『Sotto虹』の「終わりと始まり」のためのリサーチに どなたもご協力、よろしく!面白く、リアクション記号を活用してくださーい!
『Sotto虹』の「終わりと始まり」のためのリサーチに どなたもご協力、よろしく!
えっ、熱心な読者なんかじゃなかったから、そんなのできませんよ、ですって。いえね、その熱心な、とか、時間見つけてそれなり淡々と読んだり読まなかったりの、このコミュニティページ、いかがなものだったのでしょうか。あなたの人生に多少なりとも関わっていましたか。いやはや、FBのそんな投稿に期待なんかしていやしませんよ。と、いうお声も聞こえそうですが、それはそれなりの背景や実態や理由があって、お察しの方々も多いか…そうでもないか?…と思いますが、この段階にいたりました。
そこでですね。最近、FBのリアクション記号の選択肢が増えたのをリサイクル?利用させていただいてのリサーチとあいなります。最後に挙げる、長田弘さんの詩作品3つには、もしかしたら、あなたのこれまでのSotto虹とのふれあいを想起させるものがあるかもしれません。なにしろ、3作品のタイトルは、「言葉の死」「嘘のバラッド」「われわれの無残なバラッド」というわけですから。
それでは、5つのリアクション記号を、この投稿に限って、以下のようにご理解してご利用いただきたいということで、例示いたします。
「自分がいつも読んでいる感覚は、これに近いなあ」って程度でいいですから、できるだけ多くの方に、リアクションしていただけるものなら、主宰と事務局の米谷恵子と岩国英子にとっても、この上ない歓びです。はーい、それでは……♪♬
そうそう、以下のリアクション記号の「順番」は、この投稿では独自に並べてあります。あしからず。
超いいね⇒投稿されるごとに、時間をできるだけ作って大切に読んでいます。読後しばらく内省するように自身を顧みたりすることもあり、大変刺激的でありながら、実に穏やかで心地よい言葉との出逢いとなっています。自分の日常の一部となり、いずれご一緒できることなどあればと楽しみです。
すごいね⇒これだけ、日本中にはびこる偏見、それ以前のタブーとも言える事柄に、淡々と、時には大胆に「杭を打ち込む」みたいに言葉にする勇気にエールを送られるような気持ちです。
特に「生きづらさ」の極限にある、「自死」と「自死でノコサレル」という事実に集約する日本の闇に光をあてようとするチャレンジには、どきりとさせられながら気づくことが多々あり。大切な集いやワークショップの告知も注目しています。
いいね⇒忙しい時もあり、読めたり読めなかったりですが、できる範囲で読めるよう心がけています。
判らない言葉は検索したり調べることもあります。はっとしたり、霧が晴れるように腑に落ちたり、逆にもやもやした気持ちに余計なったりといろいろですが、自身に必要な営みとして読むという行為を続けていきたいと思います。
うけるね⇒いつもって訳ではないんですが…だって長いのとか読み切れないこともあるしね…それでもたまに、これって自分のあの課題とがっちりフィット、よくぞ言ってくれたって感じになります。誰も言わないことだったり。でも、いつもって訳ではありません。
悲しいね⇒つくづく「傍観者」に過ぎない自分を痛感します。できるものなら、逃げたいような課題が多いからだと判っていますが、身につまされるばかりでどうにもなりません。そんな自分がふがいなく悲しくなります。見つめなければ始まらないと判ってはいるのですが。
