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今日2017年2月18日深夜、2016年11月12日に書いたままアップしなかった原稿を、満を持して投稿!

あえて、今日2017年2月18日深夜、2016年11月12日に書いたままアップしなかった原稿を、満を持して投稿!

結局、片腹痛し…ちゃんちゃらおかしい、身の程知らずーって笑い飛ばしたいのに、本当に片腹が痛いのです。文字通り。まだ10年と住んでいなかった1980年代に、私が『80年代』という雑誌に「北陸トンネルはタイムトンネルか」と題して寄稿した文面のなかの、「この土地」という表現に、「まだ、この県になじまずに、こんな事言っているんだ」と非難していたと確かな人づてに聞かされた人が、奇妙なことに外国人支援をずっとしているのです。
そして、その人とは一度たりとも話したこともないのに、なんだか先入観をもって噂にされてきたという確たる歴史があるのです。
なのに、その人もいる集まりに、明日はどうでも行かなきゃならない。

なぜなら、私は外国人支援に孤軍奮闘してきた時期がかなりあるから。英子ちゃんとともに、やれることはやりつくしましたから…。
でも、県内ではそれが通じる人はいないと思ってきたから、ほとんど言わずにきました。そして、今日その想いをあるかたに話しました。明日の集まりに、誰も私たちを誘わなかったように、このかたも誘ってはくれなかったけれど。
おとといある人が告知を、いつもどんな告知も流すように流していなかったら知り得なかっただろう、私たちにとても関係の深いある全国的な団体が、来年6月にこの県の県庁所在地でひらく外国人移住労働者のための大きな催しに向けての最初の集まり…。
≪Matta虹≫がマイノリティとして挙げているなかに、ちゃんとに「外国籍住民」と入れているのは、そういう背景あってのことです。
ペルーのクスコ市で私たちは「ふたりNGO」を足かけ10年続けた。週一回生徒たちと徹底的に話し合いの機会を持ちながら、日本語学習グループの結束を固めていった…。
たった千円の月ごとの会費のうちの50円分を、一週間待つこともあった。払えない人は申告制だった。帰国すれば、日本全国の支援者に報告のニュースレターを送った。毎年、それなりの額の支援のためのお金を集めた。

そして、日本のこの市内の市街地では…。私は2年、そのあとぼちぼち続けたのも含めると5年、主にこの市内の日系ブラジル人たち150人あまりと、日本語を教えることを通して向き合ってきた。仕事としては最低限の月謝で、日本語教室を安い家賃で借りて…。
二交代制の夜勤もある仕事にへとへとの彼らを励まし、彼らのシフトに合わせながら。
飛び込んできた技能研修生とは名ばかりの、ありえない薄給にあえぐスリランカ人の女性を、日系人女性二人のクラスに月500円で参加できるように…招いた…こともあった。
多くのブラジル人が、話されている日本語を理解できていても発信、発語できずに、工場で会社で、バカにされがちなことを、なんとか補うべく、その人一人一人に合った教えかたを徹底したりもした。
ああ、私のほぼ12年の人生を捧げたこの営み…。
この県内では知らせるべくもなく、ほぼ誰も知らないに等しいこの営み…。
いえいえ、実は当時はフクイ人の応援もそれなりありましたよ。国際交流会館なんかも出入りしていたし、感じてくれる人は感じたからカンパも集められたときもあった。

そのおもみが明日、本当に伝わるのだろうか。
その奥行きが明日、本当に意味を持つ始まりとなるのだろうか。
少しでも、少しずつでも…。
不安でいっぱい。どうして???
どうして、どうして、どうして???

なぜなら、今でも私たちは、ここでは「外国人」だからなのです。ヨソモノだからなのです。こういうふうに外国人支援をしている人たちからも疎外されているからです。
否、日本人の少数派が、女が、ヨソモノが孤立している状況のほうが、時には深刻かもしれない。誰からも、この県ではこの地域では、見えない孤立だから。誰も見ようとは、けっしてしない孤絶だから…。
悔しさを通り越して、片腹痛し、本当に疼いてくる。
ちゃんちゃらおかしい。身の程知らずーって叫びたい、笑い飛ばしたいというのに…。
さびしい、悲しい。

ええいっ、ブラジル人やメキシコ人、ペルー人のこの県内の友達にも声かけてみようかな。
みんな、本気でこの状況を変えなければなんて、なかなか思えないんだろうけどな。
必死で日本に、この県に、この空気に慣れよう、まぎれようとしているんだけどな。
サルサを踊るときだけは別よ。そうそう、あの赤ちゃんの誕生パーティでは、あの二人は一体誰って言っていたペルー人が何人かいたって聞いたっけな。
知らないの!って応えたって聞いたっけな。
はい、それは私たち二人ですよん。
そんな二人の一人、恵子が、外国人支援の催しを、少なくとも私たちとつながっていないという点では身の程知らずにしようとしている、この県のある人も含む、その集まりの初回に明日、やはり行くことにしたのです。
英子はもうひとつ、大事な先役ありだし…。
「センセーの日本語教室だから来てるのよー」って言ったブラジル人たち、今もこの市内にいるのかな。どうなんだろう。3000人も今だって住んでいるんだもの。
「センセーにぜひともまた、始めてほしいんだけどなあ」って数カ月前に言っていたあのブラジル人女性に連絡取らないままなんだけど、どうしているのかな。
私は身一つ。できることのキャパもある。
それでも、私は多くのことを、日本の外の外国に暮らす外国人の日本への思いからも、日本のなかに暮らす外国人の幸せと苦悩、その数々からも余りにも知り過ぎている。
知り過ぎたおもみを手放さずにいられようか。
その苦悩も、そのボーダーをもまたいだ豊かな経験も手放さずにいられようか。

ああ、悩ましい話だ。どうして、その集まりに楽しみな気持ちを抱いて行かれないのか。
そして、なぜ、そういう集まりに私たちは忘れられるのか。
あたかもウェルカムではないかのように…。どうして???
だからこそ皮肉にも、外国人の気持ちがまるごと判ってしまうというのに…。
いつも日本語を教えているうちに、「センセー、日本人じゃない、ガイコクジンよー」って言われるというのに。
それとも、そう言われるからこそなのか。
そう言われるような日本人だから、日本で外国人支援をする、ある種の人たちからは疎んじられるというのか。
だったらどうだっていうのか。
これこそ、本来の「経済度外視」のグロバリゼーションではないのか。

Matta虹主催・主筆 米谷恵子
2016年11月12日午前2時半


追記★この日の翌13日から2月の今日17日にまで至る、おそるべき展開を明らかにするのは保留とします。この一回目の会、そして三回目の2月11日の会に出て、明らかになったこと、困り果てていることなどは、準を追って明らかにすべきことのみしていきたいと思っています。どこまで歩けばいいのだろう。どこまでこんなんに巻き込まれなあかんのやろね。
それでも、やるべきことはやることにした、という、その日に、この3か月も前の11月12日に「予感に震えていた」その文面を今日こそアップします。
よっしゃあ。誰とも敵になんか、なりたくはないんだもの。
ただ、いろんなこと分かち合いながら進みたいだけ。
それが阻まれるなんて、ありえない。少しだけ風穴があいてきたから、そんな可能性を幻想を伴わずに穏やかに冷静に見つめつつ…。
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