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『誰が駒鳥殺したの変奏曲・2016年3月アレンジSotto虹』 暴力から保護を求めたこどもの心は無窮の空に消えたのか。わたしが、あなたが殺されるまて。

『誰が駒鳥殺したの変奏曲・2016年3月アレンジSotto虹』
暴力から保護を求めたこどもの心は無窮の空に消えたのか。
消えたらもうないのか。わたしが、あなたが殺されるまて。
否、殺されても?ひとつ前の投稿コメント欄有効リサイクル。

コメント欄のYouTubeは、正統派の「マザーグース」英語版。絵も古い伝統的なタッチで面白いなあ。でも、長田弘の作品は全く違うものですよー。それは忘れないでね。原点はアクは強いが慈愛あり。長田弘は徹底解釈創作した。投稿の3月20日

丸一日と2時間経過。えっ、なんの反応もないってどういうこと。この詩の面白さ、不気味さが伝わらないわけー。うっそー。それほど、皆さん、感受性も知性も人間性も衰退しちゃってるのー。いやー、驚いた。やはり、このSotto虹なぞ続ける意味ないですよね。主筆の心痛など関わりない読者諸氏。さようなら、そろそろ。3月21日

削除したいなってこの期に及んでよく思うんですが、ブログなんかと違って、非表示にするとどこに行ったか判らなくなるので、そのままに最近はします。アップした意味なんてない、と噛み締めるのは、昨日の投稿の背景にあるこころの激痛なぞ、見世物、野次馬でしかいないんだなって。激痛の荒療治の面白い詩を、共に味わうような本物の「大人」は読者にいないのだとかみしめるからです。日本語教育というか、言葉を活かして使う教育というか、習慣や心意気、気概なんて「ないものはない」つまり、「殺されるときにも判らない」ことなんですかね。はははは、笑えます。なんという体たらく。なんというコミュニティページ。大サービスと大使命感、そろそろ捨てなければ、自分がもったいない。3月21日

英子が横でいわく。これは日記のページではありません、と書いたほうがいいんじゃないのお。いやいや知っていますよね。自分だけのために書くなら、こんなところに書きゃしないなんてことぐらい。えっ、知らないの、そうかそうか。日記って高校の時から書いてないのよ。想定外かな。3月21日

この沈黙は、「ぼくじゃない殺したやつだ鳥たち交響曲と」いったところでしょ。演奏しているのすら隠して、どんな声も出さず、どんな音も出さぬ。隣の部屋の住人に殺されそうな人たちばかりかしらん。徹底していておもろいわ。
原典は「かわいそうな こまどりのため なりわたるかねを きいたとき そらのことりは  いちわのこらず ためいきついて すすりないた」なんですがね。3月21日

ムチのきわみ諸氏。いや間違えた無知のきわみ様様。ユーモアも解さない、それとも春のお彼岸に私たちには無縁の宴の席で、祝杯でもあげているんですかね。駒鳥が何事もなく死んでくれたことを祝って。3月21日

そうそう、朝日の日曜版の書評に出ていた「沈黙の町で」奥山英朗著買わなきゃね。むろん、どんなご本かご存知よねえ。だんまりの方々こそ。ははーんだ。3月21日

模範回答集。
「いやあ、ここのところの恵子さんの投稿の締めくくりみたいな、ちょっと怖いけど、なかなか面白い詩ですよね。マザーグースが慈愛のほうで、長田弘がマザーグース風なんて、ねじれていてみものですよねえ。」
「恵子さん、昨日の激痛って、この一ヶ月あまりの無給無休の高尚なる営みのはてに来たんでしょうねえ。
私も知らない、ごく最近のことも、あの「人とつながるための手が」など拝読すると、まだまだいろいろ続いているんだとお察ししますし、まあ、娘ののえさんを亡くして、そうでなくとも悲しい想いを秘めたかたに、何もわかっちゃいない馬鹿どもが、次々と痛めつけるような出来事をもたらすと、こういう荒療治って恵子さんらしいわねえと思っていいのか、どうか悩むところですが、ご本人が療治しているっていうからそれでいいのよね。」
「ありふれた殺し、ありふれた裁き、ありふれた日々からお応えするしかないわたくしといたしましては、殺されるまで、待つことにすればいいですよね。それでいいんですよね。」3月21日