ひどいね⇒こんなに、人間の弱さや愚かさについてリアルに肉薄して書かれるのに抵抗を感じます。まるで責められているみたいな気がするし、ひどいFBコミュニティーページだと思います。すぐにでも閉鎖して、見えないものには蓋を閉めて生きていく人生に返らせてほしいものです。それでも、怖いもの見たさでしょうか。つい、開いてしまいます。だから、余計混乱します。自分が、ただの野次馬なのか、強迫的な思いをなんとか持ち直したいと思っているのかは判りませんが、ひどい投稿ばかりで本当は読みたくない気持ちも大きいんだと、どこかで判っています。
以上の選択肢にしたがって、「終わりと始まりのためのリサーチ」にご協力いただきたいと思います。
できるだけ多くの方々の反応をお待ちしています。各選択肢におさまらない思いが、「これに近いと思いつつもある場合」は、リアクション記号を選んでから、遠慮なくコメント欄にビミョーなあたりなど書き込んでください。その際、このコミュニティページの主旨を逸脱しない範囲でお願いします。
主宰者も事務局の担当も、血も涙もある人間ですので。
なお、このアンケートのアイデア、なんとも、おもしろーい、という「いいね」は今回はご遠慮願います。(笑)あくまでも、上記の選択肢にそった「リアクション記号」の使いかたでお願いいたします。それでもという方は、コメント欄に。
なお、「悲しいね」「ひどいね」はなかなか選べないかもしれませんが、今回に限ってせっかく選択肢としてあるのですから、思いきってご自分の気持ちを表明してみてください。
それでは長田弘の詩作品三作を次に挙げます。これまでのSotto虹のこのページとのふれあいを思い起こす「呼び水」のような働きとなる気がします。いや、なんで、どうして、これを挙げるのって方もいらっしゃるのかな。いやいや、ここまでおつきあいいただいた方はそんなことはないのかな、など思いつつ、えいやっと、三作品。みすず書房の全詩集より。94ページ、99ぺージ、101ページ。
言葉の死
言葉が死んでいた。
ひっそりと死んでいた。
気づいたときはもう死んでいた。
言葉が死んでいた。
死の際を誰も知らなかった。
いつでも言葉とは一緒だったが。
言葉が死んでいた。
想ったことすらなかったのだ。
いったい言葉が死ぬなんて。
言葉が死んでいた。
偶然ひとりでに死んだのか、
そうじゃないと誰もが知っていた。
言葉が死んでいた。
死体は事実しか語らない。
言葉は殺されていた。
言葉が死んでいた。
ふいに誰もが顔をそむけた。
身の危うさを知ったのだ。
言葉が死んでいた。
誰にもアリバイはなかった。
いつでも言葉とは一緒だったのだ。
言葉が死んでいた。
誰が言葉を殺したか?
「わたしだ」と名乗る誰もいなかった。
嘘のバラッド
本当のことをいうよ、
そういって嘘をついた。
嘘じゃない、
本当みたいな嘘だった。
ほんとの嘘だ。
口にだしたら、
ただの嘘さ、
どんな本当も。
ほんとは嘘だ。
まことは嘘からでて
嘘にかえる。
ほんとだってば。
その嘘、ほんと?
ほんとは嘘だ。
嘘は嘘、
嘘じゃない。
ほんとは嘘だ。
嘘なんかいわない。
ほんとさ。
本当でも嘘でもないことを
ぼくはいうのだ。
われわれの無残なバラッド
そうなんだ、
そういうことだ。
そういうわけで
そうなんだ。
そういうふうだし
そういうことだし
そうじゃなければ
そうじゃないが、
そうなんだし
そうだったし
そうであるだろうし
そうなんだ。
なあ、そうだろう?
そうだろうが。
そうじゃないと
そうはいえまい。
そうしたさ
そうするさ
そうなるさ。
きれいに片をつけてきた。
歴史を
二行で。
「いろいろなことがある
いろいろなことがあった」
そういうことだ。
そうなのか?
