『こども版ベロ亭通信』に生き生きと使われた 「仕返し」という言葉!おお、こんなにしなやかで屈託ない「し返し」もあったのね、と驚く私。
『こども版ベロ亭通信』に生き生きと使われた
「仕返し」という言葉!
…あの時伝えきれなかった言葉を今…より抜粋
19歳の「のえ」と20歳のサナエの真夜中の電話から始まった。
「ねえ、出してみない」という一言が始まりだった。
現在は一人を残して、皆40代と天国、の5人5様のユニークな声。
まず、のえが最初に寄せ場と出逢った頃の手書き文字の記述。
「とにかく、山谷が好きなのです。もちろん深刻なことも山谷にはあるのはわかっています。これからいやでも見なきゃならないかもしれません。その時はその時です。
またいろいろ思うことがあるんじゃないかな。いろいろ知っていきたいのです。
そうだよ。そうだよ。いろんな奴に会って、いろんな話をして、もみくちゃにされるのです。もみくちゃにされたら、もみくちゃにしてやるって、し返しをするのです。何回、し返しをしても、またもみくちゃにされるのです。涙が出る時は出て、笑いがこぼれる時はこぼして、もみくちゃになる時はなるのです。それで少しは私も大人になるのかな。なんないだろうけど、それはそれで楽しいものです。
これから、いろんな事があるだろうけど、私は頑張ります。のえを頑張ります。女を頑張ります。悩んでいたって、何にもなりやしないし、バカは直らないのです。」
おお、こんなにしなやかで屈託ない「し返し」もあったのね、と驚く私。
去年、あるかたに私のある記述を巡って、「仕返しをするのを我慢しているくらい」というメールをいただきました。その前には、その記述を巡って、話をしたいと丁寧にお伝えしたつもりです。ただ、「仕返し」というその言葉にはらむ怒りというより怨みのようなものに、私のなかで不安と恐怖がよぎり、かなり足踏みしたのも事実です。
今は、思います。そのかたが「仕返し」をしたいのを我慢して、体調を崩しているほどなら、思う存分私を蹴るなり怒鳴るなり踏みつけるなり、行動と言動にして返してもらったほうがいいんじゃないかなって。まあ、けがをしない程度ならね…。
だって、私のほんの一言でも、その人が傷ついたのは間違いないのだし、そうされてもいい責任なり使命を負っているのだと私は思うからです。それで気がすむならですが…。
と同時に、本当は、ちゃんとに心穏やかに話したほうがいいんだけれど…。
息子は、この山里の地区の小学校時代から、一番のおませで早熟で、結局おぼこい同級生がじれったくて、いじめるというより、ちょっかい出しただけのつもりが、翌日「死のうかと思った」と言われて、平謝りに謝ったり、かと思うと、いじめられている子がいれば、当然のように止めに入ったり。まあ、もっと伝説化した逸話もあるのですが、このくらいにしておきます。
どうか押しつぶされそうな思いを閉じ込めて、肥大させて、違うものにさせないでね。
そう願うばかりです。誰かが悪い、とスケープゴートを作るのは簡単だけれど、本当は話し合うことができれば、どんなにか人間的で自然にすむことかと私は思います。
両手をひろげて待っているつもりでも、時間とともに肥大していった何かにまた脅かされるようにして、針小棒大化した、あたかも冤罪のような罪を私がかぶるのは違うとも思います。
話せばいいんだ、そうやって判りあっていくんだって、19歳の20歳ののえとサナエが、16歳のヤエとハナが言っているのです。
やえのパートにはこんな記述も見つけました。
「中学のとき、制服があるのが当たり前、それを守るのが当たり前と思っていた。「くつ下の色は白」という決まりで、ベロ亭の生活で毎日白いくつ下をはいて学校に行くということは、とても困難なことだった。(中略)校則を守らなきゃならないというより、みんなと揃えなきゃならない、一人だけみんなと違うのは恥ずかしいことだ…という気持ちのほうが大きかったのである。校長先生が口癖のように言っていた「○中の生徒らしさを失わないように」という言葉は、髪の毛は肩につくまで伸ばさないという校則はないのに髪の毛は伸ばせなかったり、その他、いろんな、いつのまにかできた決まりで、○中の生徒をしばりつけていたような気がした。京都の友達に卒業アルバムを見せると、「みんな同じに見える」と誰もが言う。今思うと、私の中学校の3年間はちょっとぞっとする。(中略)今は、校則もあってないようなもので、テストの順位なんて出ないし、みんなとても仲がいい。中学の時は、他の人に勝つために勉強していたけど、今は学力をつけるために勉強している。もし、あのまま、E県にいてE県の全日制の学校に行っていたら、また、みんなと同じ格好をして、順位や点数を上げるため、勉強をしていたのだろうか…そう思うとあの時、京都に来ることを決めてすごく良かったと思う。とにかく、私は今の生活がとても好き。」
