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有名な「ニーバーの祈り」ですが、どう考えますか。あるお二人に紹介された経緯があるのですが、 抵抗をぬぐえません。偉大な宗教哲学者かな? を疑うことをしてはいけないとは思いません。


有名な「ニーバーの祈り」ですが、どう考えますか。

神よ、変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、識別する知恵を与えたまえ。

あるお二人に紹介された経緯があるのですが、
抵抗をぬぐえません。偉大な宗教哲学者かな? を疑うことをしてはいけないとは思いません。
時には戦争をするのさえ、「変えられないこと」と肯定されかねない、そんな直観が走るのです。皆さんの感受性で受け取ったものを訊きたい。米国のオバマ大統領も指針にしているとか。
この祈り、男社会でこそ必要とされているんじゃないかって。


以下はあるところに書きかけた文面より。

この「祈り」を紹介されて、正直、複雑な思いがよぎる。「変えるだけの勇気」など言うまでもないのではないか。この土地でどれだけ当たり前に変革のために力を使いつくしたか、次世代は、そして新たに出逢った性的少数者たちは何も知らない。

と同時に、背腹とも言える女たちの、そして農業ファシズムとも言いうる頑とした状況を前に、ぎりぎりまで奮闘した年月は十一年目の一九九三年に終焉する。
「幼稚園の先生が未婚のまま出産して配置転換になった郡部の事件」の折、私たちは、その当事者の女性と同じ町内に住む私たちの仲間が、おそらくストレスの余り、くも膜下出血で倒れ半身不随になるという事態まで経験する。

それを最後に、この地で他の女たちのために指一本動かせなくなる。家社会が縦横に張り巡らされ、人間としての自由など微塵も入る余地ない絶望を思い知った境地を「冷静」などと評したくはない。

おまけに、勇気を要することと穏やかに受け入れることを識別する知恵など要るものかとすら思う。
そんな指標がなかろうと、希望も自由への模索もぎりぎり行使してきたのだから、そう思うのは至極当然だ。

多くの人が称賛するこの祈りには、それだけの真理があるし、必要な人も必ずやいよう。

が、祈りの祈りたる所以か、人間に潜む内発性をあらかじめ信用していない保守的で教訓的な傲慢さが漂っている気がしてならない。

変えられないものをも変えてきたのが女たちの歴史ではなかったのか。変革が必要な切迫した事態には、可能かどうかを問わず人は自然と動くのではないか。
私たちは、この地ではヨソモノで異邦人、マイノリティの女所帯で、障害のある成人した子どもを一人ならず支えてきた。
投げ出せない逆境を、瞬時の判断やひらめきを総動員して、あるいは経験と知恵と知識の蓄積の果てに、どれだけくぐり抜けたか知れない。

しかも…。
この祈りは、自死遺族には百害あって一利なし、という確信がある。
諭される事なく、この種の喪失体験は凄まじい苦悩と共におのずと悟るしかない、そんな類いのものだ、と、どうしても思えるのだ。
2016 2/10 keiko     期間限定の投稿です…
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