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2か月が経つ北陸中日ポプレス… 「レズビアンマザー寄り添い40年・闘う最愛の家族と」 参加型で読む「SOTTO虹あゆみあい塾」の痕跡をたどる…

2か月が経つ北陸中日ポプレス… 「レズビアンマザー寄り添い40年・闘う最愛の家族と」 参加型で読む「SOTTO虹あゆみあい塾」の痕跡をたどる…

2か月と明確に思う。ただし、その2か月が何を意味するかは問う意欲はない。
その2か月を私は生きた。暮らした。悩んだ。笑ったりもした。
しかし、紛れもなく悩んだ。
あれはいったいなんだったのか、と。

真っ最中は奇跡の時間だった。奇跡の余韻をかみしめられる時間は3日間はあった。
参加した二人はすぐに印象や感想を知らせてくれたが、二人は落ち着いた時間が取れず、それらを送ってくれるのに2週間ほどはかかったかと思う。
そのあいだに、別の、ないしはそこから派生した課題が肥大化した。なんでってくらいに。
私は、この大切な奇跡の日の報告を書く機を完全に逸した。

そして、待つこと、合わせること、かみ合わせることに疲れた。
しょせんかみ合わなくてもしょうがないやって思える自分に戻った。
戻ったという点では、なんともないようでいて、それはそれでそこに賭けたエネルギーも、気遣いも、大切にしたい思いも、あれこれあったから、もはやこの奇跡の日は試練のような記憶になりつつある。

しかしだ。奇跡の日じゃないか。
そんなに何日も記憶が…賞味期限…持たないのは当然だ。
という訳で、記そうと思う。備忘録くらいには…。
といっても長くなるよな。

そもそもあの番組における手痛い打撃から学んだから、徹底的に意を尽した記事に一点の間違いもなかった。
このポプレスの記事は一字一句が完ぺきだった。
だから、
「どうせ記事なんて適当に書かれているものですから、お二人の話を聞いて、本当のところを聞ければ」
という、ある一人から届いたメールには落胆した。
今、思えばちゃんとに読んでいなかったんだろうと思えるな。まあやむない。

根拠はあるのだ。数々の然るべき人を、うならせ、感動させ、驚かせた記事だったからだ。
「そうか、日本のこんなところに、ハーヴェイ・ミルクのような人たちがいたんだ」。
そう何人もに言わせた記事でもあるからだ。
むしろ、性的少数者がそうは必ずしも、反応しなかったってのも今後の研究テーマかも。なんなぜかか判るのもいやなんだけどさ。

私たち以外の5人のうち、性的少数者は一人。事前にこの記事から何を感じたか、ざっくりとでも訊こうとして、どことなく当事者以外は他人事感がただよったような、そんなふうに感じたのは、あれは錯覚だったとはいまだに思えないでいる。おそらく錯覚だったと思いたい願望のようなものはまだあるのだろう。

そもそもだ。「レズビアンマザー」という言葉を使って、新聞のこれだけ大きな特集記事に書かれたことなんて初めてだというのを、参加した5人に言い忘れたのは不覚だった。
私は訊かなければならなかったはずだ。
「レズビアンマザーという言葉に、どんな事実や印象を想起するのかな」などなどと。
その手はずを欠いたら、いつでもどこでも、いつからでも「レズビアンマザー」というどこか「普遍性」を帯びた名称を担った、そんな存在としてい続けていたと勘違いされてしまうというのに。
私たちがこの異性愛が大前提で、なおかつ家父長制が脈脈と生きる地域でどんなふうに自分たちを偽らずに翻訳して生きてきたか、ということへの想像力を、参加者に駆使してもらう大切な機を逸してしまった訳である。それゆえにだ。

