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毛利甚平さん逝く。生きていてほしかった!「うたうたい のえ」の二十代を見守った、『家裁の人」の原作者で、新宿で歌う、のえとの出逢いを血の通ったシャープな筆致で描写した…

毛利甚平さん逝く。生きていてほしかった!「うたうたい のえ」の二十代前半を見守った、
あの『家裁の人」の原作者で、サウンドレコパル1993年秋号の特集「夜に泳ぐさかな」第一回に、
新宿で歌う、のえとの二年間の出逢いを血の通ったシャープな筆致で、貴重な写真とともに六頁にわたって描写した…


まだ、知ったばかりで呆然としている。それでも、悲報にはなぜか冷静でいる私もいる。
これで、「うたうたい のえ」の本に関わる、登場人物、私を側面から真に支えてくれた人、
そして、転載許可の出ていた、稀有なノンフィクションライターの毛利さん、
と、四人もの人が亡くなられた。
あんまりだ。どうして、と絶句する。

毛利さんの、のえを描いた6頁は抜きんでた描写で、私は物書きとしても、また、のえの母親としても、
大変貴重な記録を残してくださったと感謝していた。そして、本への転載許可も得ていた。写真の提供も申し出てくださっていた。

亡くなられたという21日。私は毛利さんの話をしていた。どうされているのだろう、ふっと思っていた。
カセットブックとして出すという側面のあるこの本。その4曲もお送りして、それから、明らかに毛利さんのインタビューと思われる、そんなテープも見つかって、事実確認のために送付していた。

ストリートミュージシャンとして、新宿の東口のガード下で二番手の女性うたうたいとして、のえは知られるようになっていた。1990年代の前半のことだ。その時代の、のえをいち早く見出し、雑誌にきめこまかくもシャープな筆致で、描写してくれたのが毛利さんだった。新宿の街の描写も、その喧噪やら息吹とともになまなましく伝わってくる。

最近は、といっても5年はたつけれど、そもそも、のえの悲報も当初、連絡先が判らなくて、知らせそこねていたので、本への転載許可も含めて、お電話で2回か3回、お話ししていた。
ただ、のえの晩年のあの4曲の感想を聞き損ねたのがいかにも悔やまれる。それでも、お送りして聴いてもらえた、そのことをもってよしとするしかない。
いや、ご家族、そうおつれあいにもしかしたら、どんなふうに言っていたか、お聞きできるかもしれない。

でも、しかしだ。
それよりも何よりも、この5年間を賭けた、私が書きに書いた、のえの生まれてから亡くなるまでの日々を、毛利さんにこそ、読んでいただきたかった思いは、あまりにも大きくてどうにもならないほどだ。

生きていてほしかった。毛利さんは毛利さんで命を燃やしつくしたのだろうに。

彼が、ガード下のうたうたいに何ものかを見出す人だということが、とことん腑に落ちた感のあったのは、「宮本常一を歩く」という、一民族学者の歩いた道をもう一度、この現代に歩きなおすという、そんな紀行文の冒頭にあげた、「はじめに」を読んだときだった。彼は、ある若者に語りかけるというスタイルで、なぜ今、宮本常一なのかを書き記していた。
私は、彼が、のえを路上で見出した必然性をそこに見て、芯から頷いたのだった。
ああ、そんなことも伝えそびれてしまった。

本の完成へと、ますます気が急く。もう誰も亡くならないで、と心の奥底から溢れる思い。

のえの音楽コレクションのCD1000枚ほどのリスト化を、「のえルーム」でなんと携帯電話を駆使してしてくれたプリンちゃん。

この、のえの小学中学時代を育った地でのコンサートを実現させたKさん。

私への究極の3時間の傾聴で、あまりに精神的に厳しすぎる執筆で、もはや自分を支えられなくなっていた、
私を芯からとことん肯定し、エールを送ってくださったNさん。

そして、のえの異彩をその歌い始めの頃にすでに見出していた毛利さん。

4人もの人が、この2年の間に逝きすぎた。なんという月日だ。

毛利さん、のえへのあなたの一字一句を大切に私はこれからも完成めざして生きていきます。
あのストリートから、吉祥寺の老舗ライブハウス曼荼羅に見いだされるまでの、「うたうたい のえ」のことを、あなたがあそこまで見事に記されていたことに、私のこの5年間がどんなにか支えられていたか。

九州に戻られても、地元の少年刑務所に通ってウクレレを教えていらした毛利さん。人のために、それも這うように生きている若者、子どもたちのために、あなたはどれだけの力と心を使ったのだろう、と食道がんという病名を知りながら思います。

ありがとう。毛利さん。私は、なんとしても本を仕上げて、あなたの元にお届けします。
さあ、明日には、ご家族にお悔やみと共にご連絡もしなければ。

毛利さん、天国で、どうか、45歳になろうとしている「うたうたい のえ」の、
ずいぶんと大人になったはずの歌を、聴いてやってください。
いや、全然、相変わらず大人なんかになっていないよ、なんて言われそうですね。

さようなら毛利さん。いいえ、もう一度、よろしく毛利さん。

命を削って書かれた最後の本、さっき申し込みました。

2015年11月25日午前2時半
米谷恵子
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