つけ加えれば、ベロ亭の「こども」だった人たちは、皆、この地元の中学を出ると、東京、京都、神戸の定時制高校へと進んでいる。私たち母親二人は、それぞれに4年間、家賃を送り続けたが、それ以外は自力でそれぞれの道を歩んだ。
2016年3月26日 米谷恵子
リーチ128人
keiko Yonetani 6時間経過。えっ、と驚く。早起きして仕事していたから、今聞いておかなくちゃいけないある音楽を聞きながらひと寝入り。そのあと、見たらもう少しで100人というリーチ数にもかかわらず、反応を示しているかたは一人のままだ。「あきれた」とでもいう選択肢があるといいのかな、とも思いたくなる。私がつつしんで、もと「こども」さまさまのお言葉、拝借して使わせていただいて、これってあり、なの? ってかなりさびしいというか、悲しい。あっぱれ、よくやった5人のこどもたちよ、と言えるのは、私たちだけなのか、そうなのか。孤立は私たちだけの課題ではない、そういうことなのか、日本では。
Keiko Yonetani うむ、2時間で60人のリーチ。やっぱり、ドキュメントというか、ノンフィクションが皆さんお好きなんだろうか。フィクションというかファンタジーというか、民間伝承的物語とか寓話とかに秘められたものって、現実にも通底しているんだけど、イマジネーションは今の時代は要らないのかもね。テレビ映像の凝り過ぎたコマーシャル映像が、人々のイマジネーションをのっとってしまっているのかも。
「仕返し」という言葉!
…あの時伝えきれなかった言葉を今…より抜粋
19歳の「のえ」と20歳のサナエの真夜中の電話から始まった。
「ねえ、出してみない」という一言が始まりだった。
現在は一人を残して、皆40代と天国、の5人5様のユニークな声。
まず、のえが最初に寄せ場と出逢った頃の手書き文字の記述。
「とにかく、山谷が好きなのです。もちろん深刻なことも山谷にはあるのはわかっています。これからいやでも見なきゃならないかもしれません。その時はその時です。
またいろいろ思うことがあるんじゃないかな。いろいろ知っていきたいのです。
そうだよ。そうだよ。いろんな奴に会って、いろんな話をして、もみくちゃにされるのです。もみくちゃにされたら、もみくちゃにしてやるって、し返しをするのです。何回、し返しをしても、またもみくちゃにされるのです。涙が出る時は出て、笑いがこぼれる時はこぼして、もみくちゃになる時はなるのです。それで少しは私も大人になるのかな。なんないだろうけど、それはそれで楽しいものです。
これから、いろんな事があるだろうけど、私は頑張ります。のえを頑張ります。女を頑張ります。悩んでいたって、何にもなりやしないし、バカは直らないのです。」
おお、こんなにしなやかで屈託ない「し返し」もあったのね、と驚く私。
去年、あるかたに私のある記述を巡って、「仕返しをするのを我慢しているくらい」というメールをいただきました。その前には、その記述を巡って、話をしたいと丁寧にお伝えしたつもりです。ただ、「仕返し」というその言葉にはらむ怒りというより怨みのようなものに、私のなかで不安と恐怖がよぎり、かなり足踏みしたのも事実です。
今は、思います。そのかたが「仕返し」をしたいのを我慢して、体調を崩しているほどなら、思う存分私を蹴るなり怒鳴るなり踏みつけるなり、行動と言動にして返してもらったほうがいいんじゃないかなって。まあ、けがをしない程度ならね…。
だって、私のほんの一言でも、その人が傷ついたのは間違いないのだし、そうされてもいい責任なり使命を負っているのだと私は思うからです。それで気がすむならですが…。
と同時に、本当は、ちゃんとに心穏やかに話したほうがいいんだけれど…。
息子は、この山里の地区の小学校時代から、一番のおませで早熟で、結局おぼこい同級生がじれったくて、いじめるというより、ちょっかい出しただけのつもりが、翌日「死のうかと思った」と言われて、平謝りに謝ったり、かと思うと、いじめられている子がいれば、当然のように止めに入ったり。まあ、もっと伝説化した逸話もあるのですが、このくらいにしておきます。
どうか押しつぶされそうな思いを閉じ込めて、肥大させて、違うものにさせないでね。
そう願うばかりです。誰かが悪い、とスケープゴートを作るのは簡単だけれど、本当は話し合うことができれば、どんなにか人間的で自然にすむことかと私は思います。
