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毛利甚八さんの最後の著書 「『家裁の人』から君への遺言」が郵便で、 毛利さんの「真のご友人」と電話で話しているさなかに届いた…このような姿勢こそ私も貫きたいとかみしめる


毛利甚八さんの最後の著書 「『家裁の人』から君への遺言」が郵便で、
毛利さんの「真のご友人」と電話で話しているさなかに届いた…
  本の帯の言葉に打たれる! このような姿勢こそ私も貫きたいとかみしめる。

いきなり引用。(下の写真をクリックすれば読めるはずですが…)
「贖罪」や「反省」という言葉がある。
その言葉が語られる時、人はどうしても深刻で真面目な表情をしていなければならないと考えられている。そして反省する人が苦しんでいなければ誠実さに欠け、罪を償う資格を持たないのだと……(中略)

そのような緊張をほどいた場所はないだろうか。
とぼくは考えた。

罪を問われた人が我が身を振り返り、すなおに自分の姿をみつめることができる。それが心の底からの反省につながるそんな場所、状況、関係はないのか?

「あとがき」より

さざなみがひたひたと寄せるように共鳴するものを感じた。
私は必ずしも「罪」を犯した少年の現場に直結する位置に立っている訳ではない。
ただ、ただし、「自死」を語り、見つめるという時にも、まさにこのような眼差しが必須だとどこかで確かに思っている自分に突き当たるのだ。

「のえルーム」では、涙が溢れる人もいた。でも、のえのあの食いしん坊ぶりを思い出して、皆で腹を抱えて笑ったことだってある。
あの「のえルーム」を後年、ふりかえって、
「あのような場はどこにもない。
人が孤独だということを誰もが判っていて、それでいて穏やかにこころ静かに語れる場。
お互いに知らなくとも、のえさんが集わせた縁があそこで結んでいたよね。」
そんな何人かの声が蘇る。

毛利さん。あなたの「真のご友人」とさっきお話しました。
この最後のご著書、大事に大切に、確かにこころに刻みながら読みますね。

そうして、11月29日もまた、そのような場を、私たちが持てるよう、そんな志をあらたにしています。あなたが逝った悲しみが大きすぎて、胸の痛みはいよいよ激しくなってはいますが、あなたの紛れもない遺言をかみしめて、のりきりますから。

  2015年11月26日夜9時半  SOTTO虹主宰・米谷恵子
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