスチャンにして牧師、あの山手教会を建てたのも、ご両親だったとか。少女時代は愛に溢れる家庭で、お父さんからは正義を、お母さんからは女の自立を、受け継いだということだった。

三年と数ヶ月前、肝臓がんが末期とわかってから亡くなるまでの八十数日を追ったビデオをもう一人の見学者とともに見た。その日々、自伝を書き上げたこと、この「女たちの戦争と平和資料館」構想を、同志ともいうべき女たちに引き継いだこと、そのどれをとっても、とても凝縮していて、胸に迫るものがあった。

実は私はその数日前、父の遺品から、分厚い原稿の束を見つけていた。私の父はもと軍人、そして自衛官。その原稿は一字一句しっかりした楷書で清書されたもので、しかしその内容は、あくまでもあの戦争を肯定する論旨で貫かれていた。

それから、相棒の岩国英子が作った泥人形のことも思い出していた。証言するハルモニを目の当たりにしながら、そのひとつひとつの表情を「証言とその後」と題して作った泥人形だ。岩国はそのハルモニ自身に、ソウルまでその泥人形を届けに行った。そのハルモニ、キムユンシムさんは、受け取りながら「私が死んでもこれが残る」といったという。私は私で、ユンシムさんとの出会いから、長い詩を書いて、ピアノの演奏と組んで、札幌で朗読したことがある。

ところで、岩国がユンシムさんに届けたのと同じ泥人形のもっと拡大した物が、今も私たちのところにある。いや、越前陶芸村の陶芸館に預けてある。いつか、そう、この資料館がもっと広い所に移れたとき、あれをこの資料館に置けないものか、とふと思うものがあった。 ケイコ

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| ベロ亭から | 22:59 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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