KAGEさん                       
長田弘さんの解題はいつ書かれたものなのでしょうか。

あまりに今日的でーそれはつまりあまりに人間的人類史的に古くて新しく、すごい詩です。

この内容に重なる詩を自死した親友が綴っています。実は今日手書き原稿から文字起こししていました。シンクロニシティです。
英語のほうも視聴しました。紹介ありがとう。

人はこのなまなましい現実を直視できないのですね。だから沖縄で平和に安心して暮らすことが脅かされつづけても自分たちのこととは思わない人が大半だし、基地も安保も必要だとすんなり思ってしまうような選挙民が多いのでしょう。
怖ろしい。3月22日昼前

実は、手元に「長田弘全詩集」みすず書房刊があります。6000円の大枚が出せなくて、図書館で借りています。誰かプレゼントしてーって思う全詩集。ついでながらルネ・シャールの全詩集も5000円ほどで買えない。飲み食いに、そのくらいの金、平気で使っているだけの奴らには、こういう詩のエッセンス、宝物は伝わりっこない。2冊とも、わたしの命をつなぐために手元に置きたい大切な詩集。
上記の詩は「詩集・言葉殺人事件」1977年刊行晶文社です。
3月22日夜

一晩、寝て思うに、現実の自殺の報道には怒れても…とは言っても、自分のこどもの学校で起きたら別かと!!…このての詩には、人のこころの深層を探るような、言霊がある。それをできるものなら忌避したい、避けたい、話題にしたくない、触れたくない、「いいね」なんてありえへんってな深層心理が作動するのでしょう。実に1年と3ヶ月、よくぞ「自分を裸」にして、ここまでこのコミュニティページをしてきたと、自らねぎらう以外にありません。昨日ここに手伝いに来ていた若者も、「わかるようでわからない」とこの詩篇について言いました。文化的文学的表現的コミュニケーション的鍛錬もまた、おろそかにおろそかにおろそかに、見過ごされていきつづけているのです。まあ、意味が判らなければ、反応ではないのは当たり前だとしても。3月22日

要するに、すべては言語相対化力のような力の衰退かと思われます。マザーグースも実は、慈愛を装った弔いの伝承だとしたら、長田弘さんは、それを剥き出しにした、それだけのことかもしれません。ただ、民俗学的世界には、装いであれ慈愛はあった。この平安時代以来というお墨付きの集落に住んでいると、むきだしになってはいけない類いのことを覆い隠していた伝承の世界との切れない世界的普遍性にも到達するかのようです。3月22日

そして、それは「自殺を隠蔽する」そんな伝承であったかもしれないし、他殺か自殺か事故死かも判らない死を、まあまあまあと皆で弔う世界であったかもしれません。

なんということ。今晩のニュースでは、児相に保護を求めた中学生の自殺報道。
雀は母親? 梟は義理の父? 児相は雲雀に紅雀?
そして、ミソサザイは記者、トンビはマスメディア。

殺したものは誰もいないから、堂々とインタビュー。
ものすごく他人事ぽくて、自分の子どもが亡くなったことを語る言葉とは思えません。
義理父いわく。
「判ってくれる人は判ってくれるでしょうから…」。

えっ、なにを判ってくれることをあなたは期待しているの。
遠くで聞こえる…。
…誰も殺していません。
 なんといっても自分から死んだんですから。…
空耳かしらん。

ああ、なんという現実。
それでも私もカラスです。
どう転んでも一緒に変奏曲を奏でている…。

暴力からの保護を求めたこどもの気持ちは空に消えたの。
消えたらもうなにもないの?
わたしが、あなたが殺されるまて。否、殺されても。
あなたの、わたしのこどもが自殺するまで??????????  

3月22日のニュースを見て
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| 悲しみにSOTTO虹 | 13:16 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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