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《詩》こころがあるなら痛みで疼くその胸に手をあてよう……… 睨みをきかすのは、「敵」だからではない。 私たち自身のなかに「敵」がいるからだ。


《詩》こころがあるなら痛みで疼くその胸に手をあてよう

何往復かの何人かとのやり取りの果てに、
生死にもかかわる課題として
「もう生きていたくない」、
そこに直結する根深さをも見つめながら、
互いの、
粘り強くも柔軟な意志に育てるという道づくりとは、と問う。


今はこの人里離れた地で、
よりいっそう生きた人とのやりとりが命綱だ。
たとえどれほどちいさな対話でも
ささやかな慰めや救いになるのだから。

私は肉声を電話線を介しても聞きたい。
私はその人の表情を沈黙と静けさのなかでも、
そっとたしかに見ていたい。
記号のような文字だけではなく、
肉筆の、その人を表す線や勢いを見てみたい。
人の筆跡がいのちだった時代は終わったのか。

本当にそれは時代のせいにしていい、架空性なのか。

子ども5人が保育園やら小学生だった頃、
児童扶養手当改悪反対運動で、
全国のシングルマザーとともに改悪を止めた1984年。
メールなんかない時代ご飯食べさせながら、
自分ももぐもぐやりながら、
肉声の電話を縦横に行き来させて
国会請願やら全国的な連携で食い止めた改悪。

その後には互いをねぎらうように、
ベロ亭のすぐ近くのキャンプ場で
「全国シングルマザー合宿」をした。

娘を亡くしたことは胸におさめた。

それでも、冷酷な現実に遭遇すると、
悲嘆がこころを粉々にしてしまう。

むろん悲しみは私の人生から消えるはずもない。
誰からも消すことを要求されたくもない。
それは、愉快な思い出とも、
かけがえのない楽しい記憶とも切り離せない。
むろん、天分溢れる、直球のあの歌声とも。

誰からともなく応援の声があり、
似通った苦悩を生きる人々に支えられた。
人間の鎖ならぬ人間の防波堤ができて、
今日も心の決壊を食い止めた私がいる。

知っているからだ。
それは、私たちの営みを判らないのではない、ことを。
判りたくはない、判るわけにはいかない、
そんな後ろ姿をいくつも見てきたからだ。

人間誰しも、これほど困難な宿題には、
簡単に良心を継続しては持てない愚かさを
自分のなかにも見てきたからだ。

それを、余裕のなさを言い訳に、
ぶつけるいしつぶてにするな。

汚濁を、
苦悩とは言いがたい愚かな不満を、
山のように見聞きしてきたそれらを、
私もいしつぶてにはしたくはない。

バラバラなひとりひとりが
なにをかなそうとするとき避けられない、
そんなこと。

そして、これほど自他を許せない、
許そうとしない世間。
マイノリティ村社会、ネット村八分。

これ以上、傷つくのも、
傷つけるのも避けたい。
誰であれ、それを耐えるのは違うからだ。

少なくとも後ろ姿を見せて逃げ出していく人たちでないのなら。

あの大阪の展覧会場で、
私の口をおのずと突いた、私の歌声。
そこには赤ちゃんを抱いた
しんと静まる存在感の人がいた。

今日は倒れた旅人たちも生まれ変わって歩き出すよ~♪
今日は倒れた旅人たちも生まれ変わって歩き出すよ~♪

私は感じる、心の芯に感じるぶれないもの。

それを拠り所にそれを信頼する、私の魂の囁きに頷く。

リーチ数の多さに比べて、
反応がきわめて少なく、
しかも言葉のやりとりには表れない地下水。

時に慄然としながらも、聞き耳を立てることは怠れない。

それが自死のつめあとが残した
巨大なる日本の沈黙の壁だからだ。
甚大なるこの社会の宿題だからだ。

もう生きていたくはない、という人が現れれば、
おのずと心身が反応して手を打つ。
私でなければならない、それはようやく替わってもきた。
フォローしあう人影が見える。
漣が泡立つのを悟る。

アラサーの危うさ。
とりわけマイノリティの青さに、
またも、どうなるのかと心身の限界も感じる。

のえの命日に、もたらされた花束。
それっきりの、志しなら、もう要らないともふっと思う。
それっきりの勘違いであるなら…。

テーマの数々はまだまだ危うくしか受け止められない。

だから勇気と
決断と
ユーモアが必要なのだ。

誰もがあれもこれも、
背負わされている時代だ。
架空の空虚さも、
耐えられない痛苦であれ、
誰も彼も、まともなら死にそうな日本だ。

三度目になれば、
「自死に向き合うこの営み」への排他性にも、
賢明にもなる。
睨みをきかすのは、「敵」だからではない。
私たち自身のなかに「敵」がいるからだ。
愚かさという名の。
見栄という名の。

どんなささやかなやりとりも貴重だ。

それでも私には
私たちには
このバーチャルな円卓しかないのだ。

それをリアルな議論
穏やかな対話へと成長させるのは、
互いが見えること、
見えるものにすることから始まる。

また沈黙の壁で
幽閉しないでください。
あなた自身を、
私を、私たちを。

自死でノコサレシ者が
言うべきことを言う。

それだけのこともできない。
それだけのこともねぎらえない。
それだけのこともささえられない。

いや、それすらもさせない。

それでも私たちは佇む。
それでも私たちは生きる。

はるかなる意志を
持続する覚悟を
なんとか凍てつかせない。

そんなあなたの声と、
メールと、
電話と、
面と向かっての対話なんかもあったりで、
フェイスブックのやりとりもしたりで、
人間の鎖ならぬ、
人間の防波堤を
たんねんにひとつひとつ かさねながら、

はるかなる希いを
和解へとつなげる。

互いのぬくもりに感じる。

感じることを手放さずに、
忘れなければ、
離さなければ、

温められるものを大事に大事に
何度も、
何度でも温めなおしては、
ひとつひとつ結び合いながら。

2016年2月20日    SOTTO虹主宰・米谷恵子

★「詩人」としては、未完成ながら、急ぎ投稿とします。
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| 自死へのタブーを見抜く | 23:41 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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