ああ、面倒だ。この取材に何時間かけたってか。そう、この女性記者さんには、長電話での確認も合わせれば、10回は会っているように思う。そして、通算すると最低見積もっても40時間は会っていると思う。そのうち、僭越ながら? 私が物書きとして、叱咤激励ないしは、最低限のルールとして、このような被取材者を取材する時に必要な姿勢は何かなど、質問をありとあらゆる手で、しつくした時間もある。
私たちには、あのEテレの番組以来、どうしても欠けていると思えていたことがある。
それがなんであるか、この記者さんには、教えるのではなく、自分から学び、絞り出してほしかった経緯もある。その日本語の動詞「ねぎらう」を引き出すには、私は文章指導をこえて、激しい人生の峰と渓を渡り歩いた人間として、ばしんと向き合うしかなかった。
記者さん、よくぞ耐えてくれたとも思うよ。
偉い。偉い、と思う。

で、だからさ。無理なんだよ。この記事の奥行なんて判りっこないのは当たり前。
感じられる人は、それ相応の経験やら知性やら知恵やらひらめきやらがないとね。
でもその頃、私はそろそろ皆さん一人一人に徹底して寄り添って、ファシリテートだけをすることに、そうして、そのために自分をどかんと棚上げにすることに、少し疲れ始めてもいた。あるいは、見え隠れするある種の人々の偽善的な態度に疲れ始めてもいた。

コーベからの、かなり身内っぽい参加者が電話であとから言っていたっけ。
「この記事ね。キーワードみたいな大事な言葉だらけで、そのキーワードをぽんと押すと、だあああああって、長ーい、深ーい物語が飛び出すの。物語が飛び出す不思議な記事。なんかそういう印象がものすごく焼きついちゃったわ。ぽん、物語。ポン、別の物語。この物語とあの物語はこう関係しちゃって、とか、ね」。

うむ、これはかなり私の頭と心の設計図を見られているかのようだわ。

はい、ちょうど2か月前の幻の、あら間違えた、ハイ奇跡の「SOTTO虹あゆみあい塾」で取り沙汰されたキーワードを思いつく範囲で挙げましょね。

「どんな夫婦よりもきょうだいよりも濃い」。
これがそんなに過剰な褒め言葉ではない、ということを、この地域で生まれ育ってきた人を通して翻訳してもらいました。夫婦もきょうだいもそれなり濃いらしいけれど、ちょいとその「濃い」の意味が違うのです。私たちが思っていたのとは。
本当はまだ適格なニュアンスは判ってないかも。ただ、褒められたのではなく、認知された、と取ったほうがいい、そんな発見がありましたね。そう、あのおばあさんは私たちを私たちとして認知した。婚外子を婚外の父親が認知するみたいにね。つまり、それ以上でも以下でもない、というのがすごいということです。褒めるよりもすごいことなのです。

私たちの最初の旅も、経済的な貧しさも意外と皆さん、関心なかったわね。英子の造形作品の修飾語にも関心は集まらなかった。

やっぱ、なんと言っても、皆さんをキーワードとして捉えたのは、「ベロ」と「アリ地獄」。
英子がなんか分かち合えない孤独のなかで一人作っていた個人誌「ベロ」の巻頭言を、実は皆さんに披露しました。読み上げてね。
コピーを用意していたけど、急に惜しくなって渡さなかったんだった。それにはそれの訳がある。咄嗟の判断。この辺りは、それぞれの立場で、耳をダンボにして、聞き入っていらっしゃいましたね。逃れがたそうな「結婚生活」のなかで、いかに英子が渇望していたか、そこから私とのどのような出逢いが生まれたか。それは、たった今、結婚している人にも、性的少数者の女性にも、しんしんと迫るものがあったはずです。
子どもぞろぞろ連れて参加していた地元の女性に英子が、「いつも私あなたに橋を渡してる」とそっと囁いていた。切ないほどそっと。アリ地獄を知っている者同士の頷きでした。

「鏡の上で倒立している自分を見るよう」はキーワードになりそうでならなかった。これはものすごい話なんだけど、まっいいや。
「一緒にいると自分が何倍も生き生きとする」これもおんなじ。関心ないみたいだ。

