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≪生きる意味を求めて≫フランクル著から、2章の「意味への意思」からスヌーピーの一節と、同性パートナー証明を秤にかけてみた


≪生きる意味を求めて≫フランクル著から、
2章の「意味への意思」から、
スヌーピーの一節と、同性パートナー証明を秤にかけてみた

すぐに引用。40ページより。
「日常生活の中での手段と意味の違いについては、私たちはすでによく知っている。 もし、知らなければ、スヌーピー漫画のこんなおかしさは理解できないだろう。
 スヌーピーが「人生は無意味だ。人生は空虚だ」とブツブツ文句を言っている。そこへチャーリー・ブラウンがお碗に山盛りのドッグ・フードを抱えてやってくる。即座にスヌーピーが叫ぶ。
 「ああ、意味でいっぱいだ!」
 何がおかしいのかと言えば、手段と意味を取り違えているところがおかしいのである。
つまり、確かに食物は生きていくための必要条件である、
 しかし、人生に意味を付与してくれる十分条件、無意味感や空虚感を取り除いてくれる十分条件ではないのである。
 マズローの、高次の欲求と低次の欲求を区別する考え方に欠けているのは、低次の欲求が「満たされない」時こそ、むしろ、意味への意志といった高次の欲求が差し迫ったものになることがあるにもかかわらず、そのことへの考慮がなされていない点である。

以上が、フランクルの著書(のえのコレクションより)からの引用。

さて、ドッグフードを、婚姻届や、入籍とやらや、
それからそれから、渋谷はあやしいけれど、
世田谷の同性パートナー証明、
などなどで、秤にかけてみたらどういうことになるかしらね。

私たち二人は、たとえば、のえとカラは私が産みの親、
他の三人は英子が産みの親、
ということで、実のところはいくつもの不都合をくぐりぬけ、
ぬけがけして生きてきた。
ある娘が結婚した男性の父親に、さっさと「義理の父としては」と出し抜かれて、その矢先、京都の橋の下で、地団太踏んで悔し泣きをしたこともある。
向こうは、その娘…英子の産んだ…を私の娘とは思わずにだしぬいたのである。

まだまだ、挙げればきりはない。

収入にかかわる手続きやら、いろいろな権利にかかわる事柄で、
どれだけ損をしてきたか、
単に金額では換算できないほどの損失はあろう。

ただ、人生に意味は、それこそスヌーピーのドックフードが山盛りどころか、てんこもりで溢れるばかりにあるのである。

いやはや、
最近ある若者に、
「この県には、私たちの「豊かさ」が判る人がいない」
とつぶやいた折、ただただこう繰り返された。
「ゆたかさ…ゆたかさ…ゆたかさ…」。

そんな語彙で、私たちの人生の意味を考えてみたこともなかったのか。

少し横道にそれるけれど、あるとき、のえの天性を称して、
「あの子は野性的でねえ。発達というか自閉としての特性って、
野性的なものを備えているものねえ」。
そう言ったとき、ある自閉症スペクトラムに属する青年がつぶやいた。
まるで、今回と同じように。
「やせいてき…やせいてき…やせいてき」。

私にとって言葉をたどるとは、徹底的に人生の意味をたどるということだ。
そういう点で、フランクルはけっして新しくはない。

ナチスの強制収容所体験者の記録としては、
私はプリーモ・レイビィのほうが好ましく思えている。
「アウシュビッツは終わらない」。
「いまでなければいつ」。
「周期律」。
どれも好きな作品だ。

ただ、のえの遺したこのフランクルの著書を手にしながら、
ああ、なーんだ、そうかそうかと思ったのである。

「みんな、人生の意味が判らなくなって、つかみそこねて、
入籍だのー、結婚証明だのー、
はたまた、同性パートナーシップ証明だのー、
にー、しがみつきたくなるんだなー」
と。

スヌーピーのように、
ドックフードと同じように、
ウェディングドレスへと、タキシードへと、
意味なき手段へと、
取り違えてしまうんだな、と。

こんなことはとっくに判ってはいたけれど、
すうっと、とことん判ってしまったみたいだ。

ははーん、盛り沢山のドックフードは、
意味すら落してしまいかねない、のだと。

そして、どうして、私は、のえと共に生きた、
ベロ亭とその時代を、
ひとりのうたうたいの人生を、
ここまで言葉に刻みつけてきたか、を、
一気に了解する。

今さらながらではあるものの。
もうとっくに判ってはいたものの。

スヌーピーや、
ディズニーランドが大好きな、
そんな次世代の性的マイノリティの喧噪をしり目に、
なるほど、なんて、ばかみたいに、
今さらながら、納得する。

手段よ。
手段よ。

意味をすりぬけさせませんように。
意味を落としませんように。

パートナーシップ証明をもらったとしても、
なにも人生に意味をもたらさないと気づいたら、
「死ぬ」ことだってありうるのだと。

だって、異性愛者はすでに証明しているじゃないか。

ただ、それだけのことを。

自由を標榜した学園を出た、
そんな子どもが、
生きる意味を見失って、
そんなことすら起きているじゃないか。

権利も自由も買えはしない。
手段へと替わるはずもない。

恵子
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| 映画・ドラマ・本より | 18:47 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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