両手をひろげて待っているつもりでも、時間とともに肥大していった何かにまた脅かされるようにして、針小棒大化した、あたかも冤罪のような罪を私がかぶるのは違うとも思います。
話せばいいんだ、そうやって判りあっていくんだって、19歳の20歳ののえとサナエが、16歳のヤエとハナが言っているのです。
やえのパートにはこんな記述も見つけました。
「中学のとき、制服があるのが当たり前、それを守るのが当たり前と思っていた。「くつ下の色は白」という決まりで、ベロ亭の生活で毎日白いくつ下をはいて学校に行くということは、とても困難なことだった。(中略)校則を守らなきゃならないというより、みんなと揃えなきゃならない、一人だけみんなと違うのは恥ずかしいことだ…という気持ちのほうが大きかったのである。校長先生が口癖のように言っていた「○中の生徒らしさを失わないように」という言葉は、髪の毛は肩につくまで伸ばさないという校則はないのに髪の毛は伸ばせなかったり、その他、いろんな、いつのまにかできた決まりで、○中の生徒をしばりつけていたような気がした。京都の友達に卒業アルバムを見せると、「みんな同じに見える」と誰もが言う。今思うと、私の中学校の3年間はちょっとぞっとする。(中略)今は、校則もあってないようなもので、テストの順位なんて出ないし、みんなとても仲がいい。中学の時は、他の人に勝つために勉強していたけど、今は学力をつけるために勉強している。もし、あのまま、E県にいてE県の全日制の学校に行っていたら、また、みんなと同じ格好をして、順位や点数を上げるため、勉強をしていたのだろうか…そう思うとあの時、京都に来ることを決めてすごく良かったと思う。とにかく、私は今の生活がとても好き。」
つけ加えれば、ベロ亭の「こども」だった人たちは、皆、この地元の中学を出ると、東京、京都、神戸の定時制高校へと進んでいる。私たち母親二人は、それぞれに4年間、家賃を送り続けたが、それ以外は自力でそれぞれの道を歩んだ。
2016年3月26日 米谷恵子
リーチ128人
keiko Yonetani 6時間経過。えっ、と驚く。早起きして仕事していたから、今聞いておかなくちゃいけないある音楽を聞きながらひと寝入り。そのあと、見たらもう少しで100人というリーチ数にもかかわらず、反応を示しているかたは一人のままだ。「あきれた」とでもいう選択肢があるといいのかな、とも思いたくなる。私がつつしんで、もと「こども」さまさまのお言葉、拝借して使わせていただいて、これってあり、なの? ってかなりさびしいというか、悲しい。あっぱれ、よくやった5人のこどもたちよ、と言えるのは、私たちだけなのか、そうなのか。孤立は私たちだけの課題ではない、そういうことなのか、日本では。
Keiko Yonetani うむ、2時間で60人のリーチ。やっぱり、ドキュメントというか、ノンフィクションが皆さんお好きなんだろうか。フィクションというかファンタジーというか、民間伝承的物語とか寓話とかに秘められたものって、現実にも通底しているんだけど、イマジネーションは今の時代は要らないのかもね。テレビ映像の凝り過ぎたコマーシャル映像が、人々のイマジネーションをのっとってしまっているのかも。
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| タイムトンネルのこちら側の奇々怪々 | 00:59 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑
裸のつきあいって言葉があるけれど、心を裸にしてやりとりする、人とやりあうのがとても難しくなってしまったことを思います。日本社会が、なのでしょう。「ヘイトスピーチ」なんてまるでカッコいいかのようないやな言い方の差別扇動だって、一見むき出しの本音のようだけど違う。悪辣な罵倒の裏・底に別の本音や意図が隠れていると思える。一方的に人をたたきのめしたいと思う根っこはどこにあるのか。弱冠ハタチそこそこの「のえちゃん」の試行錯誤の挑戦の正直な思いにははっとさせられます。まずは自分自身の存在と気持ちが、相手の存在と気持ちに向き合ってぶつかること。大義やら理屈やらよりも。そこから何が見えてくるか始まるか。テレビの視聴者インタビューなぞ見ていると、ほんとはどう思っていのるのかわからないそつない応えばかりが流されて、制作側も視聴者側も人に肉迫しようと思ってないんだと感じてしまいます。
| KAGE | 2016/03/29 09:56 | URL |