さっきも書いたけど、ベロ亭の原点の旅、想像を超えるのかな。反応あったかどうかよく覚えていない。たぶん、そんなに反応なかった。

英子の作陶との出逢い。そのあとの「貧しくとも創作を手放さない」に、やはり視覚的表現に携わっている次世代の女性が反応してましたなあ。「共感」のようなものですね。

記者さんが、「レズビアンなどありえなかった」ことがなかなか判らなくて困った話をしたよな気がする。まいったからね。ありえない、って判らないからね。ありえるところやら時代と私たちだけ見て思いこんでいる人たちには。

今日の食卓での話。
「ありえないから、母親二人で学校でも何でも、自信満々で通していたよねえ。
2006年の大阪のレインボートークのゲストで英子ちゃんが話したときに、しゃあしゃあと話したゲイの別のゲストの人が、「誰もゲイですか、なんて訊く勇気ないし…」と言っていたのと、どう対比させたものか、そのとき思ってたの、今思いだした。
もっとつよく意識したね、今。」

はい、これから参加者にとってのキーワード満載のテーマ。
子どもたちへのカミングアウト。
「ママ、いいやろ?」と本当のこととの距離を事前に訊いてきていた人もいた。
それには、あれで答えたことになったんかな。参加しなかった人には内緒。

ただハーヴェイ・ミルクのドキュメント映画を知らなきゃ、というか彼の最後を知らなければ、…「本当のこと?」。驚いた子もいた。…の誤読もあると伝えると、人は読みたいように読むよねって何人かが判ったように言ったっけ。
むろん、私たちの関係を本当のこと?って訊くような、ベロ亭の子どもはいなかったんですけどね。
はて、でもだよ。この塾の流れのなかで、私が読んでほしいような流れができていただけのようにも思うんです。だって、ミルクのこと知らない人もいたんだし。
ただ、皆、私たちを丸ごと知ってはいるから、子どもが私たちの事実を疑うということは念頭に確かになかったかもしれないんだけれどね。

皆が一様にぎょっとしたのは、「誤って子どもを産んだ」。
20代の若者がいちばん悩み深げにありえないって感じで考え考え話していた。
そりゃそうだ。異性愛者こそ、「誤って子どもを産んだ」人ばかりだから。
これじゃあ、悪い冗談になってしまう。
正しく生まれた人なんていないはず、って言ったほうがいいよね。
天皇家なんてその最たるものだろうしな。あれ、右翼に狙われるかな。

エクアドルでの天国にいるような2か月。その中身をちゃんとに知りたい、と言ってくれた女性は、私たちが幸福になってほしいと思っているようで少し嬉しかった。
それでも、話した中身はゲイのカップルとの、破天荒な楽しい日々で、どんなふうに伝わったかは言ってくれたかな。笑って聞いていてくれたのは覚えているけどね。

ここからいきなりEテレドキュメント出演になってしまうけれど、このあいだには、レインボートークだの、30周年記念トークだの、新宿でのトークだのがはさまれて、半分クローズくらいの挑戦があったのは字数の関係で割愛された。

それにしても、思いだす。大阪のドーンセンターでやった30周年記念トーク。
あの報告は、「女性学学会」なるものの会員さんの担当さんが、それこそ「アリ地獄」状態で、私たちの始まりの始まりしか、しかも受付やりながらだから印象に残らなくて、ありゃ、これが30年のパートナーシップを語った私たちのトークの内容?ってあきれた報告を原稿の段階で抗議。他の、昔からの友人とかにピンチヒッターを頼もうとしたのもやめて、結局、「女性学学会」の分厚い会報にも、このときの報告は載らなかった。
つまり、ここでもすでに「先をいきすぎた」私たちへのスルーはもう何十回目というほどではあったものの、パートナーシップを明かしてすら繰り返されたのだった。あああ。

のえ、あの席の最後に言ったね。
「良かったね。この会、持てて」。皆の拍手があったよなあ。

はい、Eテレの反響批判。
「性的少数者の側面ばかりが注目されてしまい」
は、私たちが私たちであることとつきあってくれてる人たちは、そうかそうか、という感じだったような。