2016年6月3日 昼下がりのベロ亭で、
庭仕事とやきもの制作の手を休めながら
Sotto虹主宰 米谷恵子
事務局 岩国英子
リーチ214人
えっ、熱心な読者なんかじゃなかったから、そんなのできませんよ、ですって。いえね、その熱心な、とか、時間見つけてそれなり淡々と読んだり読まなかったりの、このコミュニティページ、いかがなものだったのでしょうか。あなたの人生に多少なりとも関わっていましたか。いやはや、FBのそんな投稿に期待なんかしていやしませんよ。と、いうお声も聞こえそうですが、それはそれなりの背景や実態や理由があって、お察しの方々も多いか…そうでもないか?…と思いますが、この段階にいたりました。
そこでですね。最近、FBのリアクション記号の選択肢が増えたのをリサイクル?利用させていただいてのリサーチとあいなります。最後に挙げる、長田弘さんの詩作品3つには、もしかしたら、あなたのこれまでのSotto虹とのふれあいを想起させるものがあるかもしれません。なにしろ、3作品のタイトルは、「言葉の死」「嘘のバラッド」「われわれの無残なバラッド」というわけですから。
それでは、5つのリアクション記号を、この投稿に限って、以下のようにご理解してご利用いただきたいということで、例示いたします。
「自分がいつも読んでいる感覚は、これに近いなあ」って程度でいいですから、できるだけ多くの方に、リアクションしていただけるものなら、主宰と事務局の米谷恵子と岩国英子にとっても、この上ない歓びです。はーい、それでは……♪♬
そうそう、以下のリアクション記号の「順番」は、この投稿では独自に並べてあります。あしからず。
超いいね⇒投稿されるごとに、時間をできるだけ作って大切に読んでいます。読後しばらく内省するように自身を顧みたりすることもあり、大変刺激的でありながら、実に穏やかで心地よい言葉との出逢いとなっています。自分の日常の一部となり、いずれご一緒できることなどあればと楽しみです。
すごいね⇒これだけ、日本中にはびこる偏見、それ以前のタブーとも言える事柄に、淡々と、時には大胆に「杭を打ち込む」みたいに言葉にする勇気にエールを送られるような気持ちです。
特に「生きづらさ」の極限にある、「自死」と「自死でノコサレル」という事実に集約する日本の闇に光をあてようとするチャレンジには、どきりとさせられながら気づくことが多々あり。大切な集いやワークショップの告知も注目しています。
いいね⇒忙しい時もあり、読めたり読めなかったりですが、できる範囲で読めるよう心がけています。
判らない言葉は検索したり調べることもあります。はっとしたり、霧が晴れるように腑に落ちたり、逆にもやもやした気持ちに余計なったりといろいろですが、自身に必要な営みとして読むという行為を続けていきたいと思います。
うけるね⇒いつもって訳ではないんですが…だって長いのとか読み切れないこともあるしね…それでもたまに、これって自分のあの課題とがっちりフィット、よくぞ言ってくれたって感じになります。誰も言わないことだったり。でも、いつもって訳ではありません。
悲しいね⇒つくづく「傍観者」に過ぎない自分を痛感します。できるものなら、逃げたいような課題が多いからだと判っていますが、身につまされるばかりでどうにもなりません。そんな自分がふがいなく悲しくなります。見つめなければ始まらないと判ってはいるのですが。
ひどいね⇒こんなに、人間の弱さや愚かさについてリアルに肉薄して書かれるのに抵抗を感じます。まるで責められているみたいな気がするし、ひどいFBコミュニティーページだと思います。すぐにでも閉鎖して、見えないものには蓋を閉めて生きていく人生に返らせてほしいものです。それでも、怖いもの見たさでしょうか。つい、開いてしまいます。だから、余計混乱します。自分が、ただの野次馬なのか、強迫的な思いをなんとか持ち直したいと思っているのかは判りませんが、ひどい投稿ばかりで本当は読みたくない気持ちも大きいんだと、どこかで判っています。
以上の選択肢にしたがって、「終わりと始まりのためのリサーチ」にご協力いただきたいと思います。
できるだけ多くの方々の反応をお待ちしています。各選択肢におさまらない思いが、「これに近いと思いつつもある場合」は、リアクション記号を選んでから、遠慮なくコメント欄にビミョーなあたりなど書き込んでください。その際、このコミュニティページの主旨を逸脱しない範囲でお願いします。
