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フランクルのスヌーピー逸話に見る 「意味」を巡っての再確認として70代のレズビアンカップルの映画「夕立ちの道」とかさねて

フランクルのスヌーピー逸話に見る
「意味」を巡っての再確認として
70代のレズビアンカップルの映画「夕立ちの道」とかさねて

少し前に書いたものに、あるネット上で呼応してくださった方が、またそのネット上で、展開している文章を英子が読んでくれて、耳で聞いた。その範囲でなんの異論もないけれど、なにか出発点が違うんだというところだけが、どうしてもアップになる。誠実で、一つ一つの日々の手段とも言える事柄を意味づけていくことの尊さについて、普遍性をもって書かれていることは間違いないし、その熱心さに敬意を表したい。


ただ、どうにもならないほどに「通過」してしまった、ある人に言わせれば「先をゆきすぎた」私たちゆえに、このフランクルの引用から思ってしまうことがあるのも事実だ。

「夕立の道」という、まだ米国で同性婚が全州で定まっていない頃、70代のレズビアンカップルがカナダへと二人して同性婚の届けにドライブするロードムービーを、「国際東京レズビアン&ゲイ映画祭」の前夜祭で観たことがある。よりによって、その前にゲストとして短い時間ではあるがトークをする機会もあった。
ともあれ、その「夕立の道」の中で、一人は死期が迫るなかで、偶然知り合ったちょいといかれたお兄さんの手助けも得ながら、時々交わす、一体なんのためにこの旅路にあるのか、といった二人の口論、対話、議論の類がこころに残っている。
元気なほうのバアサンは、男っぽくてヤクザな感じで口汚くて、ついつい爆笑してしまうが、同時に70代の二人の会話が泣かせて、号泣と爆笑同時というのは、私たちにいちばん近い、そんなレズビアンカップルの映画だったからだと思う。

つまり、どんな保証…手段…すらなくとも、生きて生きて、彼女たちは30年のパートナーシップを生きてきたのだ。私たちはその時、すでに37年だったから、ステージにスポットライトを浴びて客席から上がるとき、
「ここには映画の二人よりも長い37年のパートナーシップを生きてこられたお二人が!」なんて、ドラッグクイーンのマーガレットさんの紹介を受けたのだった。
あの、「結婚証明なんてどうでもいい」「いや、やっぱり」という二人のケンカ、動揺、葛藤が私にはものすごく共感できた。
不自由したぜ、だからなんだっていうのさ。
損もしたぜ、だからなんだっていうのさ。
そういう意気込みといってもいい。

そして、なんのための旅路なのかと、二人は問わざるを得ないのだ。

このスヌーピーにひっかけたフランクルの逸話は、きっと次世代やもっと下の世代の性的マイノリティには、なかなか判りにくかったり、やや抵抗があったりするかもしれない。

ただ、私は、どんな紙切れも信じてはいないところがある。
それだけは言える。戸籍。婚姻届。
それがなんだっていうところがある。それを知ってしまっているところがある。

出生届と死亡届。それは厳然たるものだから信じるとか信じないとかを超えるけれど、今も、娘の死を抱えて生きている私には、娘のところが抹消された戸籍届けをわざわざ見る意欲はない。

日常のささいな手段がたくさんの意味を持っているなんて、そんなの、よくよく判っているんだよ。
5人もの子どもたちを育てるプロセスでも、親に育てられていた子ども時代でも、経済的には豊かではなかったから、ささいなことに豊かな「意味」で色付けもした。
英子は、行事が好きだったから、なけなしの費用でいろいろなレジャーや節分やら、誕生パーティやらも楽しんだ。
いつも、料理を工夫して、最低限の費用で最大限の「意味」づけをするのは私だった。行動で楽しくさせて「意味」づけをするのは英子だった。

でもね。ここのこのSOTTO虹の文脈では、それだけではすまない挑戦もしているんだ。
なぜ、今、フランクルや石原吉郎を読んでいるかと問われれば、「自死でノコサレル」という体験が、「強制収容所を体験するに匹敵するストレスにも及ぶという説もある」という言説を裏付けるために必要な読書であり、文献の確認だからだ。

つまり、その点では、「意味」という言葉のよってたつところがかなり違ってもくる。

しかし、と思う。
これほどの経済の繁栄とも言えるはてのはての、世界の末路のような現在、見えないたましいの収容所を私たちは生かされていはしないか、と。
せっかくだから、「意味」やら「希望」を、芯から望める生きかたをしたほうが良くはないか、と私のなかでしきりと囁く声は消えない。

ともあれありがとう。読んでくれて、誠実に書いてくれた一字一句に感謝。
だからこそ、もう一度ここにアップします。
ネットの手段は違えども、これからもよろしくね。Kくん。

あなたの誠実さのなかに秘められた痛みが伝わってきたから、
私は私で、私の痛みをこめたメッセージとして書きました。
なにか伝われば、と。
恵子
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| 先を行き過ぎた苦悩と至福のただなかから | 00:41 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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