さあ、シングル・ダブルマザーの真骨頂の「児童扶養手当改悪反対運動」だ。
福井県下の旧丸岡町の事件もけっこうしゃべったかもしれない。
ああ、記憶うすれたかも。でも、シングルマザーの参加者もいたから、絶対しゃべったわ。重要な事柄だもん。

のえの急逝。SOTTO虹への道。
あんまし話せなかったかも。そのための会だったんだけどね。
…人の心に分け入り、逆境の中で自分が獲得してきたことを伝え、一緒に生きられたら。…
少しは届いていたよねえ。
結び。
…結婚式を挙げなくとも、可視化できる絆を育んできた。…

この結び、今さらながら重要だ。
最近の投稿にもつらなるよなあ。

少し切ないようなさびしいような、それでもおかしいような反応もあった。
20代の若者。
「読んでいて、なんか悲しくなって涙が出そうになったってどうなの」と私が問う。
彼。「いや、あの、英子さんの書いた見出しの言葉が大きい字だからよく見えて、それでその字が迫って…」。
…はっ、そうなのね。内容はついていかないわけねー。…と心の声、
「偽装の家族」ふう。体揺らしてた彼。

はい、この記事、完璧だけれど、
英子の手書き文字を小見出しに使ったこと明記していないこと、手落ちです。
「食ってはいけない人間を出さないこと」。
「弱さを認められる自分と社会をつくること」。
「何でもいえる世の中にすること」。
こんな名言と、やきものにもデザイン的に手書きする英子独特の文字を、
まるで北陸中日の工夫のように横取りしたのはかなり許せません。抗議しました。

それから、ハーヴェイ・ミルクの人物紹介が右下の枠の中に、「同性婚」と並んであるべきでしたね。これも手ぬかり。
この2点以外は、つまり、はい、完璧な記事なのです。

私はこの記事の一字一句を読んでいると切なくなります。
私たちの人生の骨の部分が書かれている。
血や肉は味付け程度ね。この切なさ判りますか。
で、この記事が出た日に書きました。
「取材される空しさを知っていますか」という文章。
記者さん、お気に入りにいれてくださいました。
そう、人生の輪郭、生活のひっ迫、暮らしの息吹、二人の絆、娘の急逝。
そんなものすべてさらして、本当のことがやっと伝えられて、はじめてなんぼのもん、というのが被取材者というものの切なくも空しくも、ありえない立場なんです。
とりわけ、私たちのようなマルチマルチ・マイノリティファミリーにとっては…。

その記事を読み込む、あの時間は不思議な奇跡のような時間でもありました。

参加者の一人が残してくれたメッセージ。
…離れる人は離れて残る人は残った。
そんな自分との新たな出会いや、恵子さんたちとの再会や。
22日も、どうして自分がここにいるのか、よく判ったというか、納得してあの場に座ってました。
ムーミン谷の住人…ってSOTTO虹のコメント欄に書かれてましたが、すごくぴったりな表現で気に入ってしまいました。あの時間をありがとうございました。…

今日も実はこの日のトーキョーからの参加者と話したんですが、一人一人、ひっかかるというか、この記事とかみあうところの違いが面白かったって言ってましたね。
この方は、「アリ地獄」は判らないって言っていた、先にこの方が帰ったあと、どっぷりそこにはまっているある女性が驚いていました。そんな訳で、今日訊いてみたら、
「そういうのは避けて避けてはまらないようはまらないようしてきた」って。
でも、何か、リアルな語感がそもそも違うようにも思いました。

結局、人は人の生きた範囲でしか、なかなかその文面の伝えるところを窓口にすることはできないんだと教えてくれたような時間でもありました。
ということは、きわめてさびしい面も私たちにはあったということです。だって、これですら、私たちの人生のほんの骨格としての一部なんですからね。

記者さんとの丁丁発止は、少なくとも葛藤ではなかった。
葛藤と、あとから感想に書かれた参加者もいましたが、信頼しあったうえでの知的な格闘ともいうべき力技をしあった感覚です。
女性記者さんでなかなか繊細なところもあって、それでいていざというときには、譲らないところもあって、はてさて、彼女が最後まで譲らなかった、それはどこでしょう、と皆さんにふったものでした。
ヒントにヒントをかさねたら、少し判っていった。