主宰者も事務局の担当も、血も涙もある人間ですので。
なお、このアンケートのアイデア、なんとも、おもしろーい、という「いいね」は今回はご遠慮願います。(笑)あくまでも、上記の選択肢にそった「リアクション記号」の使いかたでお願いいたします。それでもという方は、コメント欄に。
なお、「悲しいね」「ひどいね」はなかなか選べないかもしれませんが、今回に限ってせっかく選択肢としてあるのですから、思いきってご自分の気持ちを表明してみてください。
それでは長田弘の詩作品三作を次に挙げます。これまでのSotto虹のこのページとのふれあいを思い起こす「呼び水」のような働きとなる気がします。いや、なんで、どうして、これを挙げるのって方もいらっしゃるのかな。いやいや、ここまでおつきあいいただいた方はそんなことはないのかな、など思いつつ、えいやっと、三作品。みすず書房の全詩集より。94ページ、99ぺージ、101ページ。
言葉の死
言葉が死んでいた。
ひっそりと死んでいた。
気づいたときはもう死んでいた。
言葉が死んでいた。
死の際を誰も知らなかった。
いつでも言葉とは一緒だったが。
言葉が死んでいた。
想ったことすらなかったのだ。
いったい言葉が死ぬなんて。
言葉が死んでいた。
偶然ひとりでに死んだのか、
そうじゃないと誰もが知っていた。
言葉が死んでいた。
死体は事実しか語らない。
言葉は殺されていた。
言葉が死んでいた。
ふいに誰もが顔をそむけた。
身の危うさを知ったのだ。
言葉が死んでいた。
誰にもアリバイはなかった。
いつでも言葉とは一緒だったのだ。
言葉が死んでいた。
誰が言葉を殺したか?
「わたしだ」と名乗る誰もいなかった。
嘘のバラッド
本当のことをいうよ、
そういって嘘をついた。
嘘じゃない、
本当みたいな嘘だった。
ほんとの嘘だ。
口にだしたら、
ただの嘘さ、
どんな本当も。
ほんとは嘘だ。
まことは嘘からでて
嘘にかえる。
ほんとだってば。
その嘘、ほんと?
ほんとは嘘だ。
嘘は嘘、
嘘じゃない。
ほんとは嘘だ。
嘘なんかいわない。
ほんとさ。
本当でも嘘でもないことを
ぼくはいうのだ。
われわれの無残なバラッド
そうなんだ、
そういうことだ。
そういうわけで
そうなんだ。
そういうふうだし
そういうことだし
そうじゃなければ
そうじゃないが、
そうなんだし
そうだったし
そうであるだろうし
そうなんだ。
なあ、そうだろう?
そうだろうが。
そうじゃないと
そうはいえまい。
そうしたさ
そうするさ
そうなるさ。
きれいに片をつけてきた。
歴史を
二行で。
「いろいろなことがある
いろいろなことがあった」
そういうことだ。
そうなのか?
2016年6月3日 昼下がりのベロ亭で、
庭仕事とやきもの制作の手を休めながら
Sotto虹主宰 米谷恵子
事務局 岩国英子
リーチ214人
スポンサーサイト
| 心底飛びきりのケイコ節 | 08:44 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑
かげさんより。
すごいね かな。
長田さんのこの3つの詩は初めて読みました。
言葉の死
「見の危うさ」は「身の危うさ」ではなく、「見」なのでしょうか?
「偶然ひとりでに死んだのか、そうじゃないと誰もが知っていた。」→ここのところ、今の日本は多くの人が「偶然にひとりで死んだのではない」と意識さえできなくなっているのではないかと思った。
この3つの詩は3つの詩それぞれの意味の深さもさることながら3つを重ねていくことで浮かびあがることがあってすごいと思う。
「われわれの無惨なバラッド」はほとんど憤っている。嘆きとか諦めなんかをはるかに超えて。
無残な荒野をどう生きていくか。
先に逝った私の友たちは、荒野を踏みしめて行ったんだなとつくづく思える。友が歩いたあとを、よろよろとおろおろとはいずっている。
いいね!を取り消す · 返信 · 1 · · 6月4日 23:29 ·
Sotto虹 剛くん、素直で正直な思いを誠実に書き込んでくれてありがとう。そうだよね。読みながら見つめてしまう、それだけで傍観者にしかなれない、歯ぎしりなんか、しているのかもしれないね。
コメント投稿者: Keiko Yonetaniさん · 6月4日 0:43
..