でも、ここには書きません。切なすぎるので。
記者さんの熱意に押されて、書くのをオーケーした、あまりに私には人生の含蓄がこめられすぎた一言の「露出」だったからです。

「虹色ダイバーシティ」が越前市に講演に来たときの話もしました。
そして、レインボーフラッグが市役所に掲げられたらどう思うか、も訊きました。
ほんの少しの説明で、「それなら絶対無理」と一致を見ました。
二人。この市の行政の限界をよくよく知る参加者がいましたからね。

子ども連れで、よくぞ参加してくれた次世代の女性。
彼女は、実に深くものわかり良く、次々と反応してくれたものでした。
性的少数者の女性は、これぞって感じで食い下がる瞬間がありました。
表現者でもある女性は、するするするって必要な言葉がすべりでることがありました。
20代の若者には、他のそんなに歳の違わない女性たちすら、「ずうっと大人」に映ったということでした。

英子は、この日はゲストで、私との兼ね合いのなかで、次々とエピソードを披露したものでした。
それこそ、ポンとキーワードブラスの私の語り。
そして、記憶の底から飛び出す、語り継げないほどに溢れる物語。
エピソード。忘れてはいけない確かでリアルな時間の帯。

骨組とほんの少しの肉と共に血も流れている記事というナマモノ。
それはその日のその時の一人一人の鏡のように、
よくよく一人一人を映し出していました。
あれっきりこれっきりもう。あれっきり、これっきりもう。
それは、紛れもなく奇跡のような時間でした。

ただ。
ただね。私たち以外のメンバーはそんなに知り合っていなかったり初対面だったりで、
お互いの対話、議論は、やや遠慮勝ちで、肉づけできなかったよね、というのが、私たち二人の正直な実感です。
若いんだよね。みんなね、
そう二人で1週間後には溜息とともに話したものでした。

その人その人にとっては、消化しがたいこと、たいしたこともないこと、は、
その後、日常という霧の中に消えていったかもしれません。
でも、あの日のそれぞれのふとしたひらめき、誠実にそこにいつづけようとした姿勢。
それらは、あの日の録音をまた聞けば、一気に蘇ることでしょう。
それでも、まだ聞くということは、私にはできません。
一生、できないかもしれない。

これっきり、これっきり、もう。

ああ、そうそう、事前にこの時間に皆が集まれるように、
私、どれほど、時間の調整、皆さんの気持ちの調整をしたことかも、
まざまざと思い出します。
英子は英子で展覧会中だったから、なかなかスタンバイしないし、
なんか微妙にちぐはぐだった様々も忘れてはならないような気がします。

山盛りのコロッケ、なんであんなにあったんだっけ。
栗ごはん、盛り沢山、おいしかったね。持ち寄り、食べ食べの時間の恵み。

それでも、この日のこの時間は、
SOTTO虹のささやかな奇跡として、刻まれます。
少なくとも企画したかった私のこの胸には、このこころには。

つま先から頭のてっぺんまで、異質と思う人を確認するのを、
のうのうと無神経にやってのける市民が相当数いる。
そんなふがいないことを、住んで38年たって確認できた妙な日でもありました。
みんな、そんな目にあっても、何にも解決なんかない土地なんだという。
クソおもしろくもなんともないんだけどさ。

ということでおしまい。

明日は、11月29日のちょっとした集まりの告知でも、ようやくするとしますかね。

ああ、もう、どうなるかなどと、
溜息つかないように鋭意努力いたしますぞ。
はい、楽しみ。
ハイ、ハイ、奇跡は輝石。
輝石は軌跡。奇蹟はベロ亭にあり!!

2015年11月22日未明 米谷恵子 SOTTO虹主宰
    文責・とはいえ責任は取れそうもありませぬ。

追伸 あっ、忘れた。
「なんでフクイですか。イバラの道を選んだように思います」。
こんな深遠なる問いには、そう簡単には答えられませんわ。
   ということで…。
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