Sotto虹 日常を忙しくやりくりしていく。それだけで、なかなか考える時間すら取れないってことありますよね。「傍観者」という表現は、ある信頼する友人の真摯な自戒とも言うべき言葉でした。意志的に見つめる態度を捨てない、のと、ただ他人事にしちゃうように眺めている、のとでは、ものすごく違うよね。あけみさん、「悲しいね」が増加かあ。「身体に寄せて考えていない」いい表現というか、そのことを意識できているってすごいかも。打ちのめされる、それもひとつの才能であり、能力というか、あきらめていないからそうなるんだし。「ひどいね」に相当する?視点は、ものすごく以前に一時的に見てくれていた方々から学んだことです。残念ながら、世の中はそれで成り立っているようにも思います。長田弘の詩作品三作の最終行「そうなのか」に集約する問いかけ。鳴りやまないその問いとともに人生はある。私にはそれが人生なんですけどね。まあ、人それぞれだよね。
コメント投稿者: Keiko Yonetaniさん · 6月4日 8:41
..
Sotto虹 天野さんらいし書き込み、ありがとう。そうだよね、なにを言ったらいいか判らない、それって何に対してもあるのかも。どの選択肢にも書かなかった重要な事柄。わたし的には入れられない気持ちがあったかもね。
米谷恵子さん · 6月4日 23:36 · ..
Sotto虹 かげちゃん、ありがとう。はい、「身の危うさ」です。なんか「見の危うさ」でも面白いかもね。ただ、人さまの作品を間違えて表記してはダメだよね。本から書き写すときは、超高速なのでこういうことが起こる。校正ミスでした。校正するんだよ。作家さんに敬意を表してね。
コメント投稿者: 岩国 英子さん · 6月4日 23:34 ·
Sotto虹 もうすぐ、アップして一日たつのだけど、リサーチにはまだ5人って、リサーチにならないなあ。別の方法で呼びかけてみようかな。
コメント投稿者: Keiko Yonetaniさん · 6月4日 14:22
..
Akemi Ogawa いいねと悲しいねの両方です。 いいねだけから、悲しいねが増加している感じです。 身体に寄せて考えていない事、気付けていないことに打ちのめされて、知らぬ間に時間が過ぎてしまうことがあります。
6月4日 4:08
天野 聖子 これってコメント欄でいいのかしら?いいね、と受けるね、がその時々であります。よくこういう表現できるな、この話は切実に共感できると感心する時もあれば、ここはわからないからもう読みきれないと思う時も時も。どうかんがえ、なにをいえばいいのかわからないときもあります、あしからず。
· 6月4日 21:12
木村義春さん いいね、時々すごいねです。
先日の壁面イベントに一週間参加させていただいて、感じることがありました。
日常を共有することの大切さとしんどさと嬉しさ。自分の中に返して行くこと。
これからも続けてください。
ひとつのことがひとつにならないために。一人のことが独りにならないために。 20時間前
Hiromi High FBを見るのが何とも辛い状態が続いております。
なので「うけるね」にしました。
恵子さんと英子さんに私のグダグダ話を聞いて貰いたいなー。
溢れる悶々の想いをどうしよう…と悶々としていましたが
詩にしたり詞にしたり、やっぱり言葉にしようと思いました。
20時間前
以上のコメントは、6月6日朝9時に確認した時点のものです。
木嶋 剛 いいねと悲しいねの間くらいでした。
おろおろしたりしながらも、でも何か霧が晴れるような思いを行ったり来たりです。
いいね!を取り消す · 返信 · メッセージ · 1 · 6月3日 23:01
..
Keiko Yonetani 四時間経過。リーチ数29人。皆様、今のところ「スルー」かな。それとも、考えているところかな。リアクション記号によるアクション、こころからお待ちしていますよ~。おーい、聞こえるのー。
いいね! · 返信 · メッセージ · 1 · 6月3日 20:39
....
| fbのコメント欄に書かれた方々 | 2016/06/06 09